青柳瑞穂「壺のある風景」読了。
本書は、著者が愛してやまない壺(つまり骨董品)にまつわる文章を集めた随筆集である。
と言っても、難しい骨董論や歴史の解説などが主ではなく、著者が骨董と出会うまでの旅の道のりを描いた紀行集のような趣きが強い。
例えば、冒頭の「田舎の土蔵」は、田舎を旅して見つけた古い土蔵の中から稀少な骨董品を掘り出す醍醐味について書かれたものだが、高い金を出して購入するばかりが骨董の道ではないということが分かる、非常に優れたエッセイである。
もちろん、それは戦前か、せいぜい昭和30年代くらいまでの話であって、現代ではお伽噺のような物語ではあるが、骨董を巡る旅の楽しさというのは、今もって失われるものではないだろう。
「長崎を想う」という作品では、長崎の古道具屋で見つけて買ってきた茶碗を通して、長崎の街を回想する話であるが、著者にとっては、古い茶碗が、著者と長崎とを結びつける強い絆のようなものであって、これは本書全体に通ずる精神のようである。
この「長崎を想う」の中で、「わたしは今日のものより昨日のもの、ここでできたものより、あちらでできたものの方が好きだ。つまり時間的にも、空間的にも遠くのものの方が好ましいわけである」と、著者は述べているが、こんなところにも、青柳瑞穂という作家が旅を愛した理由が語られているような気がする。
「うまいもの、美しいもの」では、日本製のウイスキーの容器に厳しい見解を寄せている。
それにつけても、食事のたび、いつも腹がたつのは、日本製ウイスキーの容器だ。その内容に上中下のあることは当然としても、容器自体に上中下があるとは何事か、と叫びたい。なぜギリギリに理想的な容器を一つだけ考案しないのか。しかも、皮肉なことには、立派そうに見えるやつだけ、グロテスクで、バカげている。金をかければかけるだけバカげてくるとは、なんてバカげたことだろう。(青柳瑞穂「うまいもの、美しいもの」)
いつも穏やかな著者の文章が、突然に激しくなっているのは、自国の文化に対する強い誇りと愛情を持っている青柳瑞穂だからこそのものだろう。
こんな美術論も悪くないが、僕はやはり青柳瑞穂の旅のエッセイが好きだ。
「私にとって、人のいない風景は、すでに風景ではなく、威嚇であり、怪物である。深山も幽谷も岩石も、みなごめんである(国東半島の朽ちた仏像)」とか「通りは自分の足で歩くものだ。とりわけ、せまい裏通りは、車より何より、自分の足がふさわしい。別に買い物に来たわけでもないし、用事があるわけでもないので、町の名前なんてどうだっていい。ただ歩いてさえいればいいのだ(京都の裏町を歩く)」とか、著者の言葉には旅を楽しむための含蓄がある。
これはもう「骨董の随筆集」ではなく「旅の随筆集」であると言いたい。
骨董と旅を愛した青柳瑞穂
「武蔵野の地平線」という随筆に、旅情が描かれた、すごく良い場面がある。
八王子に着くと、小雨になっていた。駅前の簡易食堂で、時間をつぶす。午前十時頃である。お客にはバスの女車掌が目立ち、そのほかにも駅関係の勤務者といった人たち、たいていがライスカレーを食べていた。ぼくは旅に出ると、こういう駅前の簡易食堂にはいるのが大好きで、ただそれだけで旅情がわいてくるというものだ。(青柳瑞穂「武蔵野の地平線」)
長崎や京都まで行かなくても旅はできるという、青柳瑞穂流の旅行観だと思いたい。
ちなみに、このとき著者は高麗川神社を訪ねているが、著者にとってそれは久しぶりの再訪であった。
以前に訪れたのは戦争中の昭和十八年で、外村繁や太宰治や上林暁などの「阿佐ヶ谷会同人」で旅をしたときのことだったという。
「倉敷の町」では、駅の裏手あたりの古道具屋で、古備前のおもり(漁獲の道具の網に使うもの)を三個百五十円で買っている。
この小さな古道具から、著者は倉敷の旅を回想し、倉敷の街を思い出すことができる。
小さな骨董が紡ぎ出す旅の思い出。
そいう意味では、やはり本書は「骨董の随筆集」であるのかもしれないが、青柳瑞穂にとって旅と骨董とは、ひとつの組み合わせとして考えるべきものであったということには間違いがないだろう。
井伏鱒二が釣りと旅を愛したように、青柳瑞穂もまた骨董と旅を愛したのだ。
書名:壺のある風景
著者:青柳瑞穂
発行:1970/3/27
出版社:日本経済新聞社