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庄野潤三「静物」村上春樹も絶賛!不安定な夫婦関係と夫の孤独を描いた名作短編

庄野潤三「静物」あらすじ・感想・考察・解説

庄野潤三「静物」読了。

本作「静物」は、1960年(昭和35年)6月『群像』に発表された短篇小説である。

この年、著者は39歳だった。

作品集としては、1960年(昭和35年)10月に講談社から刊行された『静物』に収録されている。

1960年(昭和35年)11月、第七回「新潮社文学賞」受賞。

自殺未遂をした妻が生きている家庭

『若い読者のための短編小説案内』の中で村上春樹は、庄野潤三の作品として「静物」を採りあげている。

「静物」はきわめて興味深く、またすぐれた作品です。文学史の中にきらりと残る作品です。僕はそう思う。そして庄野潤三の作品をどれかひとつ取り上げるとしたら、なんのかんの言ってもやっぱりこの作品しかないと思います。(村上春樹「若い読者のための短編小説案内」)

確かに「静物」という作品の持つ「訳の分からなさ」というのは、村上春樹の小説に通じるところがあるかもしれない。

「静物」は、全部で18の短いエピソードによって構成された短篇小説だが、一つ一つのエピソードに明確なつながりを読み取ることが難しい。

どれも、同じ家族の日常の断片をスケッチしたようなエピソードとは言え、その繋がりから、ひとつの物語(ストーリー)を組み立てることは容易ではない。

さらに、一つ一つのエピソード自体も、徹底的に文章が削ぎ落されていて、そのエピソードが何を意味しているのかが判然としない。

つまり、個々のエピソードは暗示的であり、18篇のピースの集合体である「静物」という作品自体も、かなり意識的に暗示的に仕上げられているのだ。

極端な言い方をすると、「静物」は、かなり読み手側のセンスを求められる作品ということになるだろう。

にもかかわらず、「静物」に対する村上春樹の評価は著しく高い。

むしろ、暗示的な作品であるところに、「静物」の価値があるのだろうか。

作品中で、もっとも重要なモチーフとなっているはずの「妻の自殺」さえ、匂わせるかのようにひっそりと示されているだけだ。

あの日の朝、部屋の隅っこに縫いぐるみの仔犬と一緒にころがっていた。何が起こったかを知らないで、みなし子のようにころがっていた。あの時は生まれてからまだ一年ちょっとの子供であったのだ。(庄野潤三「静物」)

縫いぐるみの仔犬と一緒に転がっていたのは、現在では小学五年生となる一番上の女の子(長女)だが、「あの日の朝」に「何が起こったか」は書かれていない。

その後のエピソードで、極めて暗示的に示されているだけだ。

「い、い、い、い、いちどやると」老人の医者が云った。「何度もやるようになる」「そうですか」と男が云った。彼はまだ年若い夫であった。(庄野潤三「静物」)

「一度やると何度もやるようになる」ことが、いったいどんなことなのかは書かれていない。

ただ、それは、「ぬくもりの無くなった妻の手足」に関連しているものであり、始めはまだ温かった妻の手足が、次第に冷たくなっていく感覚を、父親は記憶しているだけだ。

死んだはずの女の子が生き返ったという外国のニュースを聴いたとき、細君は「恐いわ、その話」と言った。

自分が女の子の母親であったなら、死んだ子供が眼を開けて物を云い出すのを見たときに逃げ出すだろうと、彼女は言うのだ。

死者の世界に殆ど入りかけていて、もう一度こちら側の明るい世界に戻った人間は、いったいどんな声で物を云うのだろう。「気味の悪い声、出さないで」女の子は細君に叱られた。(庄野潤三「静物」)

死んだ女の子が生き返ったという話を聴いたとき、父親は、かつての妻の姿を思い出していたはずだが、そのことはどこにも書かれていない。

匂わせ的なエピソードは、いくつもある。

イギリス映画を観ているとき、怖い場面になると女の子は持っている絵本で目を隠した。

いまブラウスを縫っている女の子が自分の家庭で起った出来事を知らずに済んだのは、その時まだ幼かったからだ。彼女は眠り続ける母を見ても、その意味が分らなかった。誰かの見えない手がそっと彼女の眼に蓋をしてくれたのだ。(庄野潤三「静物」)

「自分の家庭で起った出来事」がどんなことなのか、それには触れられていない。

女の子は、ただ、母が眠り続けていることの意味を理解できなかっただけだ。

そして、それは、幼い彼女にとって幸福なことであったらしい。

妻の自殺が、最も明確に暗示されているのは、クリスマスの朝に、彼女が眼を覚まさなかった場面だろう。

「おい、起きないか」彼はそう云って、妻の肩に手をかけようとした。すると、この時初めて彼女が妙なものを着て寝ているのに気が附いた。(庄野潤三「静物」)

彼女が着ていた「妙なもの」がどんなものだったのか不明だが、枕元には妻が置いたと思われる立派な中折帽子と大きな仔犬の縫いぐるみがあった(それは、彼女の形見になるはずのものだった)。

こうした断片的なエピソードの積み重ねによって、読者は、長女が一歳だったクリスマスの朝に、妻が自殺をしようとしたことを知る(自殺未遂だった)。

しかし、「なぜ、妻は自殺しなければならなかったのか?」は示されていないし、「その後に彼女がどうなったのか(あるいは夫婦がどうなったのか)」についても書かれていない(一命を取り留めたことだけは分かるとしても)。

そこにあるのは、かつて若い時に自殺を図ったことがある母親がいる、平凡な家庭の日常風景だけだ。

穏やかなエピソードの断章は、しかし、読者に何かしら不吉な重たい空気を感じさせる。

おそらくは、この不吉で重たい空気感というやつが、「静物」という作品のテーマになっているのだろう。

それでは、この「静物」という作品を通して、著者は何を伝えたかったのだろうか?

金魚と蓑虫は、妻と夫(夫婦)のメタファーだ

物語の謎を解く重要な鍵は、近所の釣り堀で釣って持ち帰ってきた金魚のエピソードである。

メダカのように小さな金魚は、子どもたちの部屋で、まるいガラスの鉢に入れられた。

金魚が入って来たのは、こういう部屋である。硝子の容れ物に水と一緒に入っているものだ。それはいかにも危なっかしく見える。いきなりボールか何かが飛んで来て、まともに命中するかも知れないし、誰かが押された拍子に当って倒すかもしれない。そういうことなら、何時でも起りそうである。ところが不思議にそうはならなかった。(庄野潤三「静物」)

「いかにも危なっかしく見える」硝子の容れ物は、彼のいる家庭(あるいは夫婦関係)であり、「金魚」は妻自身の象徴である。

いつ壊れてもおかしくないガラスの容器に、彼は自分の家庭(夫婦関係)を見ていたのだ。

それは、いつ壊れてもおかしくないもので、「不思議にそうはならなかった」けれども、「何時か誰かがやるかも知れないという不安は、決して父親の頭から無くなってしまいはしなかった」。

この危険で不安定な家庭(あるいは夫婦関係)という存在こそが、「静物」で著者が描きたかったものだろう。

そして、それは、夫であり、父親である男の生き方に、大きく関わってくるものだった。

釣り堀で主人公は、落ち着きのない男の子に注意している。

話しているうちに父親は、中学校の時に習った英語の教科書に「スティック・トゥ・ユア・ブッシュ」というのがあったことを思い出した。(庄野潤三「静物」)

「自分の茂みにくっついていること」の大切さを説いた寓話は、そのまま、彼自身に対する寓話として暗示的に作用している。

つまり、夫(あるいは父親)は、家庭に腰を落ち着かせなければならない、という意味において、男の自覚を促す作用である。

「妻の自殺」という過去の経験を通して、男は、家庭に腰を落ち着かせる人間(つまり家庭的な人間)となった。

女の子が一歳になる頃(つまり妻が自殺未遂をしたとき)、彼と妻とは別々の寝床で寝ていたという。

その時は二人が別々の部屋に寝ていた。彼女は生まれてから一年経ったばかりの女の子と寝ていた。しかし、すぐに終りになった。あんなことがあった後では、またもう一度もとのように二人は同じ寝床で眠ることになった。それからは、ずっとだ。(庄野潤三「静物」)

「あんなことがあった」の詳細は不明だが、夫が妻と一緒の寝床で寝るというエピソードには、男が家庭に縛り付けられる存在になったという示唆が感じられる。

前向きな言い方をすれば、それは「男が父権を獲得した」ということになるが、後の『夕べの雲』と違って「静物」は、それほど前向きな物語ではなかった。

なにしろ、妻のメタファーたる「金魚」は、「よそ見をしている時にかかった金魚」だったのだから。

前の家にいた頃(つまり、今よりずっと若かった頃)に、すすり泣きの声を聴いたことを、彼は思い出す。

この時、不意に女のすすり泣く声が聞えた。起き上ってもう一度聞こうとすると、その声は止んだ。妙だなと思って、しばらくそのままでいると、さっきと同じ泣き声が聞えた。どうしたんだろう? 誰が家の中で泣いているのだろう?(庄野潤三「静物」)

誰が泣いていたのか? あるいは、その声は、妻への秘密に不安を抱いて暮らす男の幻聴だったのか、それは書かれていない。

書かれていないことが多すぎるというところに、この作品の難しさがあり、同時に、この作品の魅力がある。

平易な文章によって書かれた意味の分からない作品というのは、レイモンド・カーヴァーを思い起こさせるものだ(レイモンド・カーヴァーも、夫としての立場から、繊細で不安定な夫婦関係を暗示的に描いた)。

かつて自殺未遂をした女と一緒に暮らす男の気持ちになって読むと、著者の意図は、もっとよく見えてくるだろうか。

「赤ん坊は一日でもよけいに生きただけ、それだけ生きる力がついて来るものだ」と言った、お祖父さんの言葉。

チンドン屋の前で耳を塞いで叱られてしまった男の子の言葉(「チンドン屋の前で耳ふさぐくらいだったら、あっちへ行きなさい」)。

道路工事をしている男の眼の前に、ころころと転がってきた胡桃の話。

逃げ伸びて一週間くらい経ってから、他の猟師に撃ち止められた大きな猪の話。

釣り堀に落ちたため、濡れた服のままで、釣り師の父親のあとについて帰っていった男の子の話。

どの章でも、最後の一文に重要な意味が込められている。

花壇のおけらの話は、とりわけ暗示的なエピソードだ。

女の子は「誰かさんの脳みそ、どーのくらい」と言うと、おけらがびっくりして前足を広げるという話を、おもしろそうに教えて聞かせる。

彼女はよく笑った。「どーのくらい」と男の子が自分の手をひろげて云うと、「どーのくらい」と小さい男の子が云った。「こーのくらい」「こーのくらい」三人がやり始めたので、父親が云った。「もういい、分った。お願いだから、静かにしてくれ」(庄野潤三「静物」)

子どもたちの話を遮った父親の心の中には、かつて自殺を図った妻の姿がなかっただろうか?(私のことを、どのくらい愛しているの? どのくらい? どのくらい?)

最終章に登場する「蓑虫」は、父親自身の象徴だ。

戸外で見ると珍しくも何ともないこの虫が、屋根も天井もある家の中に巣をこしらえてぶら下っている姿は、不思議な気持のするものである。「どういうつもりなのかな」と彼は細君に云った。「ずっとここに住みつく気なんだろうか」(庄野潤三「静物」)

「屋根も天井もある家の中に巣をこしらえてぶら下っている姿」は、男自身の姿でしかないが、「ひとところだけ、臙脂色の小さい紙きれがくっついている」ところに、男の微かな希望を読み取ることができる。

その直後に金魚の描写があって、この短篇小説は終わる。

二人が蓑虫を見ている間、反対側の出窓では金魚が硝子のふちに出来た水苔をちょっと口でつついては気が無さそうにそこを離れた。(庄野潤三「静物」)

分かりやすく言い換えると、この物語は「金魚と蓑虫」という作品タイトルになるのではないだろうか。

金魚と蓑虫は、つまり、妻と夫(夫婦)である。

家庭内の何気ないモチーフを組み合わせて、著者は、不安定に続いていく夫婦関係を暗示的に描いてみせたのだ。

細かいエピソードを組み合わせる作品構成は、佐藤春夫の助言から着想を得たものらしい。

1959年(昭和34年)12月に早稲田大学の大隈会館で、古木鉄太郎『紅いノート』の出版を祝う会に参加したとき、佐藤春夫は庄野さんに「どうしているか?」と訊いたという。

『群像』に一挙掲載するはずの作品が書けないで苦労していることを、佐藤春夫は既に知っていたらしい。

「なぜ書けないのか」と問い詰められて、庄野さんは「書きたいことはあるんです。ただ、それがみな断片で、どういうふうにつなげてゆけばいいか分らなくて、書けないんです」と答えた。

「そうか。それなら、書きたいことを先ず一、として書いてみるんだね。次に二、としてもう一つ書く。とにかく、書いてみるんだね。それからあとは、三、として次のを書く。四、として次のを書く。そこまで書いて、もし三と四を入れ替えた方がよくなると気が附けば、順序を入れ替えてもよし。そうやって、胸のなかに溜まっているものを断片のままでいいから、全部書いてしまうんだね」(庄野潤三「文学交友録」)

庄野さんが「静物」を発表したのは、翌年(昭和35年)6月の『群像』だった。

昭和34年の春から書き始めて、ほぼ一年間の時間が経っていた。

この間の生活は、経済的にもかなり苦しいものだったらしく、新潮社文学賞受賞の知らせを電話で受けたときに妻が泣きだしたことが、『文学交友録』に綴られている。

「胸の中に溜まっているもの」書き出す作業は、そのくらいに困難なものだったのだろう。

この後、庄野さんは『浮き燈台』を始めとする聞き書き小説の分野へと進んでいく。

私は「静物」を書いたあと、雑巾をしぼるようにして自分をしぼり出す小説はかなわないと思い、今度は素材を外部に求めたいと考えていた。(庄野潤三「わが小説」~随筆集『自分の羽根』所収)

それでも、そうした(雑巾をしぼるようにして自分をしぼり出す)難渋の末に生み出された「静物」は、作家・庄野潤三を代表する作品となった。

しかしいずれにせよ庄野潤三は、おそらくはこの「静物」という短編小説をひとつ書いただけで、文学史に残る作家であり続けることでしょう。それだけの力を持った作品です。(村上春樹「若い読者のための短編小説案内」)

新潮文庫の『プールサイド小景・静物』が版を重ねて現在まで刊行され続けているのは、決して偶然ではない。

村上春樹の指摘を待つまでもなく、「静物」は、文学史に長く残る作品となったのだから。

ちなみに、庄野潤三の長女・夏子は、1947年(昭和22年)生まれで、村上春樹よりも年上である。

「静物」が『群像』に発表されたとき、作中で小学5年生だった女の子は、既に中学1年生になっていたのだ。

作品名:静物
著者:庄野潤三
書名:プールサイド小景・静物
発行:2002/05/25 改版
出版社:新潮文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。