読書体験

矢口史靖「スウィングガールズ」スウィングすることとは、生きることである

矢口史靖「スウィングガールズ」スウィングすることとは、生きることである

矢口史靖「スウィングガールズ」読了。

本作「スウィングガールズ」は、2004年(平成16年)9月にメディアファクトリーから刊行された長篇青春小説である。

この年、著者は37歳だった。

2004年(平成16年)公開の上野樹里主演映画『スウィングガールズ』ノベライズ小説。

ジャズを通して立ち直る

本作『スウィングガールズ』は、ダメダメな女子高生たちが、ジャズを通して青春を取り戻していくという、ド定番型の成長物語である。

ダメな人間が立ち直るというストーリーが、我々日本人にはマッチしているらしい。

本作『スウィングガールズ』の凄いところは、ビッグバンドジャズに参加する多くの若者たちを、同時に再生させてしまうというところだ。

主人公(鈴木友子)は、明るい性格だが、飽きっぽいという短所を持つ。

祖母、みえはそんな二人の会話を黙って聞いていた。「友子っていうのはこういう娘なんだず。昔は目さ入れでも痛くないぐらいに可愛がったけど、今はどっちがっつうと亜紀の方が好ぎだな」とみなは思うようになっていた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

吹奏楽部のお弁当を届ける場面でも、演奏会の応募書類を提出する場面でも、彼女は何度も失敗してしまうが、ジャズは、そんな彼女にも、しっかりと成功体験を与えていく。

思い返してみると、友子は今まで何か一つのことに集中して頑張ったことがなかった。だけど、そういう人って結構多い。それでも生きていくには困らないはずだ。現に、友子はずっとそうやって生きてきた。でも今は、それじゃもったいないと思う。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

ビッグバンド「スウィングガールズ」の中で、唯一の男子(中村拓雄)は、自信を持てない高校生である。

中学時代は特に何の部活にも入らず、帰宅部で通した。やっと自由になったものの、他に趣味も特技もない拓雄は、自分でも何をしたらいいのか分からなかった。勉強もそこそこでき、家庭環境も悪くはないのに、生きている実感が薄かった。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

幼い頃からピアノ教室へ通っていた拓雄は、山河高校の吹奏楽部に入部する。

しかし、コミュ障の拓雄に、チームワークを求められる吹奏楽は、苦痛でしかなかった。

焦れば焦るほど、皆とリズムが狂ってゆく。周りの生徒も気にしてチラチラ見ている。部長の厳しい視線が拓雄に注がれた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

拓雄は、集団食中毒で野球応援ができなくなった吹奏楽部に代わって、補修組女子たちと一緒にビッグバンドを結成する。

そろそろ薄暗くなりかけた廊下を走っていると、音楽室からピアノの音が聞こえた。そっと覗き込むと、そこには一人でピアノの練習をする拓雄の姿があった。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

無気力な友子たちの意欲を刺激したのは、懸命に音楽と向き合う拓雄の姿勢である。

友子のサックスの音に拓雄の方も気付いた。言葉にしなくてもお互いの気持ちは不思議と通じ合った。どちらも同じ『♪A列車で行こう』を演奏しているってことは、「ビッグバンドやろう!」ってことだった。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

ビッグバンドジャズのピアノを通じて、拓雄は、初めて自分の自信を取り戻していく。

小さい頃から習っていたピアノ教室でも、発表会はあった。小学校の合唱会での伴奏もあった。だけど、それは自発的に演奏したものではない。どこか嫌々やらされている、そんな自分がいた。だけど今日は違う。自分から始めたことだ。今まで気付かなかったけど、音楽って楽しんでいいんだ。それが本当の音楽の姿なんだと分かった。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

高校生の再生物語という点において、中村拓雄は、本作『スウィングガールズ』の、真の主人公と言っていい。

多くの女子高生を登場させながら、物語は、拓雄の精神的成長を浮き彫りにさせていく。

ビッグバンド「スウィングガールズ」は、周囲の人々にも大きな影響を与えた。

野球部補欠の三年生部員(井上)は、その象徴である。

「なあ……すべての人間は二種類に分げられるって知ってっか?」「いえ……」そんなの、知るわけない。「やり遂げる者ど諦める者だ……お前はどっちや?」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

しかし、高校生活最後の大会で、最後のバッターとして打席に立ち、三振に終わった井上は、ガールフレンド(千恵)にもフラれ、自堕落な生活にハマりこんでいく(これもド定番だが)。

十人のプチブル軍団を引き連れて、井上が自慢げに言い放った。「すべての人間は二種類に分げられるって知ってっか?」「知らな~い!」全員がユニゾンで答えた。「楽で楽しぐ生ぎる奴と、そうでない奴。どっちがいい?」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

そんな井上を立ち直らせのも、スウィングガールズだった。

井上が観客の一体感に体を震わせていた。「すべての人間は二種類に分げられる。スウィングする者ど、スウィングしない者だ……」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

隠れジャズマニアの数学教師(小澤)も、ジャズに取り組む高校生の姿勢に、心を動かされていく。

「なんか、ジャズもいいもんですね……」弥生の言葉に、小澤がドキッとして彼女の顔を見た。(略)小澤は自分の蘊蓄とレコードの無力さに、一瞬悲しい気持ちになった。でもそれは同時に、スウィングガールズの演奏が弥生の心を動かしたという証明でもあった。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

バラバラだったものが、女子高生のスウィングジャズに誘われるようにして、やがて、ひとつのまとまりとなっていく。

そこに、この物語の伝えたかったものがある。

本当にダメな人間なんていないのだという、人生讃歌のメインテーマを。

スウィング感はチームワークの象徴だった

『スウィングガールズ』オリジナルサウンドトラック『スウィングガールズ』オリジナルサウンドトラック

本作『スウィングガールズ』は、ジャズ小説である。

二人とも瞬間的に心が躍った。ふいに目の前に現れたジャズ仲間とまた何かやれるかもしれない。「ジャズやるべ!」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

ジャズと言っても、モダンジャズではない。

いろいろな楽器を持った仲間たちと組むビッグバンドのスウィングジャズだ。

それは、黒人バンドが写った古ぼけた写真だった。ギター、ウッドベース、ピアノ、ドラム、サックス、トランペット、トロンボーン……合計十七人の楽器を持った黒人が、真っ白な歯を剝きだしてニンマリ笑っていた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

拓雄は、デューク・エリントン楽団のオープニングテーマ『♪A列車で行こう』にインスパイアされて、ダメダメ系女子と一緒に、ビッグバンドを組むことに決めた。

無事に演奏を終えるまで、あっという間だった。皆の顔は紅潮していた。心臓の高鳴りが治まるのを待つように、全員がシンと静まり返った。最初に沈黙を破ったのは興奮した友子の声だった。「……なんが良ぐねえ? 良ぐねえ?」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

仲間たちと一緒に演奏して(音を出してみて)、彼らは音楽の持っている力に影響されていく。

だからこそ、食中毒から回復した吹奏楽部員が戻ってきたとき、彼女たちの落胆は多かったのだ。

突然一人が泣きだした。友子だ。「うわああああああん!」それをきっかけに、堰を切ったように全員が泣いた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

このときの挫折体験は、彼らのビッグバンド「スウィングガールズ」を、より強固なものとする機能を果たしている。

友子が、自分だけのサックスを手にしたときの喜び。

夏の終わりを予感させるヒグラシの声が響く河原に、友子はいた。初めて手にした自分のテナーサックス。もう借り物じゃない。誰に取られることもない。ボロボロだけど、嬉しくて胸が高鳴った。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

初めて自分の楽器を持ったときの感動が、そこにはある。

やがて、素人集団の彼らは、少しずつ音楽(ジャズ)を学んでいく。

「何話しったったんや?」香織が応急処置をした眼鏡をかけて皆の顔を見た。「……スウィングしねど駄目って言われただ」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

この物語のポイントは「スウィングすること」にある。

五人はこの時味わった ”スウィング感” をより体で覚えるために、いろいろなところで ”スウィング” して回った。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

「スウィング感」は、彼らのチームワークを象徴したものとして読んでいい。

「格好いい」素直にそう思った。周りのギャラリーもとっても楽しんでいる。「自分たぢもこの演奏に加わりてえ」いつの間にか、十人全員が顔を見合わせていた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

スウィングジャズによって、一度は解散した仲間たちが、また戻ってくる。

仲直りの言葉はいらなかった。こうして一緒に演奏するだけで十分だった。十七人フルメンバーのビッグバンド『スウィングガールズ』がこの時、誕生した。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

青春というのは、いつの時代も清々しいものだ。

ひとつになった「スウィングガールズ」は、友子の大失敗(音楽祭への申し込みを忘れた)を乗り越えて、さらに強くなっていく。

そうだ。音楽祭に行けなくたって、僕らはどこででも演奏できる。ここがステージだ。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

スウィングすることとは、生きることである。

躍動してこその人生なのだ。

友子は、ジャズと出会えたことを感謝した。宝物を見付けた、そう思った。このままずっと演奏が続けばいいと思った。それは観客も同じだった。スウィングガールズも、観客も、誰もが ”スウィング” していた。(矢口史靖「スウィングガールズ」)

生きることの意味が、スウィングジャズにはある。

「スウィングすること」は、音楽を意味するものである以前に、生きることを意味するものだったのだ。

高校生活最後の大会で、最後の打者としてバッターボックスに立った井上は、初球と二球目を見逃してしまう(ツーストライク、あと一球!)。

スタンドから父兄の檄が飛ぶ。「とにかぐ振れず!」「スウィングしなけりゃ意味ないよ!」(矢口史靖「スウィングガールズ」)

スウィングしなけりゃ意味がない──、つまり、それが我々の人生というものだったのだろう。

爽やかで前向きな青春小説(青春映画)が求められていた時代。

それが、(失われた90年代から続く)ゼロ年代と呼ばれる時代だった。

あるいは、デューク・エリントンの名曲「スウィングしなけりゃ意味がない」こそ、本作『スウィングガールズ』の、本当のテーマミュージックだったのかもしれない。

書名:スウィングガールズ
著者:矢口史靖
発行:2004/09/01
出版社:メディアファクトリー

ABOUT ME
MAS@ZIN
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。