2025年(令和7年)3月、中公文庫から、森田たまの『随筆 ふるさとの味』が刊行された。
森田たまは、札幌出身の女流作家である。
森田たま生誕地は、札幌市中央区南1条東4丁目だった。
森田たま生誕地は南一条東四丁目
森田たまの生まれた家については、随筆「苔桃の果の歌」に詳しい(『苔桃』所収)。
南一条東四丁目──豊平川に近いところで私は生れた。十二畳、十畳、八畳が三つ、六畳、四畳、二畳に台所の二つついた、うなぎの寝床のような家であった。(森田たま「苔桃の果の歌」)
森田たま(旧姓は村岡)は、1894年(明治27年)12月19日生まれ。
南1条東4丁目は、現在でこそ、創成川イーストの都心部だが、当時は町の外れというイメージだったらしい。
生家のあった南一条東四丁目は、明治二十四年(一八九一)五月製図の「札幌市街之図」で見ると市街の東のはずれで、その先は原っぱがそのまま豊平川まで続いている趣きの場所であった。(さっぽろ文庫63『札幌文学散歩』)
父は、運送会社の経営者だった。
十二三の時、父は東南の隅に白壁の土蔵をつくり、六畳の離れざしきをこしらえた。これは父の、本州への郷愁であった。(森田たま「苔桃の果の歌」)
森田たまが12~13歳のときとあるから、明治40年頃だったのだろうか。
白壁の土蔵ができた。
しかし、1909年(明治42年)8月、思わぬ失火により、たまの生家は全焼してしまう。
十七の夏、自家から失火して、開拓以来焼けたことが事がないという近所十軒ほどへも迷惑をかけた。取敢ず土蔵前の離れに八畳のざしき、八畳の茶の間をつぎたして住んだが、うちの土蔵だけ残って近所へ申訳ないというので、そこを売り払い、北6条西12丁目に、洋館とも日本家ともつかない、箱のような奇妙な家を買って越した。(森田たま「苔桃の果の歌」)
火事のエピソードは、自伝的長編小説『石狩少女』でも描かれている。
火事だ、──と気がつくまで、悠紀子は非常に長いあいだ、じっとその火に見惚れていた、と思った。だが実際には、焔を見ると同時にとびあがって、いそいで傍にぬぎすてた着物を着ようとしたのだった。(森田たま「石狩少女」)
幸福な女学生にとって、自宅の全焼は、あまりに大きすぎる事件だったに違いない。
それは、たまが17歳のときであった。
生れた家は土屋さんとかいうお方が買い、きちんとした家をたてて住んでおられると話にきいたが、引越して以来十数年、一度もそこへ見に行ったことがない。土蔵もそのまま残っているという事だけれど、その土蔵が残ったばかりに、近所の人の恨みを買ったのであった。(森田たま「苔桃の果の歌」)
生家を離れたたまは、やがて札幌さえも離れて東京へ向かう。
東京で、たまは、文学と向き合ったのだ。
たまを支えていたのは、女学校時代に聞いた土屋先生の言葉だった。
「野村さん、どんな事があってもあの考えを捨ててはいけませんよ。あなたは必ず文章で身をたてる事のできる人です。よござんすか。きっとなれるとお思いなさい!」(森田たま「石狩少女」)
東京で森田草平に弟子入りしたたまは、やがて、「現代の清少納言」とまで呼ばれるほど、一流の随筆家となる。
数多くの著作は、多くの読者から支持された。
『随筆 ふるさとの味』は、森田たまの魅力を凝縮した、珠玉の精選随筆集である。
森田たま生誕地の文学碑と大正モダンな洋館
火事で焼けた森田たまの生家跡には、今も説明版が設置されている。
明治27年(一八九四)12月19日に南一条東四丁目のこの地で生まれた(土屋邸奥の土蔵は遺構)。庁立札幌高等女学校を中退して44年に上京し、大正2年に小説家として出発する。北海道出身女流作家の第一号。昭和11年「もめん随筆」で随筆家の地歩を築き、“現代の清少納言” と称された。故郷の風物を描いた作品が多い。女性らしい感覚で詩情をたたえて描いているが、青春自画像を刻んだ「石狩少女」は得難い小説である。昭和45年(一九七〇)10月31日、満75歳のとき東京で没した。(「随筆家 森田たま生誕地」説明版)
門の表札に「土屋」とあるのは、「生れた家は土屋さんとかいうお方が買い、きちんとした家をたてて住んでおられる」と、森田たまの随筆にあるとおりだ。
それにしても、文学碑(説明版)の傷みが激しいのは残念。
白い窓枠の洋館は、1924年(大正13年)の建築。
1911年(明治44年)、森田たまの生家跡に、和風の平家が建てられた後、大正時代になって洋館が増築された。
黒い下見板の壁面と白い窓枠、控えめなバルコニー、妻部分の化粧木組みとの対比が印象的な住宅である。1階応接間、2階書斎で構成されるこの洋館部分は、明治44年に建てられた和風の母屋の主玄関のわきに大正13年に増築されたもの。(角幸博「札幌の建築探訪」)
森田たま生誕地に、明治時代と大正時代の古民家が残っているのは、文学好きの建築好きには、ダブルで美味しい散策スポットだ。
「父は東南の隅に白壁の土蔵をつくり」と書かれた土蔵は現存(モルタルで覆われているが)。
この住宅の敷地は、本道出身の女流作家第1号として知られる森田たまの生誕地でもある。土屋宅奥の石造の蔵(現在はモルタル被覆)は、明治末に焼失した森田の生家時代の遺構である。(角幸博「札幌の建築探訪」)
かつて、ここに暮らした少女が、やがて「現代の清少納言」と呼ばれる一流の随筆家になったと考えることは、札幌人として楽しい。
森田たまの作品には、頻繁に故郷・札幌の思い出話が登場するから、札幌散策と一緒に楽しんでみてはいかがだろうか。
玉翠園の雪萌えパフェ
創成川イーストには、「サタデイズ チョコレート ファクトリー カフェ」「ファビュラス」などの人気カフェがあるが、森田たま生誕地と一緒に楽しむなら、日本茶の「玉翠園」がおすすめ(南1条東1丁目)。
「玉翠園」は、1943年(昭和8年)創業という老舗の日本茶専門店だが、抹茶を使ったパフェで、若い女性の人気を集めている。
注目の「雪萌えパフェ」は、「デラックス手焼き抹茶コーン(650円)」「ハイクオリティー(500円)」「スタンダード(430円)」の3種類で、一番人気は、もちろん「デラックス手焼き抹茶コーン」だろう。
日本茶専門店だからこそ上等の抹茶を贅沢に使った抹茶アイスを楽しむことができる(抹茶コーンもおいしい)。
その他、ソフトクリームや抹茶ラテなど、メニューも充実。
店内にはイートインコーナーもあるので、カフェ感覚で利用したい。
店内利用の場合、創業以来の人気商品というほうじ茶のサービスもあり。
森田たま生誕地の文学碑、大正時代の洋館「土屋邸」、老舗「玉翠園」の「雪萌えパフェ」と、今日は、文学散歩・建築散歩・パフェ散歩を堪能。
札幌は本当に散策にぴったりの街だと思う。