物語の終盤、「1Q84年の世界」から脱出を試みる青豆は、天吾に対して何度も執拗に確認している。「書きかけの小説の原稿を持ってきた?」「それを放さないで」と。
生死を分かつ極限状態において「書きかけの原稿」が、なぜそれほどまでに重要だったのだろうか。
そして、物語の根幹をなす「パシヴァ(受信者)」と「レシヴァ(送信者)」という奇妙な役割分担の謎。
こうした謎は、本作『1Q84』そのものが、「村上春樹」という一人の作家による「創作論・文学論」の壮大なメタファーだった、と考えることで説明がつく。
本記事では、天吾とふかえりの関係性を「一人の作家の脳内プロセス」として読み解き、なぜ「物語」が強大なシステム「リトル・ピープル」に対抗しうる武器となり得るのか、その深層について独自の視点から考察してみた。
この考察は、当ブログ『時空標本』がこれまで取り組んできた「近代文学の読解と考察」の経験を踏まえ、村上春樹という作家が試みた「文学的救済の物語」を独自に検証しようとするものである。
文学という祈り──『1Q84』に込められたもの
『1Q84』は、物語を通して自分自身を浄化する(あるいは治癒する)──そんな「文学」の可能性を伝える物語だった。
物語は「再構成された世界」
かつて神童と呼ばれるほど「数学の能力」を有していた天吾は、数式では答えを出すことのできない「文学の力」に魅せられて小説家の道を目指す。これは「物語」が持つ力を信じる作者の強い思いが反映されている設定だ。
「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。それは数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」(村上春樹「1Q84 BOOK1」)
「まわりにある風景を再構成する」手法は、村上文学において、最も基本的な哲学となっている。それは『1Q84』でも同じで、大切なことは、この物語の「元の姿」は何だったのか?ということを、深く感じとることだ(それが「作者の伝えたかったこと」に近づくヒントになる)。
『空気さなぎ』のリライトの意味
『空気さなぎ』のリライトを通して、天吾は新たな文学的気付きを獲得していく。これは「外国文学の翻訳作業」を通して小説家としての成長を得てきた、作者(村上春樹)自身の体験を投影したエピソードとして読むことができる。
チェーホフ『サハリン島』の引用もまた、作者自身の投影として解釈することが可能だ。村上春樹にとっての「サハリン島」が、つまり、『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』などに描かれた世界だったのだ(カルト宗教のカオス的世界)。
「猫の町」が意味するもの
「猫の町」は、作者自身の物語世界でもある。
「原稿用紙に向かっているあいだ、彼の意識はその世界で暮らしていた」「きっと『猫の町』に入り込んだ主人公もそれに似た気分を味わったのだろう」。
随所で語られる物語のエピソードは、この小説が「文学」についての物語であることを示唆している。
パシヴァ(受信者)とレシヴァ(送信者)の正体
『1Q84』が「文学」についての物語だったとすると、その作者は「天吾」と「ふかえり」の二人である。
天吾とふかえりは村上春樹の化身
ふかえりの書いた小説『空気さなぎ』のリライトを通して、天吾は、新しい世界「1Q84年」を獲得する。
「話は簡単だ」と小松はコーヒースプーンを細かく振りながら続けた。「その二人を合体して、一人の新しい作家をでっちあげればいいんだ。ふかえりが持っている荒削りな物語に、天吾くんがまっとうな文章を与える。組み合わせとしては理想的だ」(村上春樹「1Q84 BOOK1」)
文学的な意味において、天吾とふかえりは「一人の人間」として読むことができる。
つまり、「一人の作家」(おそらく作者自身)を象徴的に分離した存在が、「天吾」と「ふかえり」というキャラクターだったということだ(「わたしたちはひとつになっている」「わたしたちはふたりでひとつだから」)。
天吾と青豆の子供が暗示するもの
もしかすると、天吾とふかえりのセックスによって青豆が孕んだ「子ども」は、一つの「物語」を象徴する存在だったかもしれない(「しかしもし仮にふかえりと青豆という二人の女性を結びつけている要因があるとするなら、それは天吾自身のほかにはあり得なかった」)。
これは、「物語」を生み出すことによって小説家が歴史に果たす役割を暗示したエピソードとしても読める。
二人の愛を決定づけたのは、17歳のふかえりの肉体を通して、青豆が天吾の子どもを妊娠してしまうことだろう。
天吾とセックスをしていたふかえりは、神がかり的な媒介者であり、天吾の大量の精液は、ふかえりの肉体を通して、青豆の子宮内へと注ぎこまれていたのだ(多分に神話的な発想だが)。
天吾の子どもを宿り、20年ぶりに天吾と再会した青豆は、天吾と一緒に「1Q84年」を脱出する。
こうした筋書きは、天吾と青豆の二人が「ズレ始めた世界」から(つまり「孤独な人生」から)脱出する経過を物語化したものであり、読者は「物語」を通して純粋な愛の力を再認識していくことになるのだ。
パシヴァ(受信者)とレシヴァ(送信者)の正体
『空気さなぎ』に対する「リトル・ピープル」の激しい怒りは、「優れた物語」に対する強いアレルギー反応だったと考えてもいい。
説明できない存在である「リトル・ピープル」が暗躍する「1Q84年」において、人々の心を揺り動かす文学作品は、決して歓迎されるべき存在ではなかった(『空気さなぎ』が問題なのではなく、優れた物語であることに問題があった)。
ふかえりの原作を優れた物語へとリライトした主人公(天吾)は、自らの手によって、「1Q84年」に対する(ひいては「リトル・ピープル」に対する)強い警鐘を鳴らしたと言っていい。
そもそも、青豆と天吾を結び付けたものが、天吾の描いた物語世界だった。
「パシヴァ(天吾)」と「レシヴァ(ふかえり)」は、「一人の小説家(村上春樹)」を象徴するキーワードでもあったのだ。
文学が「世界」を書き換えるプロセス
なぜ『空気さなぎ』という物語は、ベストセラーにならなければならなかったのか。それは、言葉が「物語」という形になって初めて、現実を変え得る力を有するからだ。
「ふかえり(パシヴァ)」の見た「歪んだ世界」を、「天吾(レシヴァ)」が完璧な物語『空気さなぎ』としてリライトしたとき、目に見えなかった「リトル・ピープル」や「マザとドウタ」といった概念が、実体を持って姿を現していく。
ここに「物語は世界を書き換えることができる」という、文学的信仰がある。
かつて『ねじまき鳥クロニクル』で、赤坂シナモンの書いた物語が『ねじまき鳥クロニクル』だったように、『1Q84』では、『空気さなぎ』を執筆した天吾自身が、青豆を巻き込みながら「物語世界」の中へと引きずり込まれてしまったのだ。
「私はつまり、天吾くんの物語を語る能力によって、あなたの言葉を借りるならレシヴァとしての力によって、1Q84年という別の世界に運び込まれたということなのですか?」(村上春樹「1Q84 BOOK2」)
天吾が「1Q84年」の世界に引き込まれたのは、彼自身がその世界(1Q84年)を構築し、生命力を与えてしまったからに他ならない。つまり、それが「文学」の持つ力だ。
素晴らしい物語は、世界をもさえ書き換える可能性を持っているのだ。
なお、『ねじまき鳥クロニクル』について詳しく知りたい方は、別記事[村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』徹底考察|なぜ最高傑作と呼ばれるのか?]も、併せてご覧いただきたい。
▶[村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』徹底考察|なぜ最高傑作と呼ばれるのか?]を読む
なぜ「書きかけの原稿」が脱出の鍵なのか?
物語の終盤、首都高速の非常階段を登り、1Q84年の世界からまさに脱出しようとする瞬間まで、青豆は天吾が抱える「書きかけの原稿」に注意している。
彼女は、この「書きかけの原稿」こそが、彼らを元の世界(あるいはそれに準ずる場所)へと導く役割を担っていることを知っていたのだ。
原稿は二人の「子供」であり「希望」である
二人にとっての「原稿」は、新進作家・川奈天吾の「作品」だった、ということではない。
もしかすると、それは、肉体的な接触なく青豆の胎内に宿った「新しい命」の、精神的な側面における「双子」だったかもしれない。
二人の絆を証明するものは、もはや過去の記憶だけではなかったのだ。
完成された物語ではなく「書きかけ」である理由
注意すべき点は、それが「書きかけの原稿」だったことだろう。
「書きかけの小説の原稿を持ってきた?」「ここに持っているよ」(略)「それを放さないで」と青豆は言う。「私たちにとって大事な意味を持つものだから」(村上春樹「1Q84 BOOK3」)
天吾の持っている「書きかけの原稿」の中にあるのは、これから彼らが暮らそうとしている世界だ。そこには「未来の可能性」がある。
二人にとって「1Q84年の世界」は、リトル・ピープルという強固なシステムによって書き換えられた「過去の世界」だった。そこから脱出するためには、リトル・ピープルのものではない、「自分たちの物語」が必要なのだ。
天吾が抱えていたものは、青豆と二人で作りあげようとしている「新しい世界」だった。
『100パーセントの女の子』からの20年越しの回答
村上春樹の初期短編に『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』がある。
10歳という幼少期に運命の相手と出会いながら、その後一度も交差することなくすれ違っていく二人の孤独を描いた物語だ。
本作『1Q84』は、この短編では回収できなかった「失われた再会の可能性」に対する、20年越しの壮大な回答でもあった。
すれ違った二人が「再会」できた理由
短編の二人は、お互いが「100パーセントの相手」であることに気づきながらも、言葉を交わすことなく通り過ぎてしまう。彼らには、二人の間を繋ぎ止めるべき「共有された物語」がなかったからだ。
『1Q84』の青豆と天吾は違った。彼らには、20年前の「手を握り合う」という強烈な体験があった。さらに「1Q84年」の世界では、『空気さなぎ』という共通の物語が二人にはあった。
天吾が物語をリライトし、青豆がその物語を(無意識下で)受け取る。
この「物語を通じた共鳴」によって、不条理に歪められた世界の中で、二人は引き寄せられていったのだ。
●孤独な魂を繋ぐ「物語の力」
かつて「100パーセントの女の子」との再会に失敗した少年は、『1Q84』において、書きかけの原稿を抱えた「天吾」へと成長する。
物語のラストシーンで、彼らが手を取り合い、非常階段を登りきることができたのは、単なる偶然ではなかった。それは、「自分の記憶」を(書きかけの物語を)を信じ抜いた者だけに与えられる「文学的な救済」である。
20年前、物語の末尾で「悲しい話だと思いませんか」と問いかけた作者(村上春樹)は、この『1Q84』という長い長い物語を経て、ようやく「孤独な二人は再会できる」という希望を確かめたのかもしれない。
なお、名作短篇『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』について、もっと深く知りたい方は、別記事[村上春樹「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」──なぜ〈出会い〉は過去形で語られるのか]をご参照いただきたい。
▶[村上春樹『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』──なぜ〈出会い〉は過去形で語られるのか]を読む
まとめ:本作に込められた「祈り」
本作『1Q84』は、混沌とする社会情勢に対する警鐘を鳴らした作品である。同時に、そこには、「文学」に対する作者(村上春樹)の強い祈りが込められていた。
果たして、「物語」は世界を(世の中を)変えることができるのだろうか?
その答えは、天吾とふかえりの書いた『空気さなぎ』が教えてくれるはずだ。
なお、『1Q84』全体の俯瞰的な考察や、「なぜ『1Q84』が意味不明なのか」という問いの最終的な答えについては、ぜひ親記事の方で改めて確認していただきたい。
▶親記事 [村上春樹『1Q84』を完全解読|あらすじ・登場人物・結末の考察を総まとめ]へ戻る
書名:1Q84 BOOK1~BOOK3
著者:村上春樹
発行:2009/05/30、2010/04/16
出版社:新潮社
