ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』読了。
本作『「グレート・ギャツビー」を追え』は、2017年(平成29年)に発表された長編ミステリー小説である。
原題は「Camino Island」。
この年、著者は62歳だった。
日本では、2020年(令和2年)、村上春樹の訳によって、中央公論新社から刊行されている。
盗まれたフィッツジェラルドの直筆原稿
本作『「グレート・ギャツビー」を追え』には、二つのプロットがある。
ひとつは、盗まれたフィッツジェラルドの直筆原稿の行方を捜索するというミステリーで、もうひとつは、アラサーの新進女性作家(マーサー・マン)の自分探しの物語である。
物語全体は、タイトルのとおり、『グレート・ギャツビー』を含むフィッツジェラルドの直筆原稿の捜索を大きなテーマとしている。
一九五〇年に、ただ一人の遺児である娘のスコッティーが、彼のオリジナルの原稿とメモと手紙とを──いわゆるフィッツジェラルド「文書」だ──プリンストン大学ファイアストーン図書館に寄贈した。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
フィッツジェラルドの直筆原稿の資産的価値に目を付けた窃盗団は、綿密な計画を立てて、ファイアストーン図書館から、計五点の作品の直筆原稿を強奪する。
つまり、『楽園のこちら側』『美しく呪われし者』『夜はやさし』『ラスト・タイクーン』、そして『グレート・ギャツビー』という、五つの作品だ。
実においしい話だった。原稿は五つしかない。すべて直筆で、一ヶ所にまとめられている。そしてそれらはプリンストン大学にとっては値のつけようもない、貴重きわまりないものなのだ。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
窃盗団が、プリンストン大学から原稿を強奪する場面は、ある意味で、この物語のクライマックスとも言える(一番おもしろい場面が最初にある)。
ジェリーとマークはゴーグルを額に上げ、ライトをテーブルに近づけた。デニーはそっと文書保管ボックスを開けた。目録ページには「F・スコット・フィッツジェラルド著『グレート・ギャツビー』オリジナル直筆原稿」とあった。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
行方不明となった原稿は、やがて、フロリダ州カミーノ・アイランドで書店「ベイブックス──新刊及び稀覯本」を営む中年男性(ブルース・ケーブル、43歳)の元へとやってくる。
ブルース・ケーブルのサクセス・ストーリーは、この物語の大きな柱のひとつとなっている。
それらはすべて初版本で、うちのいくつかには著者の署名も入っていた。ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ22』(1961)、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』(1948)、ジョン・アプダイクの『走れウサギ』(1960)、ラルフ・エリソンの『見えない人間』(1952)、ウォーカー・パーシーの『映画狂時代』(1961)、フィリップ・ロスの『さようならコロンバス』(1959)、ウィリアム・スタイロンの『ナット・ターナーの告白』(1967)、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』(1929)、トルーマン・カポーティの『冷血』(1965)、J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(1951)。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
ブルース・ケーブルが生きる「初版本の世界」は、初版本マニアならずともワクワクさせられるような魅力がある。
それは、生々しく息づいているアメリカ文学の魅力だ。
ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』(1929)、スタイン・ベックの『黄金の杯』(1929)、スコット・フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』(1920)、アーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』(1929)だった。どれも初版本で極上の状態にあり、著者の署名も入っていた。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
紙の本が好きな人にとって、「初版本」「署名本」は特別の価値を持つ。
「数年前に僕は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新品同様の初版本を五万ドルで手に入れた。サリンジャーはその傑作にはほとんどサインをしていない。しかし彼はその本を自分の編集者に進呈した。編集者は何年もその本を家に保管していた。ほとんど手も触れなかったので、それは完璧な状態にあった」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
そこに描かれているのは、アメリカ文学を愛する人たちの、まさしく「夢」だ。
「きつい一日があったようなときには、僕はときどきこっそりここに降りてくる。そして鍵をかけて閉じこもり、本を引っ張り出すんだ。そして想像してみる。一九五一年にJ・D・サリンジャーであるというのは、どういうことだったんだろうってね」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
この物語を支えているのは、次から次へと登場する初版本を描いたディテールにあると言ってもいい。
これは、まさしく、アメリカ文学を愛好する人たちのための文芸ミステリー小説なのだ。
「ヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』はどうだい?」彼はクラムシェルを開き、本を取りだした。「一九二九年出版。初版。ほぼ上質の状態。僕は十二年前にこれを見つけた」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
重要なことは、書店経営者ブルース・ケーブルは、心から本を愛しているということだ(それも、偏執狂的なくらいに)。
マーサーは紙を破って中身を見た。エイミ・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』だった。「初版本で署名入りだ」と彼は言った。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
裏側の主人公とも言うべきブルース・ケーブルは、古書に限らない書店経営の楽しい世界を、たっぷりと教えてくれる。
それは「Amazon」の強力なネットワークが地球を包みこみ、各地にある個人経営の書店が、次々と姿を消していった時代の「お伽噺」だ。
若者たちが「電子書籍」へと移行していく中で、古い紙の本を追い求め続ける男の物語。
本作『「グレート・ギャツビー」を追え』は、紙の本が元気だった時代に対するノスタルジーとしても読むことができる。
孤独なアラサー女子の自分探し
一方で、物語のストーリーは、アラサー女子(マーサー・マン)を中心に進んでいく。
彼女は、既に二冊の著作を持つ新進作家であり、小説だけでは生活していくことができないため、大学で教鞭を取って生計を立てている。
おまけに、彼女には多額の負債があった。
「私は六万一千ドルの学資ローンを背負っていて、それがどうしても振り払えない。その重荷は私の日々の一刻一刻をすり減らし、頭がおかしくなってしまいそうなの」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
複雑な家庭環境の中で育った彼女は、31歳となった今も、自分のヴィジョンを想い描くことができずにいる。
昼食のあと彼女はローズウッド墓地に行って、テッサのお墓にバラを供えた。そして墓標に背中をもたせて、たっぷり泣いた。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
彼女の唯一の理解者だった祖母(テッサ)は、九年前に死んだ。
彼女は学資ローンを返済するために、フィッツジェラルド直筆原稿を捜索する企業からの依頼を受けて、テッサと過ごした第二の故郷(カミーノ・アイランド)へと舞い戻る。
執筆に行き詰まった新進作家として、ブルース・ケーブルと接触するために。
フィッツジェラルドの直筆原稿の行方を探るマーサの日々は、彼女自身の未来を探る日々でもある。
彼女はそれまでに百回以上自らに問いかけていた。私はいったい全体、ここで何をやっているのだろうと。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
島に在住する作家仲間との交流は、彼女に、小説家として生きていくことの厳しさを教えてくれた(「本が出版されるまでにどれほど苦労したかについてサリーは語った」)。
「金銭的に行き詰まっているときに本を書くのはむずかしいことだよ、マーサー。僕はそれを知っている。僕はたくさんの作家を知っているが、フルタイムの作家でいられるほど売れる作家はきわめて少数だ」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
女好きの既婚者であるブルース・ケーブルは、魅力的な独身女性マーサー・マンと、極めて緊密な関係を築こうとしている。
それは、フィッツジェラルド直筆原稿の捜索プランとして、あらかじめ組みこまれているものだったかもしれない。
しかし、彼女に必要だったのは、フィッツジェラルドの原稿以上に、彼女自身の未来だった。
部屋に戻ると彼女はビキニに着替え、鏡の前で自分の身体に見とれ、彼がその身体に対して並べてくれた素晴らしい賛辞をすべて思い出そうと試みた。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
彼女にとって、失われたフィッツジェラルドの原稿は、彼女自身の新しい道を切り開くためのきっかけだったにすぎない。
だからこそ、彼女は、学資ローン返済のため自分に与えられた使命に、最後まで納得することができなかったのだ。
マーサーは行きつ戻りつ、思い悩んだ。心の戦いは激しく続いた。そして夜明け前のとんでもない時刻に、彼女はとうとう判断を下した。(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
ブルース・ケーブルと肉体関係を持った後、マーサー・マンの葛藤は絶頂に達する。
おそらく、ここに、本作『「グレート・ギャツビー」を追え』の隠された主題がある。
この物語は、孤独なアラサー女子の自分探しの物語だったのだ。
「マーサー、君は恋人としては素晴らしいが、スパイとしては落第だね」「どちらも褒め言葉ととりたいわ」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
主人公(マーサー・マン)の精神的不安は、失われたフィッツジェラルド以上に深刻で、厳しいものだったに違いない。
「爽やかなミステリー・ロマンス」とは、とても言い難いアラサー女子の真実が、そこにはある。
「こういう話がある。それが事実だという証拠はないし、たぶん真実ではないだろうが、アーネスト・ヘミングウェイはセルダ・フィッツジェラルドと束の間の恋愛関係を持ったという噂だ」(ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』村上春樹・訳)
フィッツジェラルドの美人妻(ゼルダ)とヘミングウェイとの不倫物語は、女主人公(マーサー)と既婚者(ブルース・ケーブル)との情事に重ね合わせて語られている。
作家マーサーは「物語の主人公」として生きることを望んでいたのだろうか。
答えは「ノー」だ。
彼女は自立した女性として、エンターテインメントではない文芸作品を書いて生活することに憧れていたのだから。
事件が終わったあと、マーサーは、南イリノイ大学で教鞭を取る講師として、再び登場する。
カミーノ・アイランドは、彼女の人生にとって、ほんの一時の夢物語だったのだ。
人生は、どこまでもリアルだ。
それでも、今の彼女に「学資ローン」の不安はない。
学資ローンという呪縛から解放されたマーサー・マンは、生まれ変わったマーサー・マンだったとも言える。
意外と、この物語の本当のテーマは、失われたフィッツジェラルドの直筆原稿ではなくて、若者たちが抱える学資ローンという恐怖だったのかもしれない。
書名:「グレート・ギャツビー」を追え
著者:ジョン・グリシャム
訳者:村上春樹
発行:2020/10/10
出版社:中央公論新社