庄野潤三は「家族小説の作家」だと言われる。

なぜ庄野潤三は「家族小説の作家」と呼ばれているのだろうか?

本記事では、庄野潤三の「家族小説」の全貌を解き明かすとともに、晩年へとつながる家族小説の系譜について解説していきたい。

【概要】庄野潤三の「家族小説」とは?

もともと庄野潤三は、夫婦の不安や疑心暗鬼を描く「夫婦小説」で高い評価を得た作家だが、やがて「夫婦の小説」は「家族の小説」へと発展していった。

その最初の作品が、大阪から東京石神井公園へ移住してきたばかりの5人家族を主人公にした『ザボンの花』である(ここが第1期)。

両親と3人の子どもたちで構成される5人家族の物語は、その後の作品の定型となり、神奈川県生田の山の上にある一軒家に引っ越した後の一連の作品群では「長女の和子」「長男の明夫」「次男の良二」というキャラクターが固定化されていく(ここが充実の第2期)。

3人の子どもたちがそれぞれ結婚して独立した後、しばらくの間、家族小説から遠ざかるが、孫娘が生まれた頃から再び小説のテーマは家族へと戻り、「夫婦の晩年」をテーマとした連作的な小説を書き続ける(ここが晩年の第3期)。

要約すると、庄野潤三の家族小説はざっくりと、次のように分類することができる。

・石神井公園時代(第1期、昭和30年代)
・生田の山で子どもたちと同居していた時代(第2期、昭和40年代から50年代)
・生田の山で夫婦二人で暮らしていた時代(第3期、昭和60年代から平成まで)

第1期には名作『ザボンの花』があり、第2期には非常に充実した作品群が残されているし、晩年の第3期の作品群は近年も「静かなブーム」と言われるほど人気を集めている。

ここでは第1期から第2期へと続く家族小説の歴史を紹介していきたい。

第3期の「フーちゃん三部作」や「夫婦の晩年シリーズ」については、別に記事を起こして解説する必要があるからだ。

【解説】庄野潤三「家族小説」の歴史

ここでは、庄野潤三の家族小説をご紹介したい。

①『ザボンの花』1956年(昭和31年)

『ザボンの花』は、大阪から東京の石神井公園そばへ引っ越してきた庄野一家の暮らしをモデルに描かれた、初期の名作長篇小説。

第1章の「ひばりの子」が中学校の教科書に掲載されるなど、高い評価を得た。

東京都内に麦畑があった時代の牧歌的でほのぼのとした暮らしぶりの中に、生きることの切なさやおかしさなどが綴られている。

本作『ザボンの花』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「ザボンの花」石神井公園時代の日常を描いた<ほのぼの>家族物語

②『つむぎ唄』1963年(昭和38年)

いずれも父親である三人の中年男性の目線から描かれた家庭小説。

モデルとなっているのは、庄野潤三・小沼丹・吉岡達夫の三人で、男同士の友情を通して、それぞれの家族の生活がスケッチされている。

父親としての責任を負った男たちの生き様に注目したい。

本作『つむぎ唄』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「つむぎ唄」小沼丹や吉岡達夫の<町内会>と長女の高校受験物語

③『夕べの雲』1965年(昭和40年)

『夕べの雲』は石神井公園の麦畑から生田の山の上へと引っ越してきた庄野家の暮らしをモデルに描かれた5人家族の物語である。

作者自ら「『夕べの雲』が自分の代表作だと思う」と語っているとおり、その後の庄野文学の流れを決定づけたエポックメイキングな作品と言えるだろう。

何気ない日常のスケッチを通して、季節の移り変わりの中で戻らない時間を生きる家族の暮らしを綴った作品。

本作『夕べの雲』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶ 庄野潤三『夕べの雲』あらすじと考察|日常の尊さと父親の覚悟

④『丘の明り』1967年(昭和42年)

五人家族時代の短編集。

後半に収録されている「卵」「丘の明り」などの作品が、その後の「家族小説路線」を牽引していくことになった。

名作「秋風と二人の男」も本書に収録されている。

本作『丘の明り』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三『丘の明り』生と死の境界線上に浮き上がる懐かしさ

⑤『雉子の羽』1968年(昭和43年)

日常生活の断片を積み重ねたような実験的な作品。

五人家族がそれぞれの視点から見た「現在」が、メモのようなスケッチで描かれている。

ある意味で、高度経済成長期を記録したドキュメンタリーだったのかもしれない。

⑥『小えびの群れ』1970年(昭和45年)

長女(和子)、長男(明夫)、次男(良二)の三姉兄弟が活躍する短篇集。

「星空と三人の兄弟」「尺取虫」「野菜の包み」「さまよい歩く二人」「戸外の祈り」「小えびの群れ」など、家族シリーズの作品が多く収録されている。

講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』(1965)にインスパイアされた作品が含まれていることも大きな特徴と言っていい。

本作『小えびの群れ』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶ 庄野潤三『小えびの群れ』普通の生活の中にある小さなドラマから生まれた物語

⑦『絵合せ』1971年(昭和46年)

『絵合せ』は、庄野潤三の家族小説が、非常に充実していた時期に書かれた中編小説である。

3人の子どもたちは、「和子(会社員)」「明夫(高校3年生)」「良二(中学3年生)」で固定化されていて、長女の和子が結婚して家を出て行く直前の日々の様子が描かれている。

本作『絵合せ』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶ 庄野潤三『絵合せ』文庫本では読むことのできない単行本オリジナル

⑧『明夫と良二』1972年(昭和47年)

全作『絵合せ』に続いて、長女(和子)の結婚を扱っている。

長女の結婚により、明夫と良二の兄弟が、いよいよ主役になることが多かった。

毎日出版文化賞と赤い鳥文化賞を受賞した名作。

本作『明夫と良二』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「明夫と良二」児童文学で読む仲良し家族の歴史物語は長女の結婚から生まれた

⑨『野鴨』1973年(昭和48年)

長女が家を出て四人家族となった庄野家がモデルとなっている。

一連の家族小説の中でも、とりわけ文学性の高い名作として高く評価したい。

イギリスのエッセイ文学の影響が強く感じられる。

本作『野鴨』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「野鴨」日常生活の中で感じる<生きていることの懐かしさ>

⑩『おもちゃ屋』1974年(昭和49年)

長女夫妻のところに生まれた孫たちが、作品の中で活躍しはじめる。

日常の中に潜む危険に対する警告は、幼い子どもたちへの愛情故に生まれたものだったろうか。

⑪『鍛冶屋の馬』1976年(昭和51年)

長女(和子)の嫁ぎ先で展開する日常が、温かい父親としての視点から描かれている。

黍坂の大家さんの家作で暮らしている長女の会話を通して物語が展開していくという形は、この作品によって完成された。

黍坂時代の長女を描いた最後の作品集。

⑫『屋上』1980年(昭和55年)

1975年(昭和50年)から1980年(昭和55年)までに発表された作品が収録された短篇集。

子どもたちが社会人となったことで、かつてのように家庭内だけの素材で小説を書くことは難しくなっていたのだろう。

この時期の家族ものは、家族が見たり聞いたりした出来事が、父親である「井村」の文章によって再現されるパターンが主となっている。

本作『屋上』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「屋上」懐かしくて居心地の良い祖父母の家みたいな優しい温もり

⑬『世をへだてて』1987年(昭和62年)

闘病記『世をへだてて』も、ある意味では家族小説だった。

なぜなら、この作品は、患者を看病する家族の視点によって、作家の闘病生活を再現しているからだ(なにしろ、本人は意識がなかった)。

庄野家の絆の強さを最も実感できるのが、この作品だったかもしれない。

庄野潤三の脳内出血からの復活を綴った『世をへだてて』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶【偏愛解説】庄野潤三「世をへだてて」次男(和也)の結婚と脳内出血による緊急入院からの闘病記

⑭『インド綿の服』1988年(昭和63年)

長女(和子)が南足柄市へ引っ越したため、従来の家族小説は『鍛冶屋の馬』が最後となった。

その後、庄野さんは、南足柄の長女から届く手紙を題材とした作品を書き始める。

ある意味で、晩年の庄野潤三のはじまりが、この作品だったのかもしれない。

本作『インド綿の服』については、次の記事で詳しく解説しています。

▶庄野潤三『インド綿の服』長女の手紙を素材とした短篇小説「足柄山シリーズ」

まとめ│家族小説の作家・庄野潤三

家族小説を離れていた庄野潤三は、脳内出血の大病から復活して、再び、家族を題材とした小説を書き始める。

それが「フーちゃん三部作」であり、「夫婦の晩年シリーズ」である。

庄野潤三は、やはり「家族小説」の作家だった。

その長い家族小説の系譜は、つまり、庄野文学の系譜ということでもあるのだ。

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文学ブログ『時空標本』では、庄野潤三の紹介に力を入れています。

詳細は、次の記事をご覧ください。

▶ 庄野潤三とは|芥川賞を”超えた”作家の魅力と代表作10選を徹底解説

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モグラのジェン
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