ライフスタイル

古いガラスコップで日々の暮らしを豊かなものにしよう

ガラス集め

ガラスを集め始めた頃、僕はガラス製品であれば、何でもかんでも買い集めようと思っていた。ガラス食器からインク壺、ガラス時計に至るまで、ガラスを使った雑貨は実に多様だった。そして、実際に僕は、ガラスの雑貨でおもしろいと思ったものを、手当たり次第に買い集めていたのである。

けれども、やがてそんな作業は虚しいということに気が付いた。骨董市にはほとんど無限とも言えるようなガラス製品が溢れていたし、そんなガラス製品をとりとめもなく集めていく作業には、あまりにも意味がないと考えたからだ。大体、経済的なことだけを考えても、個人の趣味で、そんなことを続けていけるはずもない。

ガラスコップ集め

僕はガラスコップとガラス瓶を集める人間になった。それは、ガラスコップとガラス瓶が、純粋に集めていて楽しいと思えるアイテムだったからだ。そして、どちらも骨董市では大量に並べられている、手に入れやすいアイテムであった。

実は、その頃、和ガラスと言えば、「氷コップ」と呼ばれる、かき氷を食べるときに使う器が人気だったけれど、大正時代の氷コップは、既に相場が相当に高騰していて、入門者が新たに参入する分野としては現実的ではなかった。一方で、普通のガラスコップは、サラリーマンが小遣い銭で買うことのできる、安価な骨董品だった。僕は、明治時代から昭和初期にかけて日本で作られたガラスコップを、少しずつ集めていった。

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ガラスコップで学ぶ時代の変化

骨董品としての魅力は、素朴な明治時代のガラスにあった。野趣溢れる明治期のガラス器は、無骨な中にも日本人らしい繊細な気遣いがあった。分厚くて重たいガラスの塊のようなガラスコップにも、微妙なデザインが施されていた。

昭和初期になると、生活雑貨としてのガラスコップは明らかに上等なものへと進化していた。生活雑貨が、あたかも芸術品かのような品格を持ち始めていた。一般市民の文化が急速に向上していることを、ガラスコップは物語っていた。

戦後間もない時代のガラスコップを、僕は好きだった。敗戦後の物資の乏しい時代に造られたガラスのコップは、粗雑でみすぼらしかったけれど、粗雑でみすぼらしい中に、日本人の生きる力が感じられるような気がした。

昭和30年代に入ると、ガラスコップは再び美しい復活を遂げた。上等な品質で優れたデザインのものが、庶民の暮らしの中に定着し始めたのだ。ガラスの器は、もはや市民の生活の中で欠くことのできない存在だった。

ガラスコップを集めながら、僕は日本の庶民の人たちが、どのような時代を生きてきたのかということを、同時に学んでいたのだと思う。殖産興業の時代があり、戦争と敗戦があり、高度経済成長の時代があった。どんな時代も、庶民はたくましくガラスコップとともに日々の暮らしを生きてきたのだろう。

魅惑のガラスコップ

ガラスコップの蒐集と言うと、ビール会社の会社名がプリントされているような企業モノが注目されやすいが、僕は一般家庭で使われていたような、無銘のコップが好きである。特に、昭和初期に製造されたものは品質も高くて、現代の暮らしの中でも問題なく使用することができる。厚手のガラスを鋭利にカットしたもので、コップとソーサがセットになっているものは、ほぼ昭和初期に売られていたものだろう。

ビアホールで使われていた鼓型のビールコップは例外で、これは会社名の有無にかかわらず集めている。サッポロビールのビアホールで使われていた大ぶりのコップは、ウランガラスが含まれていることから昭和初期のものだと分かる。いつかサッポロビール博物館を見学したときに、同じものが展示されていた。

大正時代の氷コップではないけれど、大衆食堂でかき氷を食べさせるときに使っていたプレスガラスの氷器は、僕も好きだ。深皿に脚が付いた形のもので、今もかき氷というと、こんな形をしたプラスチックの器で食べさせるところがある。プレスガラスの具合があまり上等でないと、古き時代が偲ばれて、つい微笑んでしまう。

ガラスコップのある暮らし

戦前のガラスコップと言うと、非常に珍しくて高価なものという印象を抱きやすいが、実際はそんなこともない。所詮、大衆のガラス雑器なので、そんなに高い値段が付くはずもないのだ。戦前モノというだけでお宝騒ぎをするのはやめておいた方が無難だと思う。

ガラスの器は集めて楽しむものではない。生活の中で使って楽しむものだと、僕は思う。いくつ集めたかということよりも、何回使ったかということの方が大切なのだ。

本当に古いモノが生活の中にひとつあるだけで、自分の暮らしが今までとは違うものになったような気がする。いや、今までの暮らしとは、違うものになったのだ。古いモノには、そんな力があるのだと思う。

古いガラスに触れてみたいと思ったら、まずは青空骨董市へ出かけてみよう。夏の骨董市には、たくさんのガラスの器が並んでいるはずだ。小遣い銭でも、十分に古いガラスの魅力を楽しむことができる。

古い器を使うということは、古い時間を器と共有するということである。古い器は、暮らしの中に、ゆっくりと流れる時間を、きっと提供してくれることだろう。ゆっくりと流れる時間を手に入れることで、毎日の暮らしもきっと豊かなものになるはずだ。

真夏の青空骨董市で古い和ガラスを買おう骨董市で感じる四季骨董市に行くと、並んでいる商品で季節の移り変わりを知ることができて楽しい。年の暮れには、正月料理に使えそうな美しい器が...
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1967年生まれのバブル世代。80年代カルチャーしか勝たん。推しは仙道敦子。匂いガラスが欲しい。