読書体験

『クウネル』庄野潤三インタビュー/静かなブームの家族小説家に学ぶ身の丈ライフ

『クウネル』庄野潤三インタビュー/静かなブームの家族小説家に学ぶ身の丈ライフ

創刊時代の『クウネル』に、庄野潤三のインタビューが掲載されている。

当時、庄野潤三の家族小説は、若い女性に「静かなブーム」と呼ばれていた。

最新作は『うさぎのミミリー』の時代である。

ロハスブームの落とし子『クウネル』

『クウネル』庄野潤三インタビュー『クウネル』庄野潤三インタビュー

2003年(平成14年)に創刊された『クウネル』には、『anan増刊』時代があった。

「ここから始まる私の生活」(2002/04)、「もうすぐ冬じたく」(2002/11)、「そろそろ、おでかけ」(2003/05)の3冊である。

だから、創刊号「週末の過ごしかた」には「VOL.4」のナンバーが割り振られているのだ。

1990年代のエコロジーブームが発展する流れの中、2000年代に入ってロハスブームが訪れる。

『天然生活』や『クウネル』は、2000年代初頭を飾ったロハスブームの落とし子だった。

「ロハス」とは、環境や健康を重視した新しいライフスタイルを総称するもので、「豊かな暮らし」という言葉に、そのすべてが凝縮されていた。

時代に敏感な人たちは「豊かな暮らし」を実現するため、「スローライフ」や「ナチュラルライフ」に取り組んだ。

そして、「豊かな暮らし」を標榜する人々に、最高の教科書となったのが、新しいライフスタイル誌『クウネル』だった。

「ストーリーのあるモノと暮らし」をキャッチフレーズとする『クウネル』には、男性読者も少なくなかったが、書店では女性情報誌コーナーに配置されたので、正直、男性には買いにくい雑誌だった(なにしろ『アンアン』増刊だ)。

オープン直後の、来店客の少ない時間を見計らって僕は、この新しい雑誌『クウネル』を買い求めていたはずだ(当時35歳。長女は7歳だった)。

庄野潤三のインタビューは、そんな『クウネル』創刊前史の2002年(平成14年)11月15日号に掲載された。

『クウネル』が見た庄野潤三

インタビューに応じる庄野潤三(81歳)インタビューに応じる庄野潤三(81歳)

2002年(平成14年)11月15日発行の「anan増刊『クウネル』」の特集は「もうすぐ冬じたく」だった。

庄野潤三インタビューのタイトルは「平凡な毎日の中に喜びがある」。

夫婦の日常の風景を、端的な言葉で綴った小説『うさぎのミミリー』が、若い女性たちの間で、静かな人気を呼んでいる。これは、『貝がらと海の音』から続くシリーズの最新刊。4月に発刊されたばかりだが、早くも3刷になっている。(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

『うさぎのミミリー』は、2002年(平成14年)に刊行された長篇小説である。

老夫婦の日常を描いた「夫婦の晩年シリーズ」の作品で、『うさぎのミミリー』は『山田さんの鈴虫』(2001)に続く、シリーズ6作目の作品だった。

穏やかな暮らし。庄野潤三の代表作「夫婦の晩年シリーズ」全11作品をまとめて紹介。
穏やかな暮らし。庄野潤三の代表作「夫婦の晩年シリーズ」全11作品をまとめて紹介。まだ『アンアン』の増刊号だった『クウネル』(2002年11月15日)に、庄野潤三のインタビューが掲載されている。 「夫婦の日常の風景を...

老夫婦の穏やかな暮らしは、暗い世相の中で、憧れの生活に思えたのかもしれない(なにしろ「失われた10年」の90年代から生まれた作品である)。

庄野作品には欠かせない奥様が迎えてくださる。小柄で可愛らしい方だ。庄野さんは書斎で待っていてくださった。(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

小田急線生田駅から急な坂道を登ったところにある庄野家は「山の上の家」と呼ばれて、庄野文学の聖地となっている。

午前中にすでに、1回歩いてきたんです」と、庄野さんは語っている。

「よく手を前に振って、元気よく歩いている人を見かけますけど、ぼくは振らないんですよ。もう、自然に揺れるままに任せる。理想としてはトボトボと。颯爽とは歩かないんですよ」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

「理想としてはトボトボと」とあるところがいい。

散歩しているときは「帰ったらシャワー浴びて、ビール飲みたいなあ」と、ビールのことを考えながら、歩いているのだそうだ。

「家を購入したのが40年前。最初に越してきた時は、他に家はこの下(坂下)に一軒だけでした。夜は真っ暗になってね、キャンプに来たみたいな感じがしました」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

移転当時のことは、代表作『夕べの雲』に詳しい。

「たぶん、『夕べの雲』というのがね、私の大きな転換点だと思うんですけどもね。ここに引っ越してきて、家のまわりの木がつぶされていくのを、子供たちと一緒に惜しんで、眺めてきたのがこの本のいちばん大きなモチーフだったんです」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

『夕べの雲』を読まずに、庄野文学は始まらないし、終わらない。

庄野潤三「夕べの雲」覚悟を決めた中年男の開き直りと「山の上」移住物語
【徹底考察】庄野潤三「夕べの雲」覚悟を決めた中年男の開き直りと「山の上」移住物語庄野潤三「夕べの雲」読了。 本作「夕べの雲」は、1964年(昭和39年)9月から1965年(昭和40年)1月まで『日本経済新聞』に...

以後、庄野さんは、実際に体験したことだけを、小説に書き続けた。

もともと空想して書くというのが、好きじゃないんですね。自分の見聞きしたものの中から、心に訴えてきたことを書くというほうがずっと好きなんです」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

インタビューの会場は、庄野さんの書斎で、机の上には、毎日の日記が積み重ねられている。

この日記が、ほぼ、そのまま原稿となって、文芸誌に掲載される。

庄野文学は、偽りのない実体験の文学なのだ。

ピアノの上には両親の写真が飾られているピアノの上には両親の写真が飾られている

もちろん、それは、ナマのままに、生活や感情のすべてをさらけ出すということではない。

「人間が生きていく以上、不愉快なことにも必ず出会うわけですけど、それを大きく取り上げない。それを無視したいという気持ちがあるわけですね。それから、人間は必ず死ぬものですけれども、死ぬってことも考えちゃいけないと、自分に言い聞かせているんですよ」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

庄野さんの小説には、イヤなことは書かれていない。

楽しいことだけが綴られていくが、それは、決して現実逃避ではない。

「人生の良い面だけを見つめて生きていきたい」という、作者の強い意志を反映したものなのだ。

「 ”ありがとう” というのは、年月の積み重ねでできあがったものです。実生活の経験がまだ少ない人たちは、どんなふうに読むのかなあと、ちょっと見当がつかないんですけれども。だけど、ぼくは難しいことを書いているわけじゃないから、ぼくが ”ありがとう” と言えば、”ほんとに庄野さんはありがとうと思ってるんだろうな” と。それは通じているかもしれません」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

当時、アラサーだった読者も、現在、50歳を超えた。

年月を積み重ねて、庄野さんの小説を読み解く視点も、きっと変わったのではないだろうか。

ポツポツと原稿を書いて、それが雑誌に載って、そして1年たって本になるというのは、それはほんとに限りのない喜びですね。健康の許す限り、これからもぼくの日常を書いていきたいですね」(『クウネル』庄野潤三インタビュー)

この年、庄野さんは81歳。

代表作となった「夫婦の晩年シリーズ」は、第11作目『星に願いを』(2006)まで10年間続いた。

2009年(平成21年)、庄野さんは88歳で亡くなったけれども、その作品は、今も読み継がれている。

もしかして、そこには、「人生の良い面だけを見つめて生きていきたい」と願う、読者の祈りがあるのかもしれない。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。