初めて映画化された村上春樹の作品は、デビュー作『風の歌を聴け』(1979)。
公開は1981年(昭和56年)12月で、監督は大森一樹だった(1982年の正月映画)。
『風の歌を聴け』キャスト
・主人公(僕) 小林薫
・小指のない女の子 真行寺君枝
・鼠(ねずみ) 巻上公一
・ジェイ 坂田明
映画『風の歌を聴け』を読み解く
村上春樹『村上朝日堂』に「大森一樹について」というエッセイがある。
大森一樹くんは兵庫県芦屋市立精道中学校の僕の三年後輩であり、僕が書いた「風の歌を聴け」という小説が映画化された際の監督でもある。(略)大森くんは現在芦屋市平田町のマンションに住んでいて、仕事もなく、昼間は赤ん坊を抱いて近所の海岸を散歩して過ごしているらしい。(村上春樹「大森一樹について」)
大森監督は、村上春樹にとって、中学校の後輩になるらしい(重なっていないが)。
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の舞台は明確に示されていないが、映画は、はっきりと神戸が舞台になっている。
映画『風の歌を聴け』は、原作小説にかなり忠実に作られてはいる。
原作の文章が、そのままナレーションで読み上げられているし、登場人物の会話も、基本的には小説のとおりだ。
映画から伝わってくるものは、若者たちが抱える喪失感への共感である。
主人公(僕)は、東京の大学で恋人の女の子をなくしたばかりだ(首を吊って自殺した)。
ジェイズバーで知り合った女の子には小指がなく、おまけに、子供を堕ろしたばかりだった(中絶手術を受けた)。
親友の鼠は、恋人の女の子が街を去っていってしまった。
彼女の面倒を見ていた金持ちの男が、街の暴動事件(神戸まつり事件)に巻き込まれて死んでしまったからだ。
誰もが大切な何かを失っていた。
機動隊に折られた主人公の前歯は、すべての喪失感の象徴である。
つまり、それが、1970年(昭和55年)という時代だったのだ。
学生運動が沈静化した「まつりのあと」に残った空っぽの虚しさが、この物語にはある。
原作小説にはない鼠の映画『掘る(ホール)』は、象徴的だ。
掘ることの虚しさは、当時の若者たちにとって、そのまま、生きることの虚しさでもあったから。
鼠を演じる巻上公一は、人気のテクノバンド「ヒカシュー」のボーカルとして有名。
ジェイズバーのジェイも、ジャズ・ミュージシャン(坂田明)が演じている。
貴重な村上春樹原作の映画だが、どちらかといえば「カルト化した人気作品」と言っていい。
村上春樹と大森一樹監督の対談を読み解く
メンズ情報誌『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37)に、村上春樹と大森一樹監督の対談が掲載されている。
【村上】観ていてやっぱり緊張しちゃうのね。人の映画だと、全然関係なく感想をバリバリ言えるんだけれども、自分の原作だと客観的になれない部分がすごくあるんですよね。だからうまく感想は言いにくいんだけど、感じはすごく良かったと思う。というのは、役者の人がね、僕が思っていたよりずっと良かった。すごく素直というか。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
川本三郎との共著で『映画をめぐる冒険』という著作もあるくらい、村上春樹は映画に造詣が深い(なにしろ、早稲田大学では演劇専修だった)。
【大森】真行寺君枝なんてどうでした?【村上】あの、僕、あの人のファンなの。一度、六本木で会って酒飲んでね。僕も割と初対面で喋んないし、あの人も喋んない。二人で喋んないで、ただ何となく面白かった。真行寺さんてのは、ああいう風に映画でみると、すごく無機質な感じがしてね、良かったんじゃないかという気がするけど。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
村上春樹は、髪の長い女性が好きだったらしい(奥さんの村上陽子さんも髪が長かった)。
【村上】割に頭の中で観念的に書いちゃう方だから、顔ってのは肉付けが全く出来てないんですよね。だからセリフなんかも、あれは普通ナマの人の話すセリフじゃないのね。それがナマで出てくるからね、ヤバいなあと思って……。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
原作小説のイメージで言うと、坂田明のジェイが、最もイメージとかけ離れていた。
鼠の恋人が登場するのもびっくり(しかも、金持ちの中年男性の愛人として)。
映画では「金持ちなんて、みんな、糞くらえさ」という鼠のセリフが、重要なポイントとなっている(鼠の「父親殺し」のエピソードも、後の『海辺のカフカ』を予言しているかのようだ)。
【村上】でももう少し対立してもよかったんじゃないかなという気がね。【大森】原作と?【村上】うん。観てるとさ、「暗くなるまで待てない!」とか「ヒポクラテスたち」の雰囲気が(笑)、それ以外のところで割に僕のペースみたいなのがあって、それが並行している。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
村上春樹と大森一樹の対立というよりは、村上春樹と大森一樹の共存が、この『風の歌を聴け』という映画だったのかもしれない。
【村上】僕がなんで映画化を大森さんにしたかというと「ヒポクラテス」で森永砒素ミルクの話が出てくるでしょ。あえは映画のエピソードとしては意味ない訳。森永砒素ミルクについて知識とか経験のない人がみればね。僕はでも分るのね。僕の友達で森永砒素ミルクで寝ちゃってる人がいる訳、ずーっと起き上れないでさ。知っていると、やっぱり感じちゃう訳だよね。そういうことだと思うんだけどね。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
『風の歌を聴け』の根底にあるのは、やはり、学生運動が挫折した時代の虚無感だ。
大森監督は「傷だらけの青春」という言葉で、若者たちの喪失感を描き出そうとした。
【村上】僕は映画化する時は、徹底的な「アメリカン・グラフティ」風の、いわゆる青春物にして、芦屋と神戸の風景を一杯出す方向と、ゴダール風に徹底的に分解してやっちゃう方向と、二つあると思ってたのね。これはその中間ぐらい。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
そもそも『風の歌を聴け』は、映画化が難しい小説である。
大森監督は、よく、あそこまで原作小説の雰囲気を残しながら、かつ、自分の持ち味を主張することができたと思う。
逆に、映画はそのために中途半端なものになった、とも言えるかもしれないが。
【大森】そういえば ”この小説は何日に始まり何日に始まる” というのを、助監督がきちんと調べたんです。これは何日に起こったこと、これは何日に起こったこと、って。で、18日間で終わってないんですよね(笑)【村上】そんなもの調べる方がおかしいんだよ(笑)(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」という期間設定については、加藤典洋に詳細な研究があって、「鼠は幽霊である」という奇抜な主張が展開されている(『村上春樹イエローページ』)。
【大森】結局「風……」何回も読んで、どういうふうなテーマかと考えると、深い所を流れているのは再生願望なんですよね。だから予告編のコピーは「生き直せ、今」ってなってるんです。【村上】大学祭のテーマですね(笑)(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
映画の最後に登場する高速バス「ドリーム号」は、傷ついた若者たちの再生を象徴したものだ。
【村上】ある意味では、関西の土壌というのはクールに生きたいと思っても、生ききれない訳じゃない。あの小説は結局それだと思うの。あれは横浜でやると矢作俊彦じゃないけど、決まりすぎっていう……。関西っていうのは分裂しちゃうようなとこがあるじゃない。理想的に生きたいと思えば思うほど、現実と遊離していくという……。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
『群像新人文学賞』の選考委員だった佐多稲子は、「鼠は主人公(僕)の分身だ」と指摘している。
神戸に残り続ける鼠は、東京へ出ていった主人公(僕)にとって、もう一人の自分自身として機能していた。
故郷への執着が、そこにはある。
【村上】東京の大学って行きたくなかったんですよね、汚ないから。関学(関西学院大学)行きたいと思って、入ってたのね。新聞の入試発表見たら全員女の子なのね。英文科に男は2人しかいないんですよ。で、これはヤバいと思って、仕方なく早稲田行ったんですよ。【大森】鼠は関学にしたんです、映画では。【村上】僕もね、そういう感じで。「一九七三年のピンボール」で大学やめた話がある。あれはね、割に関学の雰囲気で。行きそうじゃない、なんとなく。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
もしも、主人公が東京の大学へ行くことなく、神戸に残っていたら──。
そんな仮定が、『風の歌を聴け』という小説の、基本プロットだったのかもしれない。
【村上】「風……」の中でプレスリーの映画を観に行った話があるでしょう。あれは僕が、スカイシネマに行って「ガールズ・ガールズ・ガールズ」を観たの。下にレストランがあって、そこでビーフカツを食べるのが好きだったのね。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
エルビス・プレスリー主演の映画『ガール! ガール! ガール!』は、1962年(昭和37年)公開(日本では1963年)。
村上春樹少年は、14歳の年だった(芦屋市立精道中学校の2年生)。
映画では、村上春樹の母校(兵庫県立神戸高校)の名前も出ているが(ビーチ・ボーイズ『カリフォルニア・ガール』のレコードを貸してくれた女の子は、高校の同級生だった)、高校で同級生だった女の子が大学を辞めて病院に入院しているという筋書きは、映画オリジナル(ラジオ局に手紙を出す少女と同一化して描かれている)。
原作小説では不明だった謎の部分を、映画が補完する役割を果たしているとも言えるが、あくまでも大森監督の解釈と言うしかない(なにしろ、加藤典洋の解釈で「鼠は幽霊だった」くらいだし)。
対談では、後の村上春樹を予言するような話題も出ている。
映画『風の歌を聴け』では、小指のない女の子の「双子のお姉さん」が登場していた。
【村上】ぼくはすごく双子願望があってね。【大森】それと中国願望でしょ。【村上】そうそう。井戸願望に、冷蔵庫願望(笑)何でかと思うんだけどね。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
双子、中国、井戸。
村上春樹の小説では、いずれも重要なモチーフとして登場しているものばかりだ。
当時、村上春樹が手掛けていたのは、鼠三部作の完結編『羊をめぐる冒険』。
──春樹さん、「風……」「ピンボール」の第三作を書いてらっしゃるんでしょ。【村上】冒険活劇なんですよ。400枚ぐらいで北海道が舞台の大動物活劇。【大森】何で活劇なんですか?【村上】一作目の僕のって、映画になってみて、観念的な部分ってすごく感じる訳ね。そういう世界ってそれでいいんだけど、抜けなくちゃいけないと思う訳。で活劇大感動小説にしようと。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
北海道といえば「高倉健」である。
【村上】僕は「網走番外地」の高倉健ね。あの人ってのはすごく様式ですよね。あそこが好きなんだ。あまりリアリティがないところ。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
長編『羊をめぐる冒険』は、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』を意識して構想された。
【村上】僕はやっぱりチャンドラーが基本で、チャンドラーというのもあれは夢の世界なんだよね。あの人はロンドン大学で超インテリなわけでしょ。それを徹底的にスラングとウエストコーストの犯罪みたいのを研究して夢の世界でやってる。現実と遊離しているわけ。(『ホットドッグ・プレス』1981年(昭和56年)12月10日号(No.37))
「現実と遊離している」世界観は、その後の村上文学において、明確なモチーフとして提示されていくことになる。
むしろ、現実と遊離した感覚こそ、村上春樹の小説に通底するテーマと言っていい。
映画『風の歌を聴け』は、決して定番作品とはならなかった。
しかし、未来の村上春樹を予言する作品として、注目に値する作品であることは確かだ(特に、鼠の「父親殺し」のエピソード)。
原作小説『風の歌を聴け』を読み解くヒントも、映画の中には散見されている。
小説を読んで、映画を観る。
そんな楽しみ方が『風の歌を聴け』にはおすすめだ。