福原麟太郎「ヂョンソン大博士」読了。
本作「ヂョンソン大博士」は、1966年(昭和41年)9月から1968年(昭和43年)9月まで『学燈』に連載された人物評伝である。
連載開始の年、著者は72歳だった。
作品集としては、1969年(昭和44年)8月に研究社から刊行された『福原麟太郎著作集 2 ヂョンソン大博士』に収録されている。
ジョンソンの英語辞典
庄野潤三『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』に、本作『ヂョンソン大博士』が出てくる。
五年がかりで『チャールズ・ラム伝』を書き上げた福原さんは、そのあといくらも間を置かずに今度は『ヂョンソン大博士』に取りかかられ、その連載は丸善から出ている『学燈』で二年間、続いた。英国人が演説や話をする時によく、昔、ドクター・ヂョンソンがこういったがというふうに引用する。この敬愛、尊重の念を「大博士」といういい方で表現されたわけである。私がサミュエル・ヂョンソンという文学者に親しみを抱くようになったのは、福原さんの文章を通してであった。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)
サミュエル・ジョンソンの業績として、最も有名なのは、『英語辞典』の執筆である。
歴史上における英語辞典の出版は、ジョンソンの英語辞典が初めてということではなくて、今日の形式で出た辞書として有名なものには、1721年に出版された『ベイリー編英語辞典』のほか、コッカラムの英語辞書(1723)などがある。
ジョンソンは、1747年に「3年後に英語辞書を出版する」とする企画書を発表したが、実際の完成までには8年の月日を要したという(1755年に出版)。
ジョンソンの英語辞典の特徴は、「諸名家の文例により語義解明」をしているところにある。
つまり、「古今の文学の名文句を用例として」引用したのだ。
もともと、ヂョンソンの考えは、辞典ではなく、文選であり、美しい英語で正確な意味を現わす基準を与えるための詞華集を編むにあったのだという。それが辞書に生成したのである。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
そのため、ジョンソンの英語辞典では言葉も精選されていて、先行出版されていたベイリー版よりも収容語数が少ないらしい。
用例としては、サー・フィリップ・シドニーを上限とし、現在作家からはあまり入れないこととしたため、フッカー、ローレー、スペンサー、ベーコン、シェイクスピアなどが多い。
特に、シェイクスピアに関しては、独自の解釈が素晴らしかった。
いまでも『オックスフォード英語辞典』はじめ、もろもろの辞典に特にシェイクスピアの用語で、ヂョンソンはこういうふうに註していると、彼の独特の解釈が引用されている処では、そういう面での彼の強みを見せているのである。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
福原さんは、それを「いわば読みの深さというようなものがあったのである」と表現している。
この英語辞書は、すぐに分冊版が出版されるなど人気を得たが、ジョンソンは、さして金持ちになったわけではないらしい。
そういう状態でヂョンソンは辞書を世に送り出したのだが、それではその辞書のせいで生活がらくになったかというと決してそうではなく、貰った金はとっくに費い果たしたし、相変らず雑文を書いて暮しを立ててゆかなければならなかった。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
そもそも、本作『ヂョンソン大博士』は、サミュエル・ジョンソンの生涯を紹介する、人物評伝エッセイである。
英語辞典を完成させたとき、ジョンソンは既に46歳で、そこに至る長い道のりがあった。
本作の目次立てを見ると、そのことは一目瞭然で、第一章「『捨弐文豪』号外」から最後の第十二章「終焉」まで全二十四章のうち、「辞書完成す」は第十六章として出てくる。
英語辞典の完成に至るまでには、『ロンドン』『人の願望の空しさ』などの詩をはじめ、劇詩『アイリーニ』、後に『詩人伝』の一部となる『サヴェヂ伝』、後の『シェイクスピア全集』へと繋がる『悲劇マクベス雑感』、その他『ラムブラー』誌での随筆の連載など、実に多くの仕事に取り組まなければならなかった。
そして、英語辞典の完成後は、『シェイクスピア全集』や『詩人伝』のほか、随筆『アイドラー』や小説『ラセラス』といった、大きな業績を残すことになるのだが、本作『ヂョンソン大博士』は、そんなサミュエル・ジョンソンの生涯を、非常に分かりやすい言葉で、しかも多くの文献を引用しながら、専門家ではない一般人にも興味を持ってもらえるように紹介している。
サミュエル・ジョンソンについて調べる必要のある人にとっては、まず必携の一冊となることは間違いない。
50年以上昔の古い著作だが、サミュエル・ジョンソンが、そもそも18世紀の人である。
文章表現が古臭くて読みにくいということなど、まったく感じないのではないだろうか。
第十三章「『ラムブラー』誌」に、次のような文章があった。
歴史の一般的な進行は個人生活に適用しうる教訓をほとんど与えないが、或る一つの生涯が終ると、その物語がどんなに個性的であってもそれが他の人の役に立たないということは稀である。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
これは、人物評伝という文学が持つ意義を、端的に表現したものだと思う。
人物評伝というと、我々は、傑出偉人伝のような、歴史上の有名人の伝記を思い浮かべるけれども、人物評伝は、有名無名にかかわらず、読んで興味深いものだ。
ジョンソンは、特定の人について特殊な事件を取り上げるよりも、「家庭の内輪のことに想いを及ぼさせ、日常生活の些細な顚末を際立たせる」のが良いと考えていた。
「人の真の性格というものは、系図で始まり葬儀で終る形式的に調べ上げた叙述よりも、召使の一人と交した短い会話から、一そうの知識が得られるのである」というのが、ジョンソンの伝記文学観だったのだ。
確かに娯楽も教訓も、見出す手腕と積極性のある人には、つねに手近に存在しております。ユウェナリスの言葉のごとく、ただ一軒の家を見れば、この世に、何が行なわれ、何が起っているかを、十分察知できるというものです。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
これは、名もなき庶民伝を得意とした庄野潤三の文学を愛する一読者として、注意すべき文章だろう。
そもそも、庄野文学では、平穏な家庭の日常を描くことで、普遍的な人間の喜びや悲しみを描こうとしていた。
「ただ一軒の家を見れば、この世に、何が行なわれ、何が起っているかを、十分察知できる」という言葉は、庄野文学の本質に近づいているのではないだろうか。
われわれの身近に経験することが他人にも起るとなると、われわれの心は容易に順応してそれを理解する。これは想像力が沸くからである。伝記はその最も典型的な例である。伝記はいかなる種類の著述よりも発展させる価値があると思われる。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
これは、本作『ヂョンソン大博士』が、英文学にまったく知識のない人が読んでもおもしろいということと、つながっているような気がする。
人物評伝というのは、知識や教養を得るためだけにあるのではない。
人間や人生を味わうという意味においても、伝記文学は、非常に意味のある文学ジャンルなのだ。
『ヂョンソン大博士』では、さらに、サミュエル・ジョンソンの個性的な文学観や人生観を楽しむことができる。
シェイクスピアの批評家たちは、彼をそういう大らかな自然詩人として見ないで視界の狭さがあるとヂョンソンはいう。従ってシェイクスピアにとっては、悲劇喜劇という区別は厳格な意味を持っているものではない。世の中や人生には、悲劇も喜劇も交っている、というのがヂョンソンの見解である。シェイクスピアの作を悲劇、喜劇、史劇と分けたのはつまらぬことであると考えたらしい。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
「世の中や人生には、悲劇も喜劇も交っている」というところが、リアルでいい。
英文学の歴史書を読んでいるというよりは、サミュエル・ジョンソンの生涯を引用して、人生を学んでいるような気になる。
これが、すなわち、伝記文学の効果ということなのだろう。
ちなみに、サミュエル・ジョンソンは、その巨体と風貌から、「大熊」とか「大熊座」などと呼ばれた。
或るときグレイがロンドンの街をあるいているとヂョンソンが、ぶきっちょな歩き方をして向うを通っている。グレイはいっしょにいたボンステッテンという若い弟子にそちらを指して「ごらんよ、ボンステッテン、大熊だ、ウルサ・マイヨール(大熊座)だ」と叫んだという。(福原麟太郎「ヂョンソン大博士」)
詩人トマス・グレイとは、かなり相性が悪かったらしいが、こういう些細なエピソードを読むと、サミュエル・ジョンソンの生きていた時代が、リアルに感じられて楽しい。
ジョンソンに「大熊」というあだ名を付けたのは、自分の父親だったと、ジェイムズ・ボズウェルの日記に記されている。
作品名:ヂョンソン大博士
著者:福原麟太郎
書名:福原麟太郎著作集 2 ヂョンソン大博士
発行:1969/08/25
出版社:研究社