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バルザック『ゴリオ爺さん』に学ぶ「身の丈ライフ」とは? 背反性の中で葛藤する若者の苦悩に共感

バルザック『ゴリオ爺さん』に学ぶ「身の丈ライフ」とは? 背反性の中で葛藤する若者の苦悩に共感

オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」読了。

本作「ゴリオ爺さん」は、1835年にヴェルデ書店(フランス)から刊行された長編小説である。

原題は「Le Père Goriot」。

この年、著者は36歳だった。

上流社会と下層社会とのコントラスト

『ゴリオ爺さん』には、二つの世界が描かれている。

貧しい庶民が生きる貧困社会と、貴族が生きる上流社会だ。

主人公(ウジェーヌ・ラスティニャック)は、貧民街の貧乏下宿「ヴォケール館」で暮らす貧しい学生だった(法律を勉強中)。

ヴォケール館は、「パリのなかでもこのあたりほど醜く、知られざる界隈はない」という、ヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーヴ通りにある。

この玄関サロンには、名状しがたい、「下宿臭」としか呼びようのない異様な匂いがした。むっとするような、かび臭い、饐えた匂いだ。嗅ぐと寒気がし鼻水が出る。衣服にも染みつく。食後の食堂のような匂いがする。食事が匂うのか、調理場が匂うのか、救済院のような匂いもする。カタルを誘発しそうな悪臭だ。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

もっとも、隣にある食堂と比べると、この玄関サロンでさえ「エレガントで芳しい貴婦人の居間のように思えてくるだろう」とある。

ようするに、その場を支配しているのは詩情のない貧困なのだ。けちけちとした、寄せ集めの、みすぼらしい貧困であり、泥まみれとまではいかないまでも、すでに染みはあるし、穴や裂けめがないとしても、いずれは腐敗が待っているのである。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

ラスティニャックは、この貧乏下宿で「ゴリオ爺さん」と知り合った(「民間型の救済院のごときその下宿」で)。

本作『ゴリオ爺さん』は、貧しい学生(ラスティニャック)が、ゴリオ爺さんの影響を受けて人生のステップを踏み出すという、ひとつの成長物語である。

製麺業で成り上がったゴリオ爺さんは、かつて裕福な暮らしをした人で、二人の娘を上流社会へと嫁がせていた。

主人公ラスティニャックは、ゴリオ爺さんの娘に接触して、上流社会に参画しようと目論んでいる。

そもそも、ラスティニャックの実家は田舎の貴族で、経済的に苦しい生活を送っているとは言え、出自は悪くなかった。

実家から、上流社会のトップに君臨する「ボーセアン夫人」を紹介された主人公は、貧乏下宿に暮らしながら、上流社会に参画し始める。

金のない貧乏学生が、貧民街と上流社会を行ったり来たりする様子は、それだけで十分に物語性を有していると言えるだろう。

二つの世界は、見えない強固な壁で区切られていて、そこに交流というものは存在しない。

唯一、主人公だけが、二つの世界を往還できるのであって、まるで天下の大将軍が、庶民の街を匿名で歩くような楽しさが、そこにはある(実際には貧乏なラスティニャックの場合、立場が反対だったが)。

貧困社会と上流社会との過激なコントラストは、いよいよ主人公を、無謀とも言える挑戦へと駆り立てていく。

貧乏人が、困窮生活から手っ取り早く抜け出すためには、財産持ちの女を利用するに限る。

「計算高く冷徹になればなるほど、あなたは出世するでしょう」と教えてくれたのは、ボーセアン夫人だった。

相手を殴るときは情け容赦なくやりなさい。そうすれば人から怖がられます。相手が男だろうが女だろうが、郵便馬車のように扱えばいいのです。使えなくなったら次の中継所で交換すればいいのです。そうすればあなたが望む最高の場所に到達できるでしょう。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

「他者を馬車馬のように扱う」というのは、上流社会の掟だった。

「あなたには若くて金持ちで上等な女性が必要です」というボーセアン夫人の助言に従って、主人公は、レストー夫人とニュッシンゲン夫人に近づこうとする(この二人が、ゴリオ爺さんの娘だった)。

上流社会のやり方はシンプルだ。

「好きになれそうなら、あとから愛してやりなさい。好きになれないときは、ただ利用なさい」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

「金持ちのあいだでは、法律も道徳も無力なのだ」「富こそが美徳だ!」という言葉を、主人公は、無理にも信じなければならない(文庫本の帯にある「世の中カネがすべてなのさ」は、ここから来ている)。

ぼくたちの未来はこの金にすべてかかっているのです。ぼくはその金で戦闘を開始します。というのは、パリでの生活は、終わりのない闘いなのです。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

ところで、人間には二種類の人間がある。

野心のままに生きる人間と、良心に従って生きる人間の二種類だ。

田舎の実直な家庭で育てられた主人公は、良心に従って生きる、まともな人間だったから、「金のためなら何でもする」と割り切ることができなかった。

若者の葛藤は、この物語を貫く大きな主題となっている。

物語を大きく動かす役割を担って登場してくるのが、貧乏下宿に暮らす謎の中年男「ヴォートラン」である。

ヴォートランは、金のためなら殺人だって否定しないという、筋金入りの野心家だ。

「不正に手を貸せるのなら、きみは四十歳で検事長になれるだろうな。そして議員になれるかもしれない。わかるだろう、坊や、おれたちはちっぽけな良心に汚点や疵をつけて生きていくのさ」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

「きみはひとがどうやって出世の道を切り開くか知っているか? 才能を閃かせるか、さもなければ汚い手を使うのさ」と、ヴォートランは言った。

悪魔のような囁きを受けて、若者は、良心と野心との間で苦悩する。

ヴォートランやボーセアン夫人が野心の象徴なら、良心を象徴するのは、故郷の家族と親友の医学生(ビアンション)だろう。

「いったいどんな苦難と闘っているのですか? あなたの人生や、あなたの幸せは、本当に、そんなあなたらしくもない格好をすることにあるのでしょうか?」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

高級なスーツを買うためのお金を無心する息子に、母親は疑問を投げかける(でも、お金は出してくれた)。

意外と重要な役割を果たしているのが、愛すべき医学生のビアンションだ。

おれたちの幸せってのはさ、どこまでいってもおれたちの足の裏と頭のてっぺんから離れやしないんだよ。その幸せに年一〇〇万フラン掛かろうが、一〇〇ル[=二〇〇〇フラン]しか掛かるまいが、おれたちが知覚できることは同じなんだ」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

「おれたちの幸せってのはさ、どこまでいってもおれたちの足の裏と頭のてっぺんから離れやしないんだよ」というビアンションの言葉は、この物語で最も現代性を有する名言だ。

要は「身の丈に合った生活をしよう」ということである(「身の丈ライフ」「身の丈生活」)。

もしかすると、人間のライフスタイルというのは、時代が変わったからといって、基本的な部分で大きく変わるものではないのかもしれない。

本作『ゴリオ爺さん』は、そんなライフスタイルを考えさせてくれる物語としても読むことができる。

上流社会と下層社会との間で翻弄されて死んでいく

成り上がり者のゴリオ爺さんは、上流社会と下層社会との間で翻弄されて死んでいく人物として描かれている。

彼はそのぶんぶんうなりをあげるミツバチの巣のような世界に向かって、まるでいまから蜜を吸い上げようとする視線を投げ、そして言い放った。「今度はおれが相手だ!」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

ゴリオ爺さんの死にあたり、上流社会の現実を直視した主人公は、「今度はおれが相手だ!」と叫ぶ。

それは、良心を抱いたままで上流社会に立ち向かっていった、ゴリオ爺さんの遺志を継いだものではなかったか。

ラスティニャックは、社交界との闘いを開始すべく「ニュッシンゲン夫人」の家へと出かける。

「ニュッシンゲン夫人」は、もはや愛すべき「デルフィーヌ」ではなかった。

日本風に言えば、主人公は「一皮向けた」新しい自分となって、上流社会との闘いに挑もうとしていたのだろう。

ゴリオ爺さんの死に際、実に多くの真実が、次々と明らかになっていく。

誰一人として勝者のいない上流社会の闇も、また、その一つだろう。

(夫ではない)恋人に去られたボーセアン夫人は社交界を引退し、上流階級に嫁いだゴリオ爺さんの娘たちは、その実、資金繰りに悪戦苦闘していた。

「そうだ」ウジェーヌは床に就きながら思った。「おれは人生を通して正直な人間でいよう。おのれの良心の声に従うのは気持ちがいいものだ」(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

激しい葛藤の中、ラスティニャックがヴォートランの誘惑に負けなかったのは、家族の強い愛情に支えられていたおかげだった。

彼の思いは家族の中心へと戻っていった。あの静かな生活にあった清らかな感動が甦った。愛する人々に囲まれて過ごした日々が思い出された。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

ラスティニャックの家族に対する愛情には、上流階級へ嫁いで、ゴリオ爺さんの愛情を忘れてしまった娘たちとの対比がある。

上流社会と下層社会、良心と野心という二つの対比軸が、この物語を構築する大きな核となっているのだ。

そして、主人公ラスティニャックは、二つの価値観の中で、常に葛藤し続けている。

ゴリオ爺さんの葬式に、娘たちは現れなかった。

金のない貧乏な学生たちが、葬式代を工面しなければならなかった。

ラスティニャックはポケットを探ったが空っぽだった。クリストフに二〇スー借りるはめになった。それ自体は実にささいな出来事だったが、ラスティニャックのうちに猛烈な悲しみを引き起こした。(オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」中村佳子・訳)

黄昏の湿った空気が感傷を呼び起こしたとき、ラスティニャックは墓を見つめ、「若者として落とす最後の涙」を埋葬した。

主人公ラスティニャックが、生まれ変わった瞬間である。

直後に叫んだ「今度はおれが相手だ!」というラスティニャックの言葉は、真に迫っている。

彼が闘おうとしている相手は、いったい何なのか?

ラスティニャックの新しい物語が、ここから始まることは間違いない。

もしかすると、ゴリオ爺さんは、自らの死をもって社会の現実というものを、ラスティニャックに教えてくれたのかもしれない。

書名:ゴリオ爺さん
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:中村佳子
発行:2016/09/20
出版社:光文社古典文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。