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村上春樹『風の歌を聴け』完全考察:恋人を亡くした青年の自己療養の物語|ハートフィールドと鼠が隠したメタファーの意味

村上春樹『風の歌を聴け』完全考察:恋人を亡くした青年の自己療養の物語|ハートフィールドと鼠が隠したメタファーの意味

村上春樹『風の歌を聴け』は難しい小説である。

爽やかな雰囲気に流されてしまうと、小説のテーマを見失ってしまうかもしれない。

今回は、この物語を「青春の傷痕」という観点から考察しながら、作者が伝えようとしているメッセージを読み解いていきたい。

Contents
  1. 『風の歌を聴け』基本情報
  2. 『風の歌を聴け』簡単なあらすじ
  3. 『風の歌を聴け』登場人物一覧
  4. 【考察1】タイトル『風の歌を聴け』の意味と由来
  5. 【考察2】『風の歌を聴け』のテーマは何か?
  6. 【考察3】「三人目のガールフレンド」は何の象徴なのか?
  7. 【考察4】「鼠」は何を象徴しているのか?
  8. 【考察5】「小指のない女の子」は何を象徴しているのか?
  9. 【考察6】架空の作家「デレク・ハートフィールド」の役割
  10. 心に刺さる『風の歌を聴け』の名言・名セリフ
  11. まとめ│「青春の傷痕」を語り続けるということ

『風の歌を聴け』基本情報

本作『風の歌を聴け』は、村上春樹のデビュー作である。

①「鼠三部作」最初の作品

本作『風の歌を聴け』は、1979年(昭和54年)、第22回「群像新人賞」を受賞した。

応募時の作品タイトルは「Happy Birthday and White Christmas」で、単行本や文庫本の表紙には「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」と記されている。

作家デビューした村上春樹は、この後、続けて「鼠」が登場するシリーズ作品を発表し、それらは「鼠三部作」と呼ばれた。

村上春樹の「鼠三部作」
①『風の歌を聴け』(1979)
②『1973年のピンボール』(1980)
③『羊をめぐる冒険』(1982)

② 作者は「ジャズ・バー」のマスター

この作品を書いたとき、作者(村上春樹)はジャズ・バーのマスターだった。

そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながらこの文章を書き続けている。(村上春樹「風の歌を聴け」)

村上春樹はジャズ・バーの仕事が終わったあとの深夜から朝にかけて、この小説を少しずつ書き続けたという。

夜遅く、店の仕事を終えてから、台所のテーブルに向かって小説を書きました。その夜明けまでの数時間のほかには、自分の自由になる時間はほとんどなかったからです。そのようにしておよそ半年かけて『風の歌を聴け』という小説を書き上げました(当初は別のタイトルだったのですが)。(村上春樹「職業としての小説家」)

短い段落によって構成されているのは(毎晩少しずつ書くという)執筆上の都合があったからなのだ。

③ 大森一樹監督・小林薫主演で映画化

本作『風の歌を聴け』は、1981年(昭和56年)12月、大森一樹監督によって映画化された。

出演は、小林薫、真行寺君枝、巻上公一、坂田明など。

※映画の詳細は、別記事「『ホットドッグ・プレス』映画「風の歌を聴け」大森監督と原作者(村上春樹)の対談を読み解く」にあります。

『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37)
『ホットドッグ・プレス』映画「風の歌を聴け」大森監督と原作者(村上春樹)の対談を読み解く初めて映画化された村上春樹の作品は、デビュー作『風の歌を聴け』(1979)。 公開は1981年(昭和56年)12月で、監督は大森一...

『風の歌を聴け』簡単なあらすじ

本作『風の歌を聴け』は、ひと夏の青春ストーリーである。

①「鼠」と「ジェイズ・バー」で過ごした夏

1970年8月、東京の大学生である主人公「僕」は、夏休みを利用して故郷の街へ戻ってきている。

その退屈な夏を「僕」は「ジェイズ・バー」で、親友(鼠)とビールを飲みながら過ごした。

金持ちの息子である鼠は「金持ち」を憎んでいた。

②「小指のない女の子」との出会い

僕は「小指のない女の子」と出会う。

彼女は、彼女自身の中に、何らかのトラブルを抱えているらしかった。

一方で鼠もまた、女性との間でトラブルを抱えているという。

③「自殺したガールフレンド」の思い出

電話でラジオ番組に出演した「僕」は、ビーチボーイズのレコードを買いに行く。

しかし、「僕」の心の中にあるのは、自殺したガールフレンドのことだけだった。

夏の終わり、「僕」は鼠や小指のない女の子やジェイズ・バーに別れを告げて、東京行きの高速バスに乗った。

『風の歌を聴け』登場人物一覧

本作『風の歌を聴け』の登場人物は、決して多くはない。

むしろ、少ない登場人物の「役割」に注意することが、この物語を読み解く際のポイントになるだろう。

登場人物 主な役割など
物語の語り手であり、この物語の主人公。現在29歳で、8年前(21歳だったとき)の思い出を振り返っている。
「僕」の親友。「僕」より一歳年上で、「僕」の故郷の街で暮らしている。金持ちの息子。
ジェイ 「ジェイズ・バー」のマスター。中国人。「僕」より20歳年上。
小指のない女の子 「僕」が知り合った女の子。8歳のときから小指がない。中絶手術を受けた。
三人目のガールフレンド 「僕」が大学の図書館で知り合った仏文科の学生。雑木林の中で首を吊って死んだ。

【考察1】タイトル『風の歌を聴け』の意味と由来

作品タイトル「風の歌を聴け」について、作品中に明確な説明はない。

この言葉は、いったい何を意味していたのだろうか?

① カポーティ「最後の扉を閉めて」からの引用

「群像新人賞」応募時に『Happy Birthday and White Christmas』だったタイトルは、発表時に『風の歌を聴け』へと変更された。

「何ひとつ思うな。ただ風を思え」トルーマン・カポーティの短編小説『最後のドアを閉じろ』の最後の一行、この文章に昔からなぜか強く心を惹かれた。Think of nothing things, think of wind’ 僕の最初の小説『風の歌を聴け』も、この文章を念頭にタイトルをつけた。(村上春樹『村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン』所収「私が死んだときには」)

「風の歌を聴け」は、カポーティの短編小説「最後の扉を閉めて」から引用されたものだ。

このままにしておいたら軍隊が部屋のドアを叩きかねない。そう思ったので彼は顔を枕に押しつけ、両手で耳をふさいだ。そして思った。何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

つまり「何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう」という言葉こそ、この作品タイトルが持つ意味だった、ということだ。

※カポーティの短編「最後の扉を閉めて」については、別記事「カポーティ『最後の扉を閉めて』考察│孤独な若者の自己救済の物語」で詳しく考察しています。

トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」孤独な若者の自己救済の物語
カポーティ「最後の扉を閉めて」考察│孤独な若者の自己救済の物語村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』のタイトルの由来となったカポーティの短篇小説「最後の扉を閉めて」について詳しく考察しています。...

② ハートフィールド「火星の井戸」からの引用

それでは、作品中で「風の声」は、どのような役割を果たしているのだろうか。

「つまり我々は時間の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ」(村上春樹「風の歌を聴け」)

この物語では「生」と「死」(について語ること)が、大きな意味を持っていた。

架空の作家(デレク・ハートフィールド)の小説の引用という形で、作者は「だから我々には生もなければ死もない。風だ」という言葉を提示している。

この言葉こそ、カポーティの「何ひとつ思うな。ただ風を思え」という言葉へと繋がっていくものだったのではないだろうか。

③ ピーター・ポール&マリー「くよくよするなよ」からの引用

もうひとつ、本作のテーマを示す重要な言葉がある。

今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。「もう何も考えるな。終ったことじゃないか」(村上春樹「風の歌を聴け」)

ピーター・ポール&マリーが歌っているのは、ボブ・ディランの「Don’t Think Twice, It’s All Right(くよくよするなよ)」である。

この物語は、恋人を亡くした若者の「精神的な療養」の物語だった。

彼は自分自身の魂を慰めるために「くよくよするなよ。もうみんな終わったことじゃないか」と、繰り返していたのである。

そして、彼の鎮魂を言葉にしたものが「風の歌を聴け」というタイトルだった。

「もう何も考えるな」という彼の思いが、カポーティの小説にインスパイアされて、「風の歌を聴け」というタイトルに繋がっていったのである。

【考察2】『風の歌を聴け』のテーマは何か?

本作『風の歌を聴け』は難しい小説だと言われる(「意味不明」「よくわからない」)。

なぜなら、明確なテーマが作品中に提示されていないからだ。

この小説のテーマを把握するためには、作品を精緻に読み解いていくことが必要になる。

①「年表」で整理する『風の歌を聴け』

本作『風の歌を聴け』は「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」とあるが、物語の全体像はその期間には収まらない。

作品に出てくる出来事を年表で整理すると、物語の全体像が見えてくる。

年月日 作品中の出来事
1948年12月24日 主人公「僕」が生まれる
1963年 この年、ケネディ大統領が暗殺される。「僕」は中学3年生。無口だった「僕」が突然しゃべり始めるのも、この年だった。「三人目のガールフレンド」は14歳で、8月に撮影された写真が残されている。
1965年 高校生の「僕」は、クラスの女の子からビーチボーイズのレコードを借りて失くしてしまう。
1966年 17歳の「僕」は最初の女の子とセックスをする。
1967年 春、「僕」は鼠と出会う。二人とも大学1年生だった。
1968年 「僕」の兄がアメリカへ行ってしまう。「僕」は牛を解剖する。新宿で最も激しいデモが吹き荒れた夜、「僕」は二番目の女の子(16)と出会う。
1969年 8月15日から「僕」は自分の生活を数値化し始める。秋、三人目のガールフレンドから「嘘つき!」と言われる。
1970年 春休み、三人目のガールフレンドが自殺する。死体は新学期が始まってから発見された。「僕」は自分の生活を数値化することを4月3日にやめた。ガールフレンドが死んだ半月後、「僕」はミシュレの『魔女』を読む。8月8日から26日まで「僕」は故郷の街で過ごす。それが『風の歌を聴け』に書かれている物語だ。
1978年 現在、「僕」は29歳になっている。8年間「僕」は文章について考え続けていた。そして生まれた作品が、この『風の歌を聴け』という小説だった。

中心にあるのは、1970年の春休みに自殺した「三人目のガールフレンド」である。

つまり、この小説は、恋人を亡くした大学生の帰郷物語だったのだ。

死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって、彼女たちは永遠に若いからだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)

彼は「ひと夏の思い出」を語るふりをしながら、死んだ女の子について語ろうとしている。

それが本作『風の歌を聴け』という小説の、本当の正体だった。

②「喪失感」からの救済

物語の根底にあるのは、恋人を亡くした青年の深い喪失感である。

結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)

物語の語り手である「僕」は、亡くした恋人の喪失感を癒すために、この小説を書いている。

それは、後に村上春樹が、心理学者(河合隼雄)に語っているとおりだ。

【村上】なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己療養のステップだったと思うのです。(河合隼雄・村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」)

本作『風の歌を聴け』を書くことで、物語の語り手である「僕」は、彼女を失った喪失感から癒されようとしていたのかもしれない。

【考察3】「三人目のガールフレンド」は何の象徴なのか?

それでは、自殺した女の子(三人目のガールフレンド)は、何を象徴していたのだろうか?

①「挫折した青春」への鎮魂歌

主人公(僕)にとって、「三人目のガールフレンド」とは何だったのだろうか?

それは、取り戻すことのできない「失われた青春」の象徴である。

その青春は(おそらくは)挫折した苦い青春だった。

「嘘つき!」と彼女は言った。しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

「僕」が「ひとつの嘘」をついた半年後に、彼女は首を吊って死んだ。

中途半端な青春は、青年の20代を縛り続けていく。

だからこそ、彼はこの小説を書くことで、自分の中途半端な20代に別れを告げようとしていたのだ。

②「挫折した学生運動」のメタファー

作者(村上春樹)と同年代の読者は「自殺した三人目のガールフレンド」を、挫折した学生運動のメタファーとして読むことが多い。

そして僕は機動隊員に叩き折られた前歯の跡を見せた。(略)「僕は僕だし、それにもうみんな終わったことさ」(村上春樹「風の歌を聴け」)

この読み方は、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と続く「鼠三部作」を通じて「団塊の世代」から支持されることになった。

③『ノルウェイの森』へ続く物語

ベストセラー小説『ノルウェイの森』は、学生運動の時代を分かりやすく描いている。

それは、心を病んで自殺してしまう女の子(直子)の物語だった。

「三人目のガールフレンド」が「直子」だったかどうかは明らかではない。

しかし、もしかすると『ノルウェイの森』が「鼠三部作」の解説的な役割を担う作品だった、という可能性はある。

※『ノルウェイの森』については別記事「『ノルウェイの森』は何が言いたいのか?「気持ち悪い」不快感の正体とラストの意味」で詳しく考察しています。

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【考察4】「鼠」は何を象徴しているのか?

「鼠三部作」というシリーズまで生み出した謎の登場人物「鼠」は、何を象徴していたのだろうか?

① フィッツジェラルドの化身

作中、鼠はアメリカの作家(スコット・フィッツジェラルド)の化身として機能している。

「それで、……何か書いてみたのかい?」「いや、一行も書いちゃいないよ。何も書けやしない」「そう?」「汝らは地の塩なり」「?」「塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき」鼠はそう言った。(村上春樹「風の歌を聴け」)

鼠の言葉は、F・スコット・フィッツジェラルド『壊れる』(あるいは『崩壊』)からの引用である。

なぜなら、鼠は、他の場面でも、フィッツジェラルドの、このエッセイの文章を引用しているからだ。

「こんなのもあった。『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである』」「誰だい、それは?」「忘れたね。本当だと思う?」(村上春樹「風の歌を聴け」)

「第一級の知性の資格は、二つの対立する観念を同時に抱きつつ、その機能を十全に果たしていけることにある」は、フィッツジェラルド「壊れる」(村上春樹・訳)の冒頭に出てくる文章だ。

そして「あなたは地の塩である。しかしもし塩がその味を失ったなら、何をもって塩とすればよいのだろう?」(マタイ伝五章十三節)も同様に、フィッツジェラルド「壊れる」(村上春樹・訳)の最後の一文である。

おそらく、鼠は、絶望の中で書かれたフィッツジェラルドの文章を、多分に意識していたに違いない。

それは、鼠自身の(同時に主人公の)絶望をも意味するものだったのだから。

※フィッツジェラルドの「崩壊」については、別記事「F・スコット・フィッツジェラルド「崩壊」カタルシスとしての告白エッセイ三部作」で詳しく解説しています。

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② 主人公「僕」の分身

もう少し踏みこんで解釈すると、「鼠」は「僕」の分身である。

「でもね、俺は俺なりに頑張ったよ。自分でも信じられないくらいにさ。自分と同じくらいに他人のことも考えたし、おまけにお巡りにも殴られた。だけどさ、時が来ればみんな自分の持ち場に結局は戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ」(村上春樹「風の歌を聴け」)

「戻る場所」がなかったのは、恋人を失ったばかりの「僕」だった。

恋人を失ったことで、彼の中の時間は止まっている。

「鼠」は主人公(僕)の中の喪失感を投影した、主人公自身の分身として機能しているのだ。

③「過ぎ去った時代」の代弁者

さらに解釈を広げると「鼠」は、過ぎ去った時代の象徴として読むことができる。

「多分取り残されるような気がするんだ。その気持はわかるね」(村上春樹「風の歌を聴け」)

彼らが青春を生きた時代は、とうに過去である。

奈良で見た古墳に、彼は過ぎ去った時間と死んだ者たちを思い出している。

その時に考えたのさ。何故こんなにでかいものを作ったんだろうってね。(略)実際の話、そいつはまるで墓には見えなかった」(村上春樹「風の歌を聴け」)

もしかすると、時代の中に取り残された(取り残されつつあった)「青春時代」の声を、「鼠」は代弁していたのではないだろうか。

【考察5】「小指のない女の子」は何を象徴しているのか?

もう一人の重要人物「小指のない女の子」についても考察してみよう。

①「喪失感」の象徴

彼女もまた、主人公が抱える「喪失感」の象徴として読むことができる。

僕はあきらめてあくびをし、もう一度彼女の体を眺めた。(略)おまけに彼女の左手には指が4本しかなかった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

八歳のときに小指を失った彼女は、恋人を亡くしたばかりの主人公自身の姿でもある。

彼にとって、死んだ恋人は「体の一部」のような存在だったのだ。

②「自殺した女の子」の化身

さらに彼女には「自殺した女の子」の姿が重なって見える。

例えば、眠りこんだ彼女が、無意識のうちに呟いた言葉。

「お母さん……」彼女は夢見るように、そっとそう呟いた。(村上春樹「風の歌を聴け」)

それは、もしかしたら、死んだ女の子が「首を吊る最後の瞬間」に呟いた言葉だったかもしれない。

③ 中絶手術が意味しているもの

「小指のない女の子」が中絶手術をしていることにも、何らかの意味付けが必要だろう。

主人公と子どもの話をしていたのも、やはり「三人目のガールフレンド」だった。

「……子供は何人欲しい?」「3人」「男? 女?」(村上春樹「風の歌を聴け」)

もちろん、主人公「僕」に子どもをつくる意思などなかったはずだ(なにしろまだ大学生だった)。

彼女に「嘘つき!」と言われた彼は、「小指のない女の子」が中絶手術を受けたことに傷ついている。

「自殺した女の子」と「小指のない女の子」は、裏表のように繋がる存在として読むと、物語の全体構造が理解できる。

「僕」と「鼠」、「三人目のガールフレンド」と「小指のない女の子」。

そんな対立構造の中で、この物語は進められているのだ。

【考察6】架空の作家「デレク・ハートフィールド」の役割

本作に登場するアメリカの作家(デレク・ハートフィールド)は、作者(村上春樹)が生み出した架空の作家である。

なぜ村上春樹は「デレク・ハートフィールド」という(架空の)作家を必要としたのだろうか?

①「不毛な時代」の象徴

架空の作家(デレク・ハートフィールド)は「不毛の時代」を象徴している。

不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

「不毛な時代」とは、主人公(僕)が青春を過ごした、そんな時代のことだ。

②「不毛な争い」の時代

なぜ、彼らの時代は「不毛な時代」だったのだろうか?

ただ残念なことに彼ハートフィールドには最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

「最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった」とあるところが、彼らの世代の教訓である。

「それでね、何度も何度もこんな風に考えたわ。(略)私がこんなに苦しんでいるのに、何故あなたは何もせずに海の上にじっと浮かんでいるんだろうってね」(村上春樹「風の歌を聴け」)

鼠は「難破船の物語」に喩えて、彼らの時代を語っている。

それは「誰も」が「何か」と戦っている時代だった。

「彼は言う、『私の正義はあまりにあまねきため、先日捕えられた十六名はひとが手を下すのを待たず、まず自らくびれてしまったほどである』」(篠田浩一郎・訳)。私の正義はあまりにあまねきため、というところが何ともいえず良い。(村上春樹「風の歌を聴け」)

「魔女の時代」は、まさに不毛な時代だった。

捉えどころのない大きな敵の前に、彼女らは「自らくびれて」いく。

「不毛な時代」の「不毛な争い」。

その「争い」に意味を見出せなかった世代が、つまり、彼らの世代だったのである。

③「村上春樹登場」の予言

デレク・ハートフィールドの重要なポイントは「井戸」と結びついていることだ。

ある日、宇宙を彷徨う一人の青年が井戸に潜った。(略)横穴は別の井戸に結ばれていたのだ。(村上春樹「風の歌を聴け」)

井戸を「垂直」に降りた青年は、横穴から「平行」に移動して「別の世界」へ出る。

これは、やがて『ねじまき鳥クロニクル』に登場する「井戸掘り」と「壁抜け」の原型と言っていい。

つまり、架空の作家(デレク・ハートフィールド)は、やがて登場する「村上春樹」自身を予言するものでもあったのだ。

※『ねじまき鳥クロニクル』については、別記事「村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』なぜ最高傑作と呼ばれるのか?」で詳しく考察しています。

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心に刺さる『風の歌を聴け』の名言・名セリフ

爽やかな青春小説『風の歌を聴け』には、印象に残る「エモい」名言が多く登場する。

ここでは、特に注意すべき名言を紹介しておこう。

①「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」

鼠は「金持ち」を憎んでいた。

金持ちなんて・みんな・糞くらえさ鼠はカウンターに両手をついたまま僕に向って憂鬱そうにそうどなった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

彼自身が「金持ちの息子」である彼は「金持ち」という敵を捉えきれないでいる。

まるで「最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった」デレク・ハートフィールドのように。

つまり、デレク・ハートフィールドは「鼠」のもうひとつの姿でもあったのだ。

②「僕は・君たちが・好きだ」

ラジオのディスク・ジョッキーは、入院している女の子に向かって語りかけている。

「僕の言いたいのはこういうことなんだ。(略)僕は・君たちが・好きだ」(村上春樹「風の歌を聴け」)

ディスク・ジョッキーの言葉は、傷ついた仲間たちへ送る励ましのメッセージだ。

彼の言葉によって、傷ついた心は癒されていく。

精神的療養を必要としていたのは、あるいは「僕」だけではなかったのかもしれない。

ここに、この物語の「救い」があった。

③「完璧な文章などといったものは存在しない」

本作『風の歌を聴け』を代表する名言は、物語の最初の一行として登場している。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」(村上春樹「風の歌を聴け」)

そこにあるのは「失われたもの」について書くことの難しさだ。

自分の中にある「傷痕」を語り終えるまで、彼らの青春は終わらない。

そんな苦悩が、この言葉の中には隠されていた。

まとめ│「青春の傷痕」を語り続けるということ

本作『風の歌を聴け』は、喪失感を抱えた若者の「救済の物語」である。

①「失われた青春」を語り終えたとき

ひとつの物語を語り終えることで、彼は自分の青春に幕を下ろした。

死んだ仏文科の女の子の写真は引越しに紛れて失くしてしまった。(村上春樹「風の歌を聴け」)

彼が失くしたものは「青春そのもの」である。

少なくとも、ひとつの物語を語り終えたことで、彼らの20代は静かに「扉を閉ざす」ことができたのだ。

②『1973年のピンボール』へと続く物語

そして、村上春樹は「次の物語」を語り始めなければならない。

突然死んでしまった女の子と「最後の和解」をするために。

その「和解の物語」は、『1973年のピンボール』という小説となって、僕たちの前に登場した。

「青春の傷痕」は、まだ完全には癒されていなかったからだ。

初期・村上春樹を語る上で欠くことのできない「鼠三部作」は、こうして始まったのである。

※「鼠三部作」の第二作『1973年のピンボール』については、別記事「村上春樹『1973年のピンボール』メタファーで語られる青春の傷痕と解放」で詳しく考察しています。

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③ 永遠の「青春のバイブル」

本作『風の歌を聴け』は「完璧な小説」ではなかったかもしれないけれど、「完璧な小説」ではないからこそ訴えてくる「瑞々しい生命力」がある。

たくさんある村上春樹の作品の中で、僕が最も繰り返し読んだ小説こそ、この『風の歌を聴け』だった。

『風の歌を聴け』は、今でも僕にとって「青春のバイブル」であり続けている。

💡「喪失の物語」をもっと読みたい方へ

■庄野潤三『せきれい』

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ジェン
文芸コラム担当。感想以上、批評未満。深読み癖あり。感想はX(@jiku_hyohon)にてお待ちしています。