レフ・トルストイ「戦争と平和」読了。
本作『戦争と平和』(全六巻)は、1867年(慶応3年)から1869年(明治2年)にかけて刊行された長編小説である。
シリーズ完結の年、著者は41歳だった。
初出は、1865年(慶応元年)から1869年(明治2年)まで『ロシア報知』に発表されたものである。
ピエールとナターシャの再生物語
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』に、トルストイの『戦争と平和』が出てくる。
トルストイの「戦争と平和」については彼は常々批判的であった。もちろん量について問題はないが、と彼は述べている。そこには宇宙の観念が欠如しており、そのために作品は実にちぐはぐな印象を私に与える、と。(村上春樹「風の歌を聴け」)
『戦争と平和』に批判的だったとされるのは、主人公が愛読するアメリカ人作家(デレク・ハートフィールド)のことで、彼が「宇宙の観念」という言葉を使うとき、それは大抵「不毛さ」を意味した、という。
デレク・ハートフィールドは、なぜ、トルストイの『戦争と平和』に、「宇宙の観念」を持ち込もうとしたのだろうか。
本作『戦争と平和』は、戦争の時代を生きる若者たちの姿を描いた、ある種の青春小説である。
非常にたくさんの登場人物が現れるが、物語の中心となっているのは、ピエール、アンドレイ、ニコライという三人の青年だ。
この大長編小説で、ほぼ主人公だと言っていいベズーホフ・ピエールは、莫大な遺産を相続したがために数奇な人生に放り込まれてしまう。
「絶対に、絶対に結婚なんかしちゃいけないよ、君。それが君への忠告だ──自分がやれるだけのことをやったんだと納得できるまで、自分が選んだ女への愛が尽きて、相手をはっきりと見極められるようになるまで、結婚するんじゃない。さもないとひどい、取り返しのつかない過ちを犯すことになるから」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
ピエールの親友(ボルコンスキー・アンドレイ)は、早くも自分の結婚に失望していたが、ピエールもまた、一時の気の迷いで、財産目当ての美女(クラーギン・エレーヌ)と結婚してしまう。
この物語では、多くの男性と遊び歩く不倫妻(エレーヌ)に対する寝取られ夫(ピエール)の苦悩が、ひとつの大きなテーマとなっている。
ピエールをフリーメイソンへと誘い、戦場へと導いたのも、根本にあるのは悪妻(エレーヌ)と結婚した我が人生に対する不信だったからだ。
結局、ピエールは、ナポレオン率いるフランス軍の捕虜となって、ロシア軍に救出されるまで、人生の迷いから覚めることができなかった。
逆に言うと、戦場という地獄巡りの旅が、ピエールの精神を浄化したと言うことができるかもしれない。
ピエールの親友アンドレイもまた、人生の迷いから逃れるため、出産間近な妻(リーザ)を残して戦場へと向かうが、戦争がアンドレイを救うことはなかった。
「ほう、立派な最期だ」ナポレオンはアンドレイを見ながらそう言った。アンドレイ公爵は自分のことを言っているのだということも、言ったのがナポレオンだということも理解した。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
九死に一生を得たアンドレイは、ナターシャとの恋愛に生きる希望を見出すが(「いや、人生は三十一歳で終わったわけではない」)、ナターシャの裏切りが、彼を再び戦争へと向かわせる(エレーヌの兄アナトールによる誘惑)。
「いったいこれが死なのだろうか?」草を、ヨモギを、回転する黒い玉から噴き出す煙の流れを、まったく新しい、羨むような目つきで見つめながら、アンドレイ公爵は思った。「だめだ、俺は死にたくない、俺は生を愛している、愛している、この草を、土を、空気を……」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
一方、ナターシャの兄(ロストフ・ニコライ)は、アレクサンドル皇帝への忠誠心と愛国心に燃えて戦場へ出る(「死ぬんだ、このお方のために死ぬんだ!」)。
ニコライは皇帝の目に涙があふれているのを目撃し、去り際に外相のチャルトリシンスキーにフランス語でこう言ったのを聞き取った。「何と恐ろしいものだろう、戦争とは、何と恐ろしいものだろう! いや戦争とは何と恐ろしいものだろう!」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
戦場を去ったニコライは、アンドレイの妹(マリヤ)と結婚し、ピエールと結婚した妹(ナターシャ)と穏やかな暮らしを得る。
戦死したアンドレイは、四人の心の中に残り続けているから、この物語は、五人の若者たちの物語として読むことができるが、そこに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
ピエールは、不倫妻エレーヌを病気で亡くし、ナターシャも、復縁しつつあった最愛の男性アンドレイと死に別れてしまう。
傷つきあったピエールとナターシャが結ばれるということは、二人が、互いの大きな過去の過ちを乗り越えて、見事に再生したということの象徴に他ならない。
「あの娘はただ、夫と子供をとことん愛しているっていうだけですよ」伯爵夫人は言うのだった。「愚かしいほどにね」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
ピエールと結婚したナターシャは、繊細な少女からしっかり者の母親へと、美しい変身を遂げる。
彼女の中には、若くして戦死した弟(ペーチャ)への思いも消えていなかっただろう。
「待てだと?……突撃だぁぁ……」そう叫ぶとペーチャは一瞬もためらわず、銃声の聞こえる硝煙の濃い場所めがけて突進した。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
アレクサンドル皇帝への忠誠心に燃えるペーチャは、一瞬にして命を失う(銃弾が頭部を貫通していた)。
そして、このペーチャの姿こそが、戦争という大きな人間ドラマの、本当の姿だったのだ。
様々な形で交錯する人生の皮肉
本作『戦争と平和』は、戦争の時代を生きる人々の姿を描きながら、戦争という理不尽な物語が持つ真理を描き出そうとしている。
とりわけ印象的なのは、皇帝への忠誠心に煽られた人々が見せる熱狂的な高揚感である。
「どの人? どの人?」ペーチャは周囲に問いただすが、誰も答えてくれない。みんなそれほど夢中になっていたのだ。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
皇帝のもとに集まった群衆と一緒に「万歳!」と叫びながら、ペーチャ少年は感動の涙を流し、「明日さっそく、どんな犠牲を払ってでも軍人になるのだ」と決めてしまう。
大人たちも、皇帝の出席するパーティで泣きじゃくり、「命も財産もお取りください、陛下!」と、ひたすらに繰り返す。
ロストフ老伯爵はこの日の出来事を涙なしには妻に語れなかった。そしてペーチャの願いもたちまち受け入れて、自ら息子の入隊申請に出かけたのであった。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
感動のあまり、千名の義勇兵とその経費を提供することを申し出たピエールは、フランス軍の進撃によって混乱するモスクワの町で、自分が生きてきた世界との違いに戸惑っていた。
「これは何だ? 誰だ? 何の罪だ?」彼は問い続けていた。だが、役人、町人、商人、百姓、布外套や毛皮外套を着た女たちからなる群衆は、ひたすら高台の上で起こっていることを食い入るように見つめるばかりで、誰一人彼に答える者はいなかった。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
この物語は、戦場と平時の街という二つの世界から構築されているが、ピエールは、ただ一人、民間人という立場から、二つの世界を行き来することができる存在として描かれている。
「こちら側の世界」と「あちら側の世界」を結ぶ不思議な役割が、ピエールには与えられていたのだ。
モスクワ最後の日がやって来た。晴れ渡った、のどかな秋の一日だった。曜日は日曜日。普段の日曜日と同じく、どこの教会でも礼拝式を告げる鐘が鳴り響いていた。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
無抵抗でフランス軍に明け渡されたモスクワ市街に、ピエールは残った。
そして、フランス軍の捕虜となって、農民兵(プラトン・カラターエフ)と出会い、自らの魂を救済して、日常世界へと復帰していくのである。
それは、かつて、エレーナの不倫相手(ドーロホフ)を殺し損ねたときのピエールとは、もはや別人のピエールだったに違いない。
「いったい何が起こったというのだ?」彼は自問するのだった。「僕は情夫を殺した、そう、殺したんだ、自分の妻の情夫をな。そう、それが起こったことさ。なぜ? どうしてそんなことになったのだ? それはあんな女と結婚なんかしたからだ」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
捕虜となっているピエールを救出したのが、かつての情夫(ドーロホフ)の部隊だったことは、人生の皮肉だが、ピエールが、その事実を知ることはない。
同様に、アンドレイ公爵は、かつて自分のフィアンセ(ナターシャ)を誘惑して、二人の結婚を台無しにしたアナトール(エレーナの兄)と戦場で再会する。
「おや! どういうことだ? なぜあいつがここに?」アンドレイ公爵は心に思った。たった今脚を切断された不運な、涙に掻き暮れた、無力な人物が、あのアナトール・クラーギンであるのを彼は知ったのだった。(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
瀕死のアナトールは、もちろん、隣にアンドレイ公爵がいることに気づく余裕なんてない。
『戦争と平和』では、人生の様々な皮肉が、様々な形で交錯しており、そこに人生というものの深みを生み出している。
この物語が、もしも、ただの戦記であったとするなら、ここまで共感することはできなかったかもしれない。
作者の戦争論は、もちろん興味深いものであるものの、それ以上に読者の心に訴えかけてくるものは、随所に描かれている、生きることの難しさだからだ。
「つまらないものも大事なものもない。すべて同じだ。ただできる限りのことをして、人生をやり過ごしさえすればいいのだ!」ピエールは考えるのだった。「ただ人生を、この恐ろしい人生を、見ずに過ごせればいいのだ」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
生きることの苦悩は、アンドレイにもニコライにも、ナターシャにもマリヤにも伺えるものだが、その象徴は、何と言っても「ロシアの不思議君(不思議ちゃん)」こと、主人公のピエール伯爵である。
ナターシャは素早くしかも慎重な動作で膝立ちのまま彼に近寄ると、そっとその手を取り、顔を寄せて、かすかに唇が触れるような口づけをした。「赦してください!」顔を上げ、彼を見つめて彼女はささやいた。「私を赦してください!」(レフ・トルストイ「戦争と平和」望月哲男・訳)
瀕死のアンドレイ公爵と再会したとき、ナターシャは、心から赦しを求める。
この赦しが、ナターシャの心を救い、やがてはピエールとの結婚へと結びついていくのだから、ピエールの存在は、やはり大きい。
本作『戦争と平和』は、ピエールとナターシャの結婚と、ニコライとマリヤの結婚という二組のカップルの成就によって、物語的には完結するが、彼らの人生は決して終わりではない。
ピエールとニコライとの論争の中には、新しい時代の到来を予感させる不穏な空気があるからだ(そして、ピエールを崇拝するニコーレンカ少年の存在も)。
それは、我々が生きている人生と同じように、我々が生きている社会も、また、区切ることのできない大きなドラマであることを示唆している。
ナポレオンがモスクワを制圧し、モスクワを撤退したという戦争ドラマは、長い歴史の中の、わずか一幕でしかない。
その一幕の中で、実に多くの人間の人生ドラマが始まり、盛り上がり、衰退し、そして、終わった。
ひっそりと死んでいったエレーナや、希望の中で戦死したペーチャは、こうしたドラマを支える登場人物の一人だったのだ。
村上春樹の『風の歌を聴け』は、学生運動の時代を寓話的に描いた物語として読むことができる。
あるいは、そこには、祖国戦争で戦い、死んだ若者たちの「不毛な死」が、重ね合わせられていたのではないだろうか。
戦争は、何かを生み出すということがない、非生産的で不毛な歴史である。
それでも、人々は、まるでネジを巻かれた人形のように、戦争というテーブルの上で踊り続ける(『ねじまき鳥クロニクル』のように)。
本作『戦争と平和』が残したものは、非力な人間という存在の虚しさである。
それでも、我々は、この虚しい人生を、生き続けていかなくてはならない。
何のために?
その答えを見つけられなかったものだけが、そっと消えていくのではないだろうか。
エンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降りて死んだ、デレク・ハートフィールドのように(「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」)。
書名:戦争と平和
著者:レフ・トルストイ
訳者:望月哲男
発行:2021/09/20
出版社:光文社古典新訳文庫