読書体験

村上春樹「クリーム」自分自身を磨き、人生の理不尽を乗り越えろ

村上春樹「クリーム」あらすじと感想と考察

村上春樹「クリーム」読了。

本作「クリーム」は、2018年(平成30年)7月『文学界』に発表された短編小説である。

この年、作者は69歳だった。

ちなみに、このときの『文学界』には「三つの短い話」として、本作のほか「石のまくらに」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」が掲載された。

作品集としては、2020年(令和2年)7月『文藝春秋』から刊行された『一人称単数』に収録されている。

なお、本作は、国語の教科書『文学国語』(教研出版)に採用された。

いかにも国語の教科書に載っていそうな物語

いかにも教科書に載っていそうな話だなあ――というのが、読み終えた瞬間の、最初の感想である。

いかにも村上春樹らしくもあり、説教くさくもある。

そういう意味では、いかにも教科書に載っていそうな物語なのだ。

この小説でいちばん大切なポイントは、語り手の<ぼく>が、人生の教訓について年下の友人に語る場面だ。

ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない。しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。そんなときは何も思わず何も考えず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな。大きな波の下をくぐり抜けるときのように。(村上春樹「クリーム」)

例えば、それは、かつて同じピアノ教室に通っていた女の子から届いた、偽物の招待状のようなものだ。

「かつがれたかもしれない」と考えたとき、<ぼく>はパニックに陥るが、そこに現れたのが、その謎の老人だった。

「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」と老人は額のしわを深めて言った。「そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」(村上春樹「クリーム」)

もちろん、そんな円はない。

しかし、その後<ぼく>は、人生で理不尽な思いをするたびに、老人の言葉を思い出すようになる。

彼にとって、それは、ひとつの成長のための物語だった、ということなのだろう。

「何も思わず何も考えず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな」は、村上春樹のデビュー作となった『風の歌を聴け』(1979)に通じるものだ。

出典は、トルーマン・カポーティ『最後のドアを閉めろ』で、「もうなにひとつなにも考えるまい。風を思え」という最後の文章が、本作『クリーム』との共通点となっている。

カポーティの『最後のドアを閉めろ』は、村上春樹の新刊『草の竪琴』(2025)に収録されている。

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年老いた作者は、若き日の作者に呼びかけている

作品タイトルの「クリーム」は、老人の言葉に由来している。

「フランス語に『クレム・ド・ラ・クレム』という表現があるが、知ってるか?」と、老人は言う。

クリームの中のクリーム、とびっきり最良のものという意味や。人生のいちばん大事なエッセンス――それが『クレム・ド・ラ・クレム』なんや。わかるか? それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや。(村上春樹「クリーム」)

この老人は、おそらく作者自身だろう。

そして、不思議な体験をした<ぼく>もまた、若き日の作者自身である。

年老いた作者は、若き日の作者に呼びかけているのである。

自分を磨けと。

へなへなと怠けていたりせずに、自分自身の『クレム・ド・ラ・クレム』を手に入れろと。

本当の自信を持っていれば、理不尽なことに屈したりすることもない。

大切なことは、自分に自信を持つことなのだ。

この不思議な体験をきっかけに、怠け者の浪人生だった<ぼく>は再生する。

急流はもうどこかに去っていた。港の上空で、それまで空を覆っていた密な灰色の雲がところどころで途切れ始めていた。小さく開いた雲の隙間から一条の光が差し、クレーンのハウスのアルミニウムの屋根を輝かせた。(村上春樹「クリーム」)

風景描写が、主人公の心理描写を反映させているように、<ぼく>の復活はめざましい。

人生には、正解のない難問がたくさんあるんだっていうことを、謎の老人は教えてくれた。

そして、本当に大事なことは、一生懸命に考えることなんだということを。

良い物語だけど、こういうお話って、やっぱり教科書っぽいよね(それが良いとか悪いとかは別にして)。

作品名:クリーム
著者:村上春樹
書名:一人称単数
発行:2020/07/20
出版社:文藝春秋

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懐究堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。