「ユウイチが死んだってよ」
あいつのメッセージを見たとき、僕はユウイチという名前の少年を、すぐには思い出すことができなかった。
そして、懐かしい少年の顔を思い出すと同時に、古い記憶の向こう側から流れてきたのは、クリスタルキングの『時流』だった。
ユウイチは、小学校時代に仲の良かった友人だ。
僕とアイツとユウイチは、毎日のように放課後集まって、くだらない遊びに熱中した。
小さな炭鉱町のことで、僕らの行き場なんてどこにもなかった。
気の合う仲間が、ただ顔を揃えているだけで安心できる、そんな故郷だったのだ。
僕の記憶の中でユウイチは、なぜかいつもクリスタルキングの『時流』を口ずさんでいる。
1979年、彗星のごとく現れて『大都会』をビッグヒットさせた伝説のロックバンド、クリスタルキング。
今のようにiPhoneでヒット曲を聴く時代じゃなかったから、僕らは貴重なお小遣いで買ったシングルレコードを、A面からB面まで舐めるように繰り返し聴いたものだ。
『時流』は、古い友人を思い出しながら、時の流れに思いを馳せる、いささか年寄りじみたバラードだった。
裏切りさえ許し合えると 思えた日が遠去かる
いつの日かめぐり逢えても あの頃に戻れない
俺達の熱い日々を語るには早すぎる
俺はいま 過ぎたことに こだわらず生きていこう
俺達の熱い日々を語るには 今はまだ若すぎるよ
クリスタルキング「時流」
作詞:阿里そのみ、作曲:安部恭弘。
果たして12歳の少年に『時流』という曲が理解できたのかどうか、僕には分からない。
僕たちに分かっていたのは、僕らはいつまでも3人のままではいられないだろうということだけだった。
まるで、映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように、僕らには、僕らのバラバラの将来がはっきりと見えていたのだ。
もしかすると、ユウイチは、少年の日の今を、いつか『時流』のように懐かしく思い出す日が来るだろうことを、予感していたのだろうか。
小学校を卒業して中学生になると、極めて自然に僕らは疎遠になった。
高校に進学した時、ユウイチの姿は既になかった。
時の流れという日常生活の中で、早くもユウイチは「昔の友人」となってしまったのだ。
あれから40年。
アイツのメッセージを読みながら、僕は遠い昔に親友だった一人の少年のことを思い出している。
そして、iPhoneから流れてくるクリスタルキングの懐かしい『時流』。
めぐりゆく時の流れに
俺達はさすらう
友情と呼ばれもしたが
俺達のつながりはもろすぎたよ
クリスタルキング「時流」
いつの間にか、僕たちは、こんなにも遠くまで来てしまった。
かつてクリスタルキングが「あの頃に戻れない」と歌った、あの予言のとおりに。