猿渡由紀『ウディ・アレン追放』。
本作『ウディ・アレン追放』は、2021年(令和3年)6月に文藝春秋から刊行されたルポルタージュである。
この年、著者は55歳だった。
ウディ・アレンの性加害疑惑とは何か?
2013年(平成25年)11月、『ヴァニティ・フェア』誌に、モリーン・オースによるミア・ファローに関する記事が掲載された。
そこでは、1992年(平成4年)8月4日に起きたとされる「あの事件」についても触れられていた。
当時、7歳の幼女だった被害女性「ディラン・ファロー」は、既に28歳になっていた。
一九九二年八月四日のことについて、ディランは「覚えていないこともたくさんあるけれど、屋根裏部屋で起きたことは覚えている。自分が何を着ていて、何を着ていなかったのかも。彼(ウディ)がいかに注意深くそれをやったのか、当時の私は気付かなかった。誰もいないところでやったのよ。彼は私の口に親指を入れてきて、私はそれが嫌だった。抱きついてくるのも」と述べた。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
当時のコネチカット州による刑事捜査では、捜査が打ち切られたこの事件について、被害者(ディラン)は、性加害は実際にあったものだと主張している。
2014年(平成26年)1月、ウディ・アレンにゴールデン・グローブ賞受賞に際し、ジャーナリト(ローナン・ファロー)がコメントを発した。
二〇一四年一月、ウディがゴールデン・グローブ賞の生涯功労賞を受賞すると、ローナンは「授賞式を見ていないんだけど、七歳だった時、この人に虐待された女性について触れていた?」とツイート。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
続けて2月1日には、被害女性(ディラン・ファロー)が、コラムニスト(ニコラス・クリストフ)を通じて『ニューヨーク・タイムズ』誌に公開状を寄稿した。
「ウディ・アレンは私の手を取り、家の二階にある、クローゼットのような、暗い屋根裏に連れて行きました。そこで私はうつ伏せにさせられ、おもちゃの電車で遊びなさいと言われました。そうして私は性的虐待を受けたのです。その間、彼はずっと話しかけてきました。『良い子だね、これは秘密だよ。パリに連れて行ってあげる。自分の映画の主役にしてあげる』と。私は、電車がぐるぐると回るのをひたすら見つめていました」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
事件がハリウッドを巻きこんだ大スキャンダルとなるのは、2017年(平成29年)になってからのことだった。
きっかけは、ジャーナリト(ローナン・ファロー)による大物プロデューサー(ハーベイ・ワインスタイン)の「セクシュアル・ハラスメント」告発である。
そこから堰を切ったように、被害者たちによる告発が始まった。ソーシャルメディアでは「#MeToo」のハッシュタグが飛び交い、ニュースでは毎日のように新たなハリウッドの大物が加害者として名指しされていた。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
2017年(平成29年)12月、「#MeToo」運動が盛り上がる中、被害女性(ディラン・ファロー)が再びコメントを発した。
しかし、十二月に入ると、状況が変わり始めた。七日、ディランが『ロサンゼルス・タイム』誌に、「『#MeToo』はなぜウディ・アレンを除外するのか?」というタイトルの意見記事を寄稿したのだ。記事の中で、ディランは、多くのセレブリティやアマゾン・スタジオのロイ・プライスがセク・ハラで追放されたのに、『男と女の観覧車』が問題なく公開されたのはなぜなのかと疑問を投げかけた。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ディランの攻撃は、ウディ・アレンを容認するセレブリティにまで向いていた。
また、ディランは、今作の主演女優ケイト・ウィンスレットや、過去にウディの映画に出演したブレイク・ライヴリー、グレタ・ガーウィグを名指しし、「#MeToo」運動をサポートすると言いつつウディのことを別扱いするのはダブルスタンダードだと強く批判した。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ディランの攻撃が止むことはなかった。
2018年(平成30年)1月には、テレビ番組にも出演している。
さらに、年が明けた一月、ディランが朝のテレビ番組『CBS ジス・モーニング』に出演して、「世間はずっと見ないふりをしてきた。よくわからない、よその家庭のことだと避けて来た。誰も私を信じてくれなかった」と訴えると、『カイロの紫のバラ』(一九八五)に出たジェフ・ダニエルズやピーター・サースガードまで、「もうウディ・アレンの映画には出ない」と公言した。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
「#MeToo」運動が広まるきっかけとなった調査報道が評価されたジャーナリト(ローナン・ファロー)は、2018年(平成30年)4月、ピューリッツァー賞(公益報道部門)受賞に続き、LGBTQコミュニティに奨学金を提供するポイント基金の「カレッジ(勇気)賞」を受賞した。
この授賞式で、ローナンは、業界サイト『ヴァラエティ』に「僕の姉の話に耳を傾けてください。彼女は今もウディ・アレンに苦しめられています。最近、姉とはあまり話していませんが、彼女は勇気を持ってウディ・アレンがやったことを話してくれました。姉のことをとても誇りに思っています」と語った。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
こうした一連の動きを受けて、2018年(平成30年)1月、制作・配給会社であるアマゾン・スタジオは『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の公開を2019年(令和元年)まで延期することを決定。
2018年(平成30年)6月には、ウディ・アレンとのすべての契約を破棄することを、一方的に通告した。
いわゆる「ウディ・アレン追放」が、ついに現実のものとなったのだ。
ウディにとっては何よりも『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』のアメリカでの劇場公開への道が閉ざされてしまったのが辛かった。他の国ではそれぞれに配給会社がついているため公開され、興行成績は概ね好調だったが、皮肉にも、映画の舞台であるニューヨークの人々は、この映画を見られないことになったのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
その後、ティモシー・シャラメ主演の映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、配給会社を変えて配信リリースされた。
ウディ・アレンによる性加害スキャンダルの真実
ウディ・アレンの性的虐待疑惑は、現在も決着がついていない。
理由はいくつかある。
被疑者であるウディ・アレンが、事件への関与を、最初から一貫して否定し続けていた。
ウディは「ミアは、自分の復讐のために無邪気な子供を操るという、不道徳で残酷なことをやっている」「子供の親権争いで最近よく使われる手だと弁護士に言われた。時には効果のあるやり方なのだろう。だとしても、自分の子供を洗脳するとはあまりにひどい」と、ミアはディランをコーチングしているのだと主張した。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
「ミアは、自分の復讐のために無邪気な子供を操るという、不道徳で残酷なことをやっている」とあるのは、ウディ・アレンが、ミア・ファローの養子(スンニ・プレヴィン)と肉体関係を持ったことを意味している。
さらに「私の唯一の罪は、ミス・ファローとの恋愛関係が終わる頃に、彼女の成人した娘に恋をしたことである」と、スンニとの関係をあらためて正当化した。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ミア・ファローには多くの養子があった。
事件のあった1992年(平成4年)時点で、11人の子どもを養育しているが、そのうち実の子どもは3人のみである(そのうちの一人「ローナン・ファロー」はウディ・アレンとの間に生まれた子どもだった)。
現在もウディ・アレンの配偶者であるスンニ・プレヴィンは、韓国から引き取られた子どもだった。
スンニは過去に経験したことのない恐怖と孤独を感じていた。庭の向こうに見える屋根を眺め、スンニはしばしば「あの家のどれかには、私を愛してくれる人がいるのかしら」と、虚しく思いを馳せた。(略)子供たちの中にはヒエラルキーがあり、ミアはそれを隠そうともしなかった。ミアが好きなのは頭の良い子とルックスの良い子で、頭が悪いとルックスを貼られたスンニは、対象外だったのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
養子(スンニ)に対する養母(ミア)の態度は、児童虐待(ネグレクト)にも近いことだったらしい。
障害を持つモーゼスにマッサージをやってあげるのはスンニの役目。ウディの妹でプロデューサーでもあるレッティ・アロンソンは、ミアの家でアジア系の少女が甲斐甲斐しく動き回っているのを見て、メイドだと誤解したほどだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
皿洗いや掃除、アイロンがけはスンニの役割であり、初潮が来たときも、ミアは生理用品の使い方を教えてくれず、最初のブラジャーが必要になった時に買ってくれたのもベビーシッターだった。
1992年(平成4年)1月13日、パートナーであるウディ・アレン(結婚はしていない)が、自分の嫌いな養子(スンニ)と恋愛関係にあることを知ったとき、ミア・ファローは激しく動揺した。
後に『ニューヨーク・ポスト』誌にリークした電話の会話で、ミアは、「あなたは変わったわ。あなたはもう年寄り。勃たせるためには小さな女の子じゃないとダメなのね。私じゃ勃たないの。そういうことなのよ」と言っている。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ウディ・アレンが、ミア・ファローの養女(ディラン・ファロー)に性的虐待を行ったとされるのは、ウディとスンニの恋愛関係が大きな家庭騒動となっていた、1992年(平成4年)8月4日のことである。
夫を寝取った娘(スンニ)に対する激しい嫉妬と、自分を裏切ったパートナー(ウディ・アレン)への憎悪が事件の背景にはあると、ウディ・アレンは考えていた。
ウディ・アレンが「ミアは、自分の復讐のために無邪気な子供を操るという、不道徳で残酷なことをやっている」と主張しているのは、事件当時のディランの証言が、極めて曖昧だったためだ。
だが、医師がディランに「ウディはどこを触ったの?」と聞くと、ディランは、もじもじした挙句、ようやく「肩」と答えるだけだった。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ミア・ファローが撮影したディランの証言ビデオにも、不自然な点が多かった。
ミアはまた、ディランの証言をビデオカメラで撮影していた。そのビデオ映像は、ちょっと回しては停止し、また始まっては停止、というのが繰り返されるもので、場所はミアのベッドの上だったり、庭の椅子だったりと、何度か変わった。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ミアの養子で、ウディの新しい恋人(スンニ・プレヴィン)は、『ニューズウィーク』誌にコメントを寄せている。
「私がウディと仲良くなった頃、ミアとウディはもはや恋人同士ではなく、ただの友達になっていました。ウディの浮気相手が他の女優や秘書だったとしても、ミアは同じくらい怒ったと思います。ミアは常に怒りっぽい人で、子供たちはいつも彼女を恐れていました」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ウディ・アレンとスンニ・プレヴィンが正式に結婚するのは、1997年(平成9年)12月になってからのことだった。
それでは、たくさんいる養子の中で、なぜ、「ディラン・ファロー」が被害者となったのだろうか?
ウディ・アレンは「ディランがウディの養子になっていたから」だと考えている。
「その数週間前、電話での喧嘩中、『あなたを苦しめる、すごく良いアイデアを思いついたのよ』と言われたんだ。(略)それにミアは何度も、本当に何度も、電話でも、直接会った時も、『あなたは私から娘を奪った。私はあなたから娘を奪ってやる』と言ってきているんだ」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ディランは「ウディとの間に子供が欲しい」と願うミアの希望によって、ウディ&ミアのカップル(正式な夫婦ではない)と養子縁組をした女の子だった。
そこでミアは、代わりに新たな養子を取ろうとウディに提案した。(略)だからこそミアは、ウディが「かわいいと思える可能性が高い」といったアメリカ生まれの白人の女の子を選んだのだ。それがディランだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
極端な子供嫌いで知られるウディは、意外にもディランを可愛がるようになった。
だから、ミア・ファローが「ウディのディランに対する性加害疑惑」を主張し始めたとき、ウディは、「自分とディランを引き離すための画策だ」と考えたのである。
たくさんいる子どもたちの意見も分かれた。
母親であるミア・ファローを擁護したのは、被害者とされるディラン・ファロー(ウディとミアの養子)と、後にジャーナリトになって「#MeToo」運動のきっかけを作ったローナン・ファロー(ウディとミアの実子)の二人である。
一方で、後にウディの正妻となるスンニ・プレヴィン(ミアの養子)の他にも、事実関係を否定する証言がいくつもあった。
心理カウンセラーとして働いているモーゼス・ファロー(ウディとミアの養子)は、36歳のとき、『ピープル』誌のインタビューに応じている(事件当時は14歳だった)。
このインタビューで、モーゼスは、ウディはディランに虐待はしていない、ディランはウディが好きで、ミアがそう仕向けるまで、ウディが家に来るのを楽しみにしていたのだと語った。ミアは自分にもウディを嫌うようけしかけたため、実際、長いこと父を嫌っていた。だが、大人になって、それはミアの復讐だったと気づいた。八月四日、あの家には「六、七人の大人がいて、ウディとディランは人の目の届かないところに行っていない」とも証言。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
モーゼスは、さらに、#MeToo運動が過熱する、2018年(平成30年)5月23日、「息子が発言する」というタイトルのブログ記事を投稿した。
さらに、モーゼスは、虐待がなされた場所がミアの寝室に続く階段だったことにしようという会話が交わされるのも耳にした。だが、階段はリビングルームから見えることに気づき、家の中で唯一目につかない場所ということで、屋根裏にされたのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
しかし、虐待現場が「屋根裏」であることも、家族には不自然なイメージを与えたらしい。
家族が「屋根裏」と呼んでいるそこは、ミアの寝室の横にある中途半端な空間。屋根が鋭い角度で迫り、ネズミ捕り、防虫剤などが散らばって、あちこちクギが剥き出しになっている、いわば物置部屋だ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ウディ・アレンは、本当に、この空間に少女を連れこんだのだろうか?
当時、『タイム』誌のインタビューに、ウディは次のように語っている。
八月四日に起こったことについては、これまでと同様、「何も起こっていない。全く何もだ。私が屋根裏に行くことはない。ミアの家の屋根裏がどこにあるのかすら知らない。私は閉所恐怖症で有名なんだ。それに自分の娘を虐待するなんて、ありえない」と完全に否定。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
モーゼスは、さらにディランの証言にも疑問を呈した。
二〇一四年の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、ディランはそこでウディにうつ伏せにさせられ、おもちゃの電車がぐるぐる回るのを見つめていたと証言したが、そんなものはなかっただけでなく、置ける余裕すらなかった。とてもではないが、子供が遊べるような場所ではないのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ミア寄りの立場を取っていた家政婦兼ベビーシッター(クリスティ)も、1993年の裁判で「屋根裏には遊べるようなスペースはないため、遊ぶ時はそこから出して遊んだ」と述べており、ディランの証言との食い違いを見せている。
スンニ・やモーゼスは、むしろ、養母(ミア・ファロー)による児童虐待の事実を告白していた。
モーゼスが、知らないと言うと、ミアは怒り、「自分がとった」と言うまで、モーゼスの頬をひっぱたき続けた。さらに、その「告白」をきょうだいの前でさせるべく、ミアの前で何度も練習をさせたのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ミアによる恐怖的な「子育て」によって、モーゼスは「僕は自分の声を奪われたのです」と訴えている。
こうしたミアの育児方針は他の養子にも被害を及ぼしとされており、うつ病を発症したタム(女性)は(ミアの反対により)適切な治療を受けることができなかったため、薬物の過剰摂取により21歳で死亡した。
タデウス(男子)は27歳のときに車の中で拳銃自殺しており、精神病と依存症に苦しんだラーク(女性)も、貧困の末エイズにより35歳で死亡している。
そもそも、ミア・ファロー自身、複雑な家庭環境の中で育てられていた。
モーゼスは、ミアが過去に家族の誰かから性的虐待に遭いそうになったことを、本人の口から聞いている。ミアの弟ジョンは複数の子供に性的虐待を加えた罪で刑務所入りをした。(略)また、ミアの兄パトリックは、二〇〇九年に自殺をしている。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
家庭において、ミアは、常に最高の権力者だった。
モーゼスはまた、虐待容疑についての捜査を受けている時に、「父と母のはざまにいて苦しい」と証言したことがある。それを知ったミアは「あなたはなんということを言ってくれたの! これじゃあ私が負けちゃうじゃない! あなたが言ったことは全部間違いだったと言い直しなさい!」と叫んだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
スンニは、ミア・ファローの母親としての適性について疑問を呈している。
「ミアは、もう養子を取るのをやめるべきです。ウディは、ミアに出会った時に、ミアにたくさん養子がいることを警告だと感じるべきでした。十一人(もうすぐ十三人になります)もの子供を、十分な愛情を与えながら一人で育てることはできないと思います」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
多数の養子により大家族となったミア・ファロー一家は、「ミア派」「ウディ派」、そして「既に死んだ者たち」という形で、明確に分裂することになった。
この事件の最大の謎は、「ウディ・アレンとスンニ・プレヴィンとの浮気騒動」が家庭内で炎上しているまっただ中で起こったということである。
「普通に考えてみてよ。ミアは怒っていて、子供たちにも私を嫌うように仕向けている。そんな時に、敵だらけのところに行って、わざわざそこで子供を虐待するなんて、ありえると思うかい?」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ウディ・アレンにとってみれば、スンニの他に、わざわざ他のトラブルを背負いこむようなものだから、普通に考えて、それはあり得ない。
仮に、この時期に、そのような事件が本当に起こったのだとすると、ウディ・アレンは自分の性衝動を抑制することのできない、極めて危険な変質者だったということになる。
しかし、自身の性衝動を自制することができないはずのウディ・アレンが起こしたという性加害疑惑は、この一件のみで、「#MeToo」運動の中でも、ウディ・アレンによる被害を訴える声はまったく出てこなかった。
なんとも一貫性のないストーリーに、ハリウッドのセレブリティたちも困惑したのではないだろうか。
ウディとスンニは、現在も良好な夫婦関係を保ち続けている。
「付き合い始めの頃、スンニはとても悲しいことを私に言った。『私は人生の中で一度も誰かにとって一番大事だったことはない』と言ったのだ」(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
亡くなったきょうだいたちの不幸な境遇を思い出しながら、モーゼスは「スンニはウディに救われたのだ」と語った。
ウディ・アレンによる幼女への性的虐待疑惑の本質は、この事件にとって誰も幸福になることはなかった、ということだ。
明確な証拠がない以上、事件は永遠に闇の中である。
書名:ウディ・アレン追放
著者:猿渡由紀
発行:2021/06/10
出版社:文藝春秋

