源氏鶏太「英語屋さん」読了。
本作「英語屋さん」は、1951年(昭和26年)の『週刊朝日』に発表されたサラリーマンものの短編小説である。
この年、著者は39歳だった。
作品集としては、1951年(昭和26年)に文藝春秋新社から刊行された『ホープさん』に収録されている。
なお、源氏鶏太は、本作「英語屋さん」ほか「台風さん」「御苦労さん」の三作によって、1951年(昭和26年)、第二十五回直木賞を受賞している。
嫌われ者の主人公に対する妙な親近感
直木賞受賞作三作を読み比べたとき、本作「英語屋さん」が筆頭に並べられるのは、至極当然のことと感じられた。
主人公は57歳の嘱託社員<茂木祖一郎>は、英語力が買われて現在の会社で働いているが、学歴が十分ではない上に、人間性に問題があるということで、生涯、正社員にはなれなかったサラリーマンである。
とかく不平不満しか言わない茂木さんは、社内でも浮いた存在となっているが、本作は、そんな茂木さんの内面に深く切り込んでいる。
この小説のポイントは、短い物語を読み終えた後に残る、嫌われ者の主人公・茂木さんに対する妙な親近感だろう。
同じ嫌われ者の社員を主人公<武田>に据えた「台風さん」では、最後まで身勝手な武田に対する親近感は沸いてこないのに、「英語屋さん」では、いつの間にか嫌われ者の茂木さんに、読者は感情移入することになる。
「何をいうか。わしはお前を理解してやったからこそ、叱ったんだ。いいか、お父さんが今日まで会社で嘱託なんて毎日肩身のせまい思いをしているのは、大学を出ていないからだ。小学校しか出ていないからだ。わしはお前にそんな肩身のせまい悲痛な思いをさせたくないから、何んとしても大学を出してやりたかったんだ。お父さんはどんな無理をしてでも大学出の会社員にしてやりたかったのだ。それが、わしの夢であった!」(源氏鶏太「英語屋さん」)
芸術家を目指して学業を放棄してしまった息子に、茂木さんはそんな言葉を投げつける。
会社で嫌われ者の茂木さんが、どうして、そんなに憎まれ口を叩くのか、そんな内面を垣間見ることのできる、この場面は良かった。
どんなにとっつきにくい人であっても、その内面に関わっていくことで、あるいは、人間というのは分かり合えるものかもしれない。
この物語は、そんな希望を与えてくれるサラリーマン小説である。
生きづらさを感じているビジネスマンが主人公
「英語屋さん」の優れているところは、主人公・茂木さんの内面をあぶり出すための巧妙な仕掛けである。
嫌味なライバル<尾田与四郎>や、勝手に「子分」にさせられてしまった<風間京太>、茂木さんが秘かに恋心を寄せる<平六のおかみさん>など、個性豊かな登場人物が、それぞれに茂木さんと関わりながら、茂木さんの過去や性格を少しずつ浮かび上がらせている。
外へ出ると、初秋の空に、月が明るく輝いていた。まだ終電車に間があった。ふたりは淀川の堤防の上を歩いて、阪急の十三駅の方へ行った。淀川の流れが聞えるようである。こんな夜更けに、おかみさんと肩を並べて、こんな風にゆっくり歩くのは、京太にとって一種の情緒が感じられて、悪くなかった。(源氏鶏太「英語屋さん」)
あるいは、短篇ではなく長篇小説として構成されたとしても、十分に通用するキャラクター設定ではないかと感じた(ちなみに、本作で「子分」にさせられてしまう風間京太は、「台風さん」では課長に昇任して登場している)。
源氏鶏太と言えばユーモア小説の印象が強いが、本作「英語屋さん」は、エンタメ小説でありながらも、人間のペーソスを強く感じさせる文学作品となっている。
ここでは、直木賞三作の中で、唯一「御苦労さん」だけが、ライトノベル的なユーモア小説の色彩が強いということに注意しておきたい。
茂木さんのように、人並み以上にスキルを持ちながら、コミュニケーション上の課題を抱えているビジネスマンというのは、現在こそ珍しくないのではないだろうか。
本作「英語屋さん」は、そんな生きづらさを感じているビジネスマンが主人公の、悲しきサラリーマン文学だと思う。
作品名:英語屋さん
著者:源氏鶏太
書名:英語屋さん・初恋物語
発行:1959/3/30
出版社:角川文庫