映画体験

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』未来を変えるチャンスは誰にだってある

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』未来を変えるチャンスは誰にだってある

ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」読了。

本作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、1985年(昭和60年)9月に新潮文庫から刊行された長編SF小説である。

原題は「Back to the Future」。

スティーヴン・スピルバーグ監督『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ノベライズ作品。

未来を変えるには、現在の自分を変えるしかない

人は未来を変えることができるのだろうか?

その答えが、本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中にある。

主人公(マーティ・マクフライ、17歳)は、プロのロック・ミュージシャンを目指す高校生だった。

ロック・バンドこそマーティのすべてなのだ。(略)マーティは自分に才能があること、ロックのスターになる可能性があることを承知していた。(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

しかし、YMCAのダンス用のオーディションに失敗した今、彼は「R&Gレコード」にデモテープを送ることさえためらっている。

挑戦してみる価値はある。マーティはそう思った。送ればいいんだ。だが暗い思いが彼をためらわせる。なんのために送るんだ? また拒絶されるためか?(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

彼が前向きになれない要因は、彼の父親(ジョージ・マクフライ、47歳)の影響を受けているためだ。

後ろ向きで、勇気のない父親の影響を、彼の家族はみな受けていた。

「マーティ、とうさんの言うとおりさ」デイブは父親をからかうように、茶化した口調で言った。「おまえに必要のないものがあるとすれば、それは頭痛の種というやつだ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

マーティは、勇気のない父親を尊敬することができない。

高校の教師さえ、父を馬鹿にしていた。

「まったくのところ」ストリクランドは耳ざわりな声で言った。「きみを見ていると、きみのおとうさんを思い出すよ。彼もまた低能だったな」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

実際、父親には覇気というものがなかった。

上司(ビフ・タンネン)に利用され、無茶な要求をされても、嫌だと拒絶することができない(「だが、事実は、わたしに闘志がないということにすぎない」)。

「一度でいいから、やってみてよ、とうさん」マーティは思いきって言った。「一度でいいから “ノー” と言ってよ。ノーと。とうさんが考えているほどむずかしくないよ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

父親を好きだからこそマーティは、ジョージの情けない父親像に我慢することができなかったのだ。

父親(ジョージ・マクフライ)は、息子(マーティ・マクフライ)と並んで、この物語の主人公である。

煮えきらない家族に囲まれて、煮えきらない日々を過ごしていたマーティは、ある日、科学者(ドク・ブラウン)に誘われて、タイム・トラベルの実験に(記録係として)参加する。

「こんばんは。わたしはドクター・エメット・ブラウンです。わたしは今、トゥイン・パインズ・ショッピングセンターの駐車場にいます。今日は一九八五年十月二十六日、土曜日の早朝です。午前一時十九分。これから時間実験その一をお見せします」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

1985年(昭和60年)10月26日(土曜日)の深夜未明。

実験中にテロリストの襲撃を受けたマーティは、ドクの開発したタイムマシン(デロリアン)に乗って、過去へタイム・トリップしてしまう。

たどり着いたのは、30年前の1955年(昭和30年)11月5日だった。

今、上映中の映画のタイトルが赤い字で大書されている。バーバラ・スタンウィック、ロナルド・レーガン主演『バファロウ平原』。(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

この時代で、マーティは、30年前の(17歳だった頃の)父親(ジョージ)と出会う。

ジョージは、相変わらず、無気力で勇気のない高校生だった。

「いやだよ」ジョージはぼそぼそと答えた。「だって、気に入ってもらえなかったら、どうするんだい? よくないって言われたらどうする? 小説もぼくもさ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

SF小説を書く作家になりたいと、ジョージは考えていた。

しかし、あと一歩の勇気をだすことができないでいる。

「きみは自分の信念のために立ちあがるべきだよ。カレッジで何を専攻したいの?」ジョージは目を輝かせて話しだした。「創作かジャーナリズムを勉強したいんだ。小説を書くのが……ぼくのいちばんの楽しみなんだよ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

それは、レコード会社にデモテープを送ることができないでいる(30年後の)マーティの姿でもあった。

マーティの胸につぎつぎといろいろなことばが浮んだ。度胸? 勇気? 根性? 言いかたはちがっても、意味するものはみな同じだ。ジョージ・マクフライは単に、精神的にも肉体的にも、軋轢に耐える肚をもちあわせていないだけだ。彼がほしいのは、そっともぐりこみ、残りの人生をむしろ眠って過すための、やわらかくて暖かい繭なのだ。(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

ジョージが積極的になれない原因も、やはり、彼の父親(アーサー・マクフライ)にあった。

マーティの祖父にもなるアーサーは、「カレッジへ進学したい」という息子(ジョージ)の希望を、簡単に踏みにじっていく。

「おまえに勝ち目はないよ」アーサー・マクフライは断言した。「それにたいていの場合、勝ち目のないことはうまくいかないものだ。おまえが入学できるチャンスは、ごくごく薄い」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

父親(アーサー)を克服し、カレッジへ進学しなければ、ジョージの未来は、相変わらずグズグズとしたものになるだろう。

ジョージは、好きな女性(ロレイン・ベインズ)にも消極的な男子高校生だった。

「どうすればいい?」「きみがいくじなしじゃないってことを、彼女に見せることから始めたらどうかと思う」「だけど……ぼくはいくじなしだよ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

いずれマーティの母親となるはずのロレインは、勇敢なマーティを好きになり始めていた。

「あれ、カルバン・クラインよ!」ロレインが友人たちに叫ぶ。「マーティのことよ! ああ、理想の男性だわ!」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

交通事故に遭ったマーティを介抱したとき、下着に書いてあるブランド名を読んだロレインは、マーティの名前が「カルバン・クライン」であると思いこんでいる。

ロレインは、すっかりとマーティに夢中だった。

「彼、すばらしく魅力的でしょ?」ロレインは熱狂的に言った。「あんたに秘密を教えてあげるわ。あたし、彼と結婚するつもりなの」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

ロレインがジョージと結婚しなければ、未来が変わり、二人の息子であるマーティは生まれないことになってしまう(これが「タイム・パラドックス」だ)。

マーティは、この時代の(1955年の)ドクを見つけだし、過去へ戻る相談をする。

同時に、彼は、ジョージ(父)とロレイン(母)を結びつける工作もしなければならなかった。

マーティは、弱虫のジョージに喧嘩の手ほどきをした上で、ジョージがロレインをものにするための小芝居まで仕組んでしまう。

「失礼」クリント・イーストウッドそっくりの、そっけない、腹に響くような声でいった穏やかなひとことは、気迫充分だった。ジョージは片手でディクソンを十フィートも突きとばし、もう一方の手でロレインを胸に引き寄せた。(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

「魅惑の海底」パーティーでキスをした二人は、(予定どおり)恋人同士となった。

過去は(あるいは未来も)守られたのだ。

ビフを倒し、ロレインをものにした成功体験は、ジョージをすっかりと変えてしまった。

「あたし、来年はカレッジへ行きたいと思ってたの」「ぼくもそうだよ」ジョージは言った。「おやじがなんと言おうと、行くつもりなんだ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

やがて、ドクの協力で1985年(昭和60年)の世界へ戻ったマーティは、新しい未来を知る。

その世界では、父も母も、兄や姉も、すっかり立派な人間へと変わっていたのだ。

「マーティ」父親は言った。「いつもおまえに、なにごともささやかな自信が必要だと言ってるじゃないか。一心にやりさえすれば、なんでもできる」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

ジョージは、すっかりと威厳ある父親像を身につけていた。

過去の自分を変えることで、ジョージは未来を変えたのだ。

父(ジョージ)の変化は、息子(マーティ)をも変えた。

「いいじゃないか」マーティはひとりごとを言った。「ぼくの音楽は三十年間、当ってるんだ。勝つに決まってる」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、父と子の物語である。

父が変わることで、子どもたちにも変わるチャンスがあることを、この物語は教えてくれる。

そして、何よりも大切なことは、未来を変えるチャンスは誰にだってある、ということだ。

未来を変えることとは、つまり、現在を変えることである。

すべての未来が、現在の自分の行動によって導かれたものである以上、未来を変えるには、現在の自分を変えるしかない。

やがて、ヒル・バレーの市長になるゴールディは、ソーダ・ショップで皿洗いをしながら、未来の自分を信じていた。

「あたしはここで一生を送る気はない。自分の力でなにごとかをなしたいんです! 夜学に通うつもりですよ。毎晩ね。ひとかどの人間になりたいんだ!」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

ゴールディの信念は「人生でなにかやるつもりなら、自分を大事にしなくっちゃあ」だった。

三世代の主人公が時間を超えて助け合う

本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、マーティ・マクフライ(17)とドク・ブラウン(65)との友情の物語でもある。

「ドク、あなたにはうまくできるはずだと、ぼくにはわかってる。どうしてかというと、あなたがあなた自身を信じているよりも、ぼくの方があなたを信じているからかもしれない」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

二人を繋いでいるのは、信頼という名の絆である。

街の人々にとってドクは、有名な変人だった。

「五セントの価値があるアドバイスを、無料でしてあげよう」ストリクランドは言った。「あのドク・ブラウンという人物は、厄介者だ。本物の奇人だ。危険だとさえ言えるかもしれん」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

それでも、マーティはドクを信頼していた。

だからこそ、ドクがテロリストに射殺されたときの衝撃は大きかったのだ。

1955年(昭和30年)のドクに、マーティは(30年後の)テロリストの存在を、必死で知らせようとする。

「未来です!」マーティは叫んだ。「ぼくがこれから帰る夜に、テロリストたちがやってきて、あなたを──」「テロ──なに?」「テロリスト!」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

父(ジョージ)と母(ロレイン)の恋愛という未来を守ったマーティは、ドクの死という未来を変えることにも成功する。

過去のドクは、未来から来た少年(マーティ)の警告を受け容れたのだ。

ドクはポケットから、一九五五年にマーティが書いた手紙を取りだした。手紙は黄ばみ、ぼろぼろになっているし、つなぎあわせてあるスコッチ・テープは、ひからび、今にもはがれ落ちそうだ。(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

ドク・ブラウンは、この物語の(さらに)もう一人の主人公である。

マーティ・マクフライ(17)、ジョージ・マクフライ(47)、ドク・ブラウン(65)。

三世代の主人公が時間を超えて助け合う、この物語には、確かに「未来」が感じられる。

「ひどかったな」マーティはつぶやいた。「ひどいところだった。音楽は最低だし──ヒューイ・ルイスがいないんだよ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌は、ヒューイ・ルイスの『The Power of Love』である。

ロックン・ロールのない時代に、マーティはロックン・ロールを叫んだ。

「あと一曲、やります。ぼくがいたところでは、これをロックン・ロールと呼んでいます!」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

映画では、チャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』が演奏された場面として印象深い。

マーティは、(1955年という時代に)新しい音楽を産み落としたのだ。

30年という時間は、時代を変えるに十分な時間だった。

「つまり、わたしたちの時代はかなり進歩しているということだ。立体映画もあれば、ハイ・ファイ音楽もあるし、フランク・シナトラもいれば、インスタント・コーヒーもある」「だって、それなら、一九八五年には、MTVに、コンパクト・ディスク──」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

重要なことは、人は誰しも、自分の生きた時代を愛している、ということではないだろうか。

1955年(昭和30年)の世界に迷いこんだマーティが愛しているのは、もちろん、1985年(昭和60年)の世界だった。

「わからないんですか、ドク? ぼくには一九八五年の生活があるんだ。それが好きだし、そこに帰りたいんだ」(ジョージ・ガイブ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」山田順子・訳)

大人は過去を懐かしむことがある。

しかし、人は「過去」に生きることはできない。

人は「現在」に、もっと言えば「未来」にしか生きることができないのだ。

本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、未来を生きるために、現在へと帰っていった少年の物語である。

80年代を生きた僕たちは、この映画から勇気をもらった。

もしかすると、多くの「未来」が、この映画によって変えられたのかもしれない。

書名:バック・トゥ・ザ・フューチャー
著者:ジョージ・ガイブ
訳者:山田順子
発行:1985/09/25
出版社:新潮文庫

 

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懐究堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。