浜田省吾の名盤『PROMISED LAND 〜約束の地』(1982)は、アメリカ文学の影響を感じさせる。
『約束の地』というアルバムタイトルは、ロバート・B・パーカーの長篇小説『約束の地』からインスパイアされたものだし、「僕と彼女と週末に」には、アメリカの作家(サリンジャーの短篇小説)が登場している。
果たして、これらの作品は、浜田省吾のアルバムに、どのような影響を与えているのだろうか。
私立探偵スペンサーと浜田省吾
浜田省吾『PROMISED LAND 〜約束の地』は、1982年(昭和57年)に発売された、浜田省吾8枚目のアルバムである。
『Home Bound』(1980)、『愛の世代の前に』(1981)に続く「社会派3部作」完結編で、当時の浜田省吾は、とにかくシリアスで重苦しい、硬派のロックシンガーというイメージが強かった。
(ファンも、そんな浜省に憧れていたのだ)
浜田省吾が、アメリカ文学の影響を受けていたことは有名で、ジャック・ケルアック「路上(ON THE ROAD)」、ウイリアム・サロイヤン「君が人生の時(The Time of Your Life)」など、文学作品にインスパイアされていると思われる作品は少なくない。
本作『PROMISED LAND 〜約束の地』も、ロバート・B・パーカーの名作『約束の地』(1976)の影響が、随所に見られる。
シングル曲「マイホームタウン」は、団地造成の光景から始まっているが、ロバート・B・パーカーの『約束の地』も、リゾート開発に関わる事件を扱ったサスペンスだ。
パワーシャベルでけずった
丘の上幾つもの
同じような小さな家
何処までも続くハイウェイ
彼らはそこを名付けた
希望ヶ丘ニュータウン
赤茶けた太陽が
工業地帯の向こう 沈んでく
(浜田省吾「マイホームタウン」)
『約束の地』は「私立探偵スペンサー」が活躍するハードボイルド小説で、ロバート・B・パーカーの代表作ともいわれる(アメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞)最優秀長編賞受賞)。
小説タイトル「約束の地」は、レジャー住宅団地の名称だ。
「われわれは、その造成地を <約束の地(プロミスト・ランド)> と名づけた。そして、会社の名称はプロミスト・ランド社だ」「プロミスト・ランド」私はピューと口笛を鳴らした。(ロバート・B・パーカー「約束の地」菊池光・訳)
「われわれは、その造成地を <約束の地(プロミスト・ランド)> と名づけた」という台詞と、「彼らはそこを名付けた 希望ヶ丘ニュータウン」という歌詞が呼応している。
アルバムのメイン曲とも言える「僕と彼女と週末に」は、地球の環境問題を歌った壮大な作品だ。
この作品では、長い「語り」が重要な意味を示唆している。
週末に僕は彼女とドライブに出かけた。
遠く街を逃れて、浜辺に寝転んで
彼女の作ったサンドイッチを食べ、ビールを飲み、
水平線や夜空を眺めて、僕らはいろんな話をした。
(略)
あくる日、僕は吐き気がして目が覚めた。
彼女も気分が悪いと言い始めた。
それで僕らは朝食を取らず、浜辺を歩くことにした。
そして、そこでとても奇妙な情景に出会った。
数え切れないほどの魚が、波打ち際に打ち上げられてたのだ。
(浜田省吾「僕と彼女と週末に」)
汚染された海は「公害問題」をイメージさせるが、私立探偵スペンサーも、汚れた海を見ている。
海のおかげで市が立派に見える。油の膜、煙草の袋のセロファン、死んだ魚、ぶよぶよに見える流木、うなぎの皮のようなコンドームなどが、コーヒー色の水面に浮かんでいる。百三十年前にメルヴィルが捕鯨船に乗って出港した時はこんなであったのだろうか? そうでないことを祈った。(ロバート・B・パーカー「約束の地」菊池光・訳)
「百三十年前にメルヴィルが捕鯨船に乗って」のくだりは、『白鯨』(1851)の作者(ハーマン・メルヴィル)のことを語ったもの。
私立探偵スペンサーの小説『約束の地』は、素晴らしい未来の陰に潜む危険性を暗に警告した探偵小説だが、浜田省吾のアルバム『PROMISED LAND 〜約束の地』は、より積極的に環境問題に向き合っている。
社会派ロックシンガーとしての魅力が、全面に溢れ出た高次元の作品と言っていい。
サリンジャーと浜田省吾
「僕と彼女と週末に」の「語り」では、アメリカの作家(サリンジャー)が登場している。
彼女は、彼女の勤めてる会社の嫌な上役のことや
先週読んだサリンジャーの短編小説のことを話し、
僕は、今度買おうと思ってる新車のことや
二人の将来のことを話した。
そして、誰もいない静かな海を二人で泳いだ。
(浜田省吾「僕と彼女と週末に」)
「サリンジャーの短篇小説」は、『ナイン・ストーリーズ』(1953)一冊しかない。
だから、彼女が「先週読んだサリンジャーの短篇小説」とは、『ナイン・ストーリーズ』のことである。
サリンジャーの代表的短篇小説「バナナフィッシュにうってつけの日」(1948)は、この『ナイン・ストーリーズ』に収録された作品だ。
「バナナフィッシュ」とは、人間の欲望を象徴した架空の魚である。
「あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる」(J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」野崎孝・訳)
バナナを食べすぎたバナナフィッシュは、バナナ熱にかかって死んでしまう。
それは、欲望に身を任せて生きる人間の末路だ。
浜田省吾「僕と彼女と週末に」が指摘しているものも、果てしない人間の欲望である。
昨日の絵具で
破れたキャンバスに
明日を描く愚かな人
売れるものなら
どんなものでも売る
それを支える欲望
恐れを知らぬ自惚れた人は
宇宙の力を悪魔に変えた
(浜田省吾「僕と彼女と週末に」)
「バナナフィッシュにうってつけの日」では、ニューヨークの広告マンが97人も登場している。
彼らこそ、まさに「売れるものならどんなものでも売る」バナナフィッシュの案内人だったのだ。
おそらく、浜田省吾は、ロバート・B・パーカー『約束の地』や、J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』などのアメリカ小説にヒントを得て、『プロミスト・ランド』を製作したに違いない。
そして、本作『プロミスト・ランド』は、パーカーやサリンジャーにも劣らない、素晴らしいアルバムとなった。
ある意味において『プロミスト・ランド』は、浜田省吾の代表作と言っていい。
そこには、浜田省吾が影響を受けたアメリカ文学のエッセンスが凝縮されている。
この後、浜田省吾は、『DOWN BY THE MAINSTREET』や『J.BOY』など、より等身大の立場から、社会的な問題を歌った作品を発表していくことになる。
アルバム『PROMISED LAND 〜約束の地』を発表した年の年末、浜田省吾は30歳になっていた。