佐伯一麦『読むクラシック』読了。
本書は、2001年に集英社新書から刊行された音楽随想集である。
人生の辛い場面で聴こえてくるのがクラシック音楽
文学者の書く音楽随想というのは、ありそうでそんなにない。
クラシック音楽を聴く文学者が多くないのか、わざわざ書くほどの感想も持ち合わせていないのか。
あるいは、その両方なのかもしれない。
佐伯一麦の『読むクラシック』は、タイトルがおもしろい。
「音楽と私の風景」というサブタイトルが付いている。
結論から言うと、これは、音楽随想という枠の中に入れた著者の自伝のようなものだ。
人生の様々な転換期で出会ってきたクラシック音楽の作品が紹介されている。
例えば「高校時代の一人旅に」は、高校一年生の終わりに、北海道の稚内まで旅行をしたときのエピソードだが、進級できるか否か分からない不安から逃避するために、著者は夜行列車に乗った。
十六歳の三月の終わりだった。私は、旅先の北海道の稚内で、ふと見つけた名曲喫茶に、いそいそと入って行った。ヘッドフォンステレオなどというものはまだ無く、二週間ほど続いていた一人旅の中で、音楽に対する飢えが生まれていた。(佐伯一麦「高校時代の一人旅に」)
店内では、チャイコフスキーの交響曲第五番ホ短調が鳴っていた。
初めての失恋と、最北の街のチャイコフスキー。
安っぽいテレビドラマのようにできすぎた展開が、著者にとってひとつの「音楽と私の風景」だったのだろう。
あえて感傷的に綴られているせいなのか、音楽随想というよりは、私小説の中からクラシック音楽が聴こえてくるような重たさがある。
人生の辛い場面で聴こえてくるのがクラシック音楽ばかりで、文章を追いかけながら、いささか憂鬱な気持ちになったほどだ。
島田雅彦と小池真理子が登場
あれは私が作家としてデビューした夜だった。ホテルで開かれていた、その新人文学賞の授賞式のパーティーで、受賞者としてしゃちほこばっている私に、「これから二次会三次会と先輩作家たちに酒の席で揉まれることになるから、今のうちになるべく腹に詰め込んで体力をつけといたほうがいいぜ」とアドバイスしてくれた者がいた。(佐伯一麦「授賞式の夜に」)
このときの作家が島田雅彦で、散々酒を飲んで明け方、二人は一緒にタクシーに乗り込んで帰宅する。
やがて、二人の交流は活発なものとなり、島田雅彦が渡米したときにレコードコレクションの保存を引き受けたのが、佐伯一麦だった。
その中にあったバッハのゴルトベルク変奏曲は、ドミトリー・シトコヴェツキが弦楽三重奏に編曲したレコードだったという。
興味深いエピソードだが、ここでも音楽は、ドラマのBGMとして登場しているに過ぎない。
個人的な思い出の中で、クラシック音楽が鳴り響いているのである。
作家が登場する話をもうひとつ書き留めておく。
店の名は、「無伴奏」といった。高校時代の私は、仙台にあったその名曲喫茶で、多くの時間を過ごしたものだった。雑居ビルの地下へ降りていった所にある、煙草の煙が立ちこめる隠れ家のような空間で、バロック音楽を聴きながら、本を読み、ときには小説の習作をノートに記した。(佐伯一麦「通いつめた名曲喫茶に」)
名曲喫茶「無伴奏」は、高校時代を仙台で過ごした小池真理子も小説に書いている。
タイトルは、まさしく『無伴奏』だった。
思うに、音楽随想というのは(特にクラシック音楽の場合は)、あまりベタベタしていない方が読みやすいものらしい。
小難しい評論も敬遠したいが、個人的な感傷を押しつけられるのも辛い。
こういうのも共感性羞恥っていうのだろうか(笑)
書名:読むクラシック—音楽と私の風景
著者:佐伯一麦
発行:2001/10/22
出版社:集英社新書