文学鑑賞

安西カオリ「ブルーインク・ストーリー」水丸さんは青いインクの万年筆でスケッチを描いた

安西カオリ「ブルーインク・ストーリー」あらすじと感想と考察

安西カオリ「ブルーインク・ストーリー―父・安西水丸のこと―」読了。

安西水丸さんの長女が父・安西水丸についてのエッセイを書いた。

ニューヨーク、トルーマン・カポーティ、スリップウェア、フェザーコーム、スノードーム、エスプレッソコーヒー、麻生珈琲店、カレー、ブルーウィロー、フォークアート、小椋久太郎の伝統こけし、中日ドラゴンズ、ガラスのプロペラ、ディック・ブルーナ、ペン・シャーン、マティス、房総半島の千倉の海。

水丸さんの好きだったものを通して綴られる、娘の眼から見た父としての安西水丸さんは、やっぱり、いつもの水丸さんのままだった。

スノードームをこっそりと集めていた水丸さん。

カレーが大好きで、自分でも料理をしていた水丸さん。

海といえば「千倉の海」だった水丸さん。

長女のカオリさんは、父である水丸さんから多くのことを学んでいる。

東京生まれなのに中日ドラゴンズファンだった水丸さんは「東京で中日ドラゴンズを応援し続けることで人生に強く立ち向かうことを知った」と語り、伝統こけしの魅力を解さない友人たちから揶揄されながらも「何を言われてもいい。小椋久太郎のこけしに出会えたことに感謝している」と自分の信念を貫いた。

東京の広告会社を退職して、単身ニューヨークに渡った水丸さんは、マンハッタンにあるデザインスタジオで働きながら暮らした。

やがてアメリカでの生活を終えて、帰国のためにニューヨークを出る日、クイーンズポロ橋の上からマンハッタンを振り返った水丸さんは「こんなところに誰が二度と来るか」と捨て台詞を吐いたそうである。

ニューヨーク滞在中にいろいろの思いがあったのだろうと、カオリさんは水丸さんの心中を慮っているが、仕事の関係で、その後何度もニューヨークを訪れることになった水丸さんは「あの頃のニューヨークはどこにもない」とつぶやいていたらしい。

ニューヨークで仕事をしていたデザインスタジオはビルの18階にあり、初出勤の日に窓の外には雪が降っていた。

雪の中に佇むマンハッタンのビルの群れは、水丸さんが大好きだったスノードームの情景へとつながっていく。

嵐山光三郎は「雪舟は絵が上手すぎて誰もまねができなかった。水丸は下手で誰もまねができない」と言って、青山にアトリエを持つ水丸さんを「青山雪舟」と呼んだが、水丸さんは感じたままに描くアメリカのフォークアートを愛した。

上手に書くこと以上に、感じたことを書くことにこだわり続けた水丸さんらしいエピソードだと思う。

江國香織さんの「すいかの匂い」の表紙を担当したときは、スイカを描くこと自体は難しくはないが、その『匂い』をどう表現するか、それがイラストレーターの仕事だと語っていたという。

本書「ブルーインク・ストーリー」には、生前に水丸さんが残したスケッチが多数収録されている。

「あとがき」によると、水丸さんは青インクの万年筆を使ってスケッチを描くことがあったらしい。

「一本一本の線を大切にした父は、シンプルにできるだけ生きた線だけで、ぎりぎりのところで表現したい気持ちがあったようです」「ブルー一色で描かれた作品は、さまざまな色を用いたものとはまた違った空間を見せてくれています」と、カオリさんは語っている。

実際、青いインクの万年筆で描かれたスケッチは、旅先から届いたエアメイルのように、爽やかで懐かしい匂いがする。

青いスケッチの横には、青い文字で「お元気ですか?」と綴られているような気がする。

そういえば、青いインクのスケッチに合わせて、本文にも青い文字が用いられていて、本書全体が青いインクでしたためられた長い手紙みたいだ。

カバーを外すと本全体が爽やかなティファニー・ブルー、栞(スピン)にもティファニー・ブルーが使われていて、とことんデザインにこだわり続けた水丸さんにふさわしく、美しい本に仕上がっている。

久しぶりに素敵な装丁の本を手にして、デジタルじゃない紙の本を持つ喜びを、しみじみと感じてしまった。

書名:ブルーインク・ストーリー―父・安西水丸のこと―
著者:安西カオリ
発行:2021/4/20
出版社:新潮社

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。