札幌市東区の喫茶店「コーヒーハウス・ミルク」が、開店50年目を迎えた。
北海道大学や藤女子大学の学生からも愛されたお店だけあって、「開店50周年」のニュースは、複数のメディアで紹介されたらしい。
なにしろ、50年(半世紀)も続いてきた喫茶店である。
「ミルク」から巣立った若者たちが、今、社会の中核で活躍しているのだ。
「ミルク」から始まった中島みゆき伝説
「コーヒーハウス・ミルク」のことは、和田由美『さっぽろ喫茶店グラフィティー』(2006)に詳しい。
シンガー・ソングライターの草分けとして活躍した前田さんは、70年から5年間に渡って北光教会でフォークコンサートを開催。その参加バンド「壊れた蓄音機」のボーカルが、藤女子大在学中の中島みゆきだった。(和田由美「さっぽろ喫茶店グラフィティー」)
「コーヒーハウス・ミルク」は、常に、中島みゆき伝説とともに語られてきた喫茶店だ。
フォークグループ「壊れた蓄音機」には、「宮越屋珈琲」オーナーの宮越陽一が参加していた、との伝説もある(事実関係は未確認)。
歌のモデルとなった当時、前田さんは30歳。「年齢は2歳ほど違うし、僕はカウンターで水を飛ばしたりしませんよ」と苦笑いする。しかし、彼女は有名になってからも良く店を訪れ、そのせいか「今でも札幌でコンサートがある日はファンの人たちで満席になります。ここから会場に直行する人もいますね」と夫人の彰子さん。(和田由美「さっぽろ喫茶店グラフィティー」)
「ミルク」が開店したのは、1974年(昭和49年)10月のこと。
学生運動の余韻が残る70年代は、北大周辺に多くの喫茶店ができた。同店もその一つ。重和さんは、鉄工所経営だった実家が建てたビル1階に店を構えた。内外装や床、テーブルは仲間との手作り。店内では仲間が弾き語りを聴かせたが、自分は演奏を断念した。「才能を世に出す方が面白くなっていた」と振り返る。(「北海道新聞」2024/10/17)
実際、「ミルク」からは、多くの若者たちが音楽界へと巣立っていったらしく、店内の壁には、サインの入ったGO-BANG’S(ゴーバンズ)のポスターが貼られている(ゴーバンズは札幌市立もみじ台中学校卒業生によるバンド)。
ゴーバンズの隣に、RCサクセション『COVERS(カバーズ)』(1988)のポスターがあるのもいい(ゴーバンズを発掘したのは忌野清志郎)。
『さっぽろ喫茶店グラフィティー』の著者(和田由美)が編集長を務めた『札幌青春街図』(1977)にも、「ミルク」は登場している。
マスターの前田重和さん(29)は、知る人ぞ知るシンガー・ソング・ライター。それも札幌の草分け的存在。(略)かかる曲はマスター好みの友部正人から荒井由実までシンガー・ソングライターのもの中心。ウエストコースト派のロックも多い。レコードは約300枚。時々生のフォークコンサートも開く。(プロジェクトハウス亜璃西「札幌青春街図」)
中島みゆきは、1975年(昭和50年)に「アザミ嬢のララバイ」でメジャーデビューを果たしているが、当時は、まだ、「ミルク」と「中島みゆき伝説」とは結びついていなかったのかもしれない。
「コーヒーハウス・ミルク」をモデルに歌った名曲「ミルク32」の発表は、1978年(昭和53年)で(『愛していると云ってくれ』)、「ミルク」を発祥とする中島みゆき伝説は、ここから始まった(当時、中島みゆきは26歳だった)。
「ミルク32」は、失恋した女性の自己対話を描いたもの
「ミルク32」は、カウンターに座った女性が、自分の失恋話をマスターに語りかけている場面を描いた作品として知られる。
ねえ ミルク
またふられたわ
忙しそうね
そのまま聞いて
ゆらゆら
重ね上げたお皿と
カップの かげから
(中島みゆき「ミルク32」)
おそらく、主人公の女性は、心の中でマスターに語りかけているのだろう。
マスター(32歳)は、彼女の話の聞き役として配置されているようだが、実際に彼女が話しかけているのは、彼女自身である。
つまり、この曲は、内面における彼女自身の自己対話を物語化した作品なのだ。
ねえ ミルク
またふられたわ
ちょっと 飛ばさないでよ
この服高いんだから
うまくは いかないわね
今度はと 思ったんだけどな
あんたときたら
ミルクなんて飲んでてさ
随分 笑ったわね
いつのまに バーボンなんて
飲むように なったのよ
(中島みゆき「ミルク32」)
失恋した苦しさを、彼女は、マスターを介在させながら語ることによって中和しようとしている。
村上春樹的に言えば「うなぎ的な第三者」として、喫茶店のマスターが配置されているのだ(彼女と相手の男性と喫茶店のマスターという三者関係の構築=うなぎ説)。
こうした技法によって、彼女の失恋の痛みが緩和されて、あたかも、喫茶店のマスターに、彼女の視点がフォーカスされているかのように読めるが、彼女が歌っているのは、あくまでも、彼女自身の失恋である。
真正面から向き合わない構図を取ることによって、主人公は、自分の失恋の痛みを伝えようとしているのだろう。
ねえ ミルク
聞いてるの
今それどうしても
洗わなきゃならないの
忙しいものなのね
マスターともなると
ほんとかしら
なんで あんなに あたしたち
二人とも 意地を
張りあったのかしらね
ミルク もう 32
あたしたち ずっと このままね
(中島みゆき「ミルク32」)
32歳(独身)の喫茶店マスターには、彼女自身の姿が投影されている(「ミルク」のマスターが独身だったか否かは別として)。
おそらく、主人公の女性は、働くマスターの姿に癒されながら、失恋の痛手から再生する道を探っているのだ。
そこには、1970年代の喫茶店が果たしていた、若者たちの支援者という役割がある。
スタバとかタリーズとかコメダとか、オシャレなチェーン・カフェもいいけれど、オーナーの顔が見える個人の喫茶店には、温もりと安心感がある。
そして、個人と個人とをつなぐ役割も、また、1970年代における喫茶店の大きな機能だったのかもしれない。
エルヴィス・プレスリーの流れる静かな喫茶店でホット・ミルクを飲みながら、僕は猫の声を聴いた(おはぎといなり)。
今夜は、久しぶりに中島みゆきを聴きながら本を読もう。