河毛俊作「一枚の白いシャツ(男、45歳からの服装術)」読了。
本作「一枚の白いシャツ(男、45歳からの服装術)」は、2011年(平成23年)3月に新潮社から刊行されたエッセイ集である。
この年、著者は59歳だった。
初出は、2008年(平成20年)3月~2011年(平成23年)2月『ENGINE』(2011年1月を除く、連載時のタイトルは「反合理主義的服装術」だった)。
大人のオシャレに必要な基本とは何か?
本作『一枚の白いシャツ』は、これからオシャレをしようと考える中年男性が、最初に買うべきファッションガイドである。
なぜなら、この本には、大人のオシャレに必要な基本が、すべて書かれているからだ。
オシャレ初心者にとって必要なものは、ブランドに対する知識や流行についての情報ではなく、スタンダードとは何かということを知ることである。
流行は基本を知ってから採り入れればいいし、ブランドに悩むのは、基本を身に付けてからでいい。
大人の男性のファッションにとって、基本とは何か?
大人の男が服を着た時に、他人からどう見えるのが最も良いかと言えば、「きっちりとした格好の時にリラックスして見え、カジュアルな格好の時にだらしなく見えない」ということが基本中の基本だ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ファッションにおける基本とは、アイテムではなく思想である。
そこに、大人のファッションの楽しさがある。
男が四十五歳も過ぎれば、いくら外観を最新流行のモードで飾ってみたところで内面が充実していなければ何の意味もない。若い頃と違って生まれついての顔の美醜や、スタイルの良し悪しなどということも殆ど関係無くなってくる。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
大人の男性にとってファッションは、内面を表現するための手段でもある。
「楽だから」とか「値段が廉いから」などといった安易な理由だけで服装を選ぶ年代は過ぎた。
四十五歳過ぎの男が服を選ぶ基準は「清潔」「単純」「体に合ったサイズ」、以上だ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ファッションは、決して難しいものではない。
初心者は余計なモノを組み合わせすぎて、自ら複雑にしているのである。
最初に選ぶべきアイテムは、一枚の白いシャツである。
様々な人生経験を積んで脛に傷の一つや二つ持ち、清濁併せ吞むことができるようになった中年男にこそ白シャツは似合う。清潔感溢れる純白のシャツにスッと悪の影が差すところに色気が生じるのだ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
白シャツは男のワードロープにおいて、最も基本となるベーシックなアイテムだ。
最初の一枚は、オックスフォード地のボタンダウンシャツ以外にない。
しっかりとした上質な品を選ぶべきだが、特に高価なものである必要はない。例えば、ボタンダウンを発明したブルックス・ブラザーズの製品(ブルックスではポロカラーシャツと呼ばれている)。元祖ボタンダウンシャツが一万円少々で手に入る。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
2011(平成23年)年当時、ブルックス・ブラザーズのポロカラーシャツは「一万円少々」で買うことができたが、昨今の物価高の影響を受けて、現在は「およそ二万円」となってしまった(悲しい)。
今から考えると、あの頃のブルックス・ブラザーズのポロカラーシャツは、実にコスト・パフォーマンスに優れたアイテムだった。
札幌の話を入れると、この頃のブルックス・ブラザーズ札幌店は、札幌シャンテの地下1階と地上1階に店舗を展開していた。
地下1階のメンズフロアに毎月1~2回程度は顔を出して、ニューアイテムをチェックしながら、顔なじみのスタッフから情報を仕入れていたものである。
本作『一枚の白いシャツ』において、白シャツは信仰にも近い尊厳を持って語られている。
生地や形は変わっても色は白。とにかく白、白、白。他の色物やストライプに心を惹かれてもストイックに白だけを購入し続けること。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
中年男性のファッション哲学の基本は、ストイックであること、だ。
大人になったら、服を買う理由から「女性にモテたい」という選択肢を落とさなければならない。
大人の男性は、自己表現のために服を買う。
つまり、自己満足こそが、大人の男性にとってのファッションが持つ意味なのだ。
白いシャツに合わせるボトムスは、グレイ・フランネルのクラシックなスラックスだ。
若者ならTシャツにブルージーンズかもしれないが、中年過ぎの男にとっては、グレイ・フランネルのパンツに白いオックスフォード地のボタンダウンシャツが基本中の基本と心得ておけば間違いはない。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
中年男性のコーディネートの基本は、白いシャツとグレー・スラックス(グレスラ)である。
全体コーデは、ここに何を加えていくか?という発想によって展開していく。
ごくオーソドックスなグレイ・フランネルのパンツと白いシャツの組み合わせが全ての基本となる。この組み合わせはカクテルで言えば良く出来たドライ・マティーニのようなものだ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
注意すべきは「サイズ感」である。
とにかく、大きすぎるサイズを買わない、ということが鉄則だ。
街行く背広姿の男たちを見ていると日本人は、まだまだサイズに無頓着だ。特に中年を過ぎると楽であることを優先してジャストフィットよりも大きめのサイズを選んでしまう人が多いようだ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ジャストサイズとは、バランスが良いことを意味している。
ブカブカのスーツは(どんな高価な商品であっても)とにかくオジサンくさい。
まずは、ボディにしっかりマッチした服を探すこと。
これが、オジサンっぽくならないための、中年ファッションの鉄則である。
そういう意味で、オーダーメイドのスーツやシャツは、非常に有効だ。
既製品を買うにしても、微妙な部分の修正をお願いするだけで、サイズ感はまったく変わってくる。
セレクトショップの販売員の良し悪しを見極める方法は、どれだけ丁寧にサイズ直しを指示してくれるかということを基準にするとよい。多くの販売員は面倒臭いので「お客様、ピッタリです」とかいい加減なことを言う。着丈一センチの差で上着は格好良くも悪くもなる。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
上着の基本は紺色のジャケット(紺ジャケ)で、特にネイビーブレザーは、一着持っていて損はしない。
紺色の上着というものは男の服の基本中の基本であり、アメリカン・トラディショナルの専売特許ではない。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
この本が出版された当時、アメリカン・トラディショナルの再評価が進んでいた。
中心にいたのは、新進デザイナー(トム・ブラウン)である。
トム・ブラウンはジャスパー・ジョーンズが描いた星条旗のようにアイビーという極めて画一的なスタイルをポップアートにしたとも言える。そこがアメリカンドリームを再生産し続けるラルフローレンとの違いだ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
トム・ブラウンによるアメトラの再評価は、日本のファッション界にも大きな影響を与えた。
トム・ブラウンの起用によって、老舗(ブルックス・ブラザーズ)に新しい風が吹き始めたのは、まさにこの頃のことだ(トム・ブラウンの「Black Fleece by Brooks Brothers」は2007年~)。
あらゆる権威というものが溶解し、民主化し、特にモードの世界では男女の差異というものも消滅に向かっている現在、髪を短く整え、真白なボタンダウンシャツにレジメンタルストライプの細いタイを締め、極端にタイトな灰色のアイビースタイルの背広を着ることはフラット化した社会を嘲笑する反逆児の証しなのかもしれない。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ジェンダーレスは、近年のファッション界における大きな傾向である。
洋服の世界においてさえ「男らしい」とか「女らしい」とかいった概念は捨て去られつつある。
男にとって残された聖域は、ネクタイにスーツというビジネススタイルくらいのものだろう。
大人にとってファッションは教養の一部だ
大人の男性にとってTシャツは部屋着と同じようなものだ。
外出する際には、襟のある服を選びたい。
なぜなら、Tシャツは加齢を強調するファッションでもあるからだ。
Tシャツは今でも大好きだが、最近、Tシャツという究極にシンプルで無防備な衣裳が、自分の老いや疲労を際立たせると感じるようになった。(略)これが老いるということなのだろうか。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
白シャツからカジュアルダウンするなら、襟とボタンのあるポロシャツがいい。
クルーネックやVネックのTシャツと違って、襟付きで三つボタンのあるポロシャツは、上品な装いである。
基本的には「鹿の子織り」の綿素材でしっかりとした作りのもの。無地のみで、色は豊富なカラーヴァリエーションが魅力のポロシャツではあるが、五十を過ぎてからは白、紺、黒。そして濃いカーキか焦茶色。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ブランドは、ラコステとラルフ・ローレンが定番で、良い製品を買うことで長く着続けることができる。
ジャケットの代わりにカーディガンを着ることも、カジュアルダウンする一つの方法だ。
男が寛いだスタイルはウールか綿のパンツに襟付きのシャツ(ポロシャツも含む)、そしてニットウェアというのが基本だ。(略)ニットウェアは様々な種類があるが、僕はカーディガンを一番にお薦めしたい。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ローゲージのゆったりとした雰囲気も魅力的だが、よりきちんと感を出すなら、ハイゲージのカーディガンがいい。
主役のカーディガンは一年を通じて便利に使えるカシミアとシルクの混紡素材が一番だろう。サイズでリラックス感を重視してゆったりし過ぎたものを選ぶと爺臭く見える。体にピタッとフィットした一着を選ぶことが重要だ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
盛夏の上着は、素材に注意する。
暑いからといって短パンにTシャツでは、小学生と同じになってしまう(恐ろしい、、、)。
夏を代表する生地は麻や木綿であるが、僕が一番にお薦めしたいのはシアサッカーとコードレーン、インディアン・マドラス。シアサッカーとコードレーンなら背広上下でもよい。マドラスの場合は上着だけの方が無難だろう。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
大人のファッションは、素材にこだわることで楽しみが広がる。
白シャツにグレスラだけのストイックなコーデも、季節の素材を採り入れることで、無限大の可能性が生まれてくる。
夏は懐かしのアイビースタイルが最も映える季節だ。しかし郷愁ではなくモダンにクールな感覚で着ることが肝心で、その為に一番重要なのはサイズ感だ。楽だからという理由でブカブカは禁物。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
季節感のある素材を味方に付けるだけで、大人のファッションは成功すると言っていい(サイズ感は、もちろん絶対条件として)。
同じ意味で、鞄も素材にこだわりたいアイテムのひとつだ。
街を行く男性諸氏を見ても、黒い化学繊維で作られたバッグやキャリーケースを携えた人が圧倒的に多い。(略)全く無個性な黒いナイロンバッグは「無味乾燥」という人生を語っている。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ナイロンバッグの弱点は、経年変化を味わうことができない、ということだろう(経年劣化はあるが)。
鞄はやはり革製品に限る(多少重くて手入れに手間がかかるとしても)。
それは靴も同じで、靴で手を抜くと、大人のファッションは崩壊すると言っていい。
靴というのは男のスタイルを決定付けるという点において、最も重要な役割を果たすものだ。モードであれ、クラシックであれ、最終的には靴で全体のバランスをとり、フォルムを完成させている。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
全体のファッションはイージーなのに、革靴にだけ命を賭けている人たちがいる。
自動車や腕時計と同じように革靴は、大人の男を魅了する魔性を潜ませているのだろうか。
大人になって様々な靴を履いてきたが、最近は原点回帰というか、日常的に履く靴はオールデンかJ.M.ウエストンばかりになっている。良い靴は他にもたくさんあるが、基本はオールデンかウエストンにしておくのが間違いないだろう。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
オールデンやJ.M.ウエストンの革靴は、ブルックス・ブラザーズのボタンダウン・シャツやラコステのポロシャツと同じように、男性ファッションの絶対定番である。
廉価ではないが、長く使えることを考えると、良い革靴はコスト・パフォーマンスに優れている。
「一生もの」という言葉があるが、ファッションの世界において、「一生もの」という言葉は、あまりリアリティを持たない。
なぜなら、流行を受けて変化し続けていくのが、ファッションの宿命だからだ。
モードブランドの服を着るということは、そのワンシーズンだけを楽しむ贅沢な遊びだ。しかも、それに大枚をはたくというアホ臭い遊びだ。(略)クラシックブランドでもモードブランド程ではないが変化はする。僕の経験では長くて五年。五年経てばすっかりラインは変わっている。流行ということを意識すれば、服の寿命は五年というのが正しい。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
値の張るアイテムを売るとき、お店の販売員は「5年着れますから、1年あたり何万円です」などといったようなセールストークを展開する。
しかし、2年後に同じ店へ行くと、同じ販売員が「お客様のアイテムも、そろそろ更新した方がいいですよ」と平気な顔で言ってのける(すっかり慣れましたが)。
洋服の寿命は、そのくらいに短いということは知っておいた方がいい。
トレンドを反映したアイテムほど、トレンドが過ぎ去った後で着ていて、惨めな気持ちになるものはない。
耐久面で寿命があるのも、洋服の宿命と言っていい。
どんなに丈夫な作りの製品でも、愛用していれば必ず傷んでくる(ヘビロテすれば、なおさらだ)。
その点、良い革靴というものは、本当に長く使うことができる。
汚れたら手入れをすれば済むことだ。上等な靴ほど丈夫だし、不死鳥の如く甦る。傷や多少の変色も味になる。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
長年履きこんだ革靴は男の顔と一緒で、その人の人生を語るものだ。
スニーカーばかり履いていては、足もとで人生を語ることはできない。
簡単なことだ。背広は黒に近い濃灰色の無地。シャツは白。ネクタイも無地の濃色で細め。仕立ては最高。靴は黒できちっと磨く。髪は短く、マメに床屋に行く。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
大人は身だしなみがモノを言う(つまり、見た目のことだ)。
大人になったら髪型も、大人らしいものにしたい。
現在、理想とする髪型は、中年以降のフランク・シナトラのような清潔感のあるナチュラルな七・三分けだ。この髪型に合わない服は買わない。(略)大人の男は会う度に服や髪型で印象が変わるのは好ましくない。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
恐ろしいのは、若い頃の髪型をそのまま引きずっていること。
髪型と眼鏡は、時代遅れを象徴するアイテムとなりやすい。
昔のトレンディドラマに出演していた俳優を真似したままで、数十年が経過してしまったというオジサンも少なくないらしい。
髪は床屋で切ってもらうとして、毎日の髭剃りは自分でやらなければならない。
ウェット・シェービングは、男だけに許された楽しみの一つである。こういった儀式を煩わしいと思わずに楽しめるかどうかで大人の男として豊かな人生を送れるかどうかに差がついてくるものだ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
髭剃りと靴磨きは、男の人生から欠くことのできない、日々の儀式(セレモニー)だ。
「どんな髭剃りにも哲学はある」と言ったのは、イギリスのエッセイスト(ロバート・リンド)だ。
小さなセレモニーを大切にして、人生を楽しみたい。
大人の男にとって、腕時計は悩ましい問題である。
僕は一本選べと言われたら、即座にカルティエのタンクと答える。(略)タンクは多くのモデルを産んだが、僕は基本のモデルが最高だと思う。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
男の腕時計は自動車と同じで、少年の日の遊び心にも通じるイノセントな存在だ。
自分の好みに合う一本を、一生かかっても見つけたい。
小道具にこだわるのも、大人の嗜みだろう。
他には、モンブランの筆記用具。ルイ・ヴィトンのクラシックなモノグラムシリーズの基本ライン。エルメスの小さな手帳。サック・ア・デペッシュと呼ばれる手提げ鞄。傘は丸善の竹製ハンドルのごく普通の黒いコウモリ傘が軽くてサイズ的にも外国製より合うので使い続けてきた。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ブルックス・ブラザーズのアメリカの公式サイトで、日本では売っていない傘を個人輸入したとき、あまりの大きさと重さに閉口したことがある。
日本人に合った小物を選ぶということも大切な視点だろう。
ブルックス・ブラザーズの傘は意外にも丈夫で、10年以上経った今も愛用してはいるが。
コートはトレンチコートとチェスターフィールドコートの二着が基本。
もう一着選ぶとしたら、ダッフルコートがここに加わる。
最近ではダッフルコートにも様々なヴァリエーションがあるが、やはり、クラシックなデザインの物を選びたい。厚地のしっかりしたメルトン地で、多少の重量は厭わないこと。顔をすっぽりと覆えるフード、トルグボタン、トルグの数は少ない方がクラシックらしい。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
色はネイビーかキャメル。
村上春樹は「VANジャケット製のチャコール・グレイ」を愛用していた。
ダッフルコートは、ツィードのスーツにもマッチするし、タートルネックセーターに合わせてもいい。
オンでもオフでもいけるところが、ダッフルコートの強みなのではないだろうか。
語ればキリがないほどに、ファッションの世界は奥が深い。
同時に、ストイックにシンプルに徹することも、また、大人のファッションには必要なことである。
ファッションもユニクロを筆頭とするファスト・ファッションで全てを済ませてしまう。ユニクロが悪いわけではないが、すべての人がユニクロしか着ないとなれば、やはり異常だ。(河毛俊作「一枚の白いシャツ」)
ユニクロに罪があるとすれば、それは「敷居が低すぎた」ことではないだろうか。
服屋へ着ていく服がないとき、最初に行くべき店は、まずユニクロだ(「電車男」が教えてくれた)。
ユニクロへ行って恥ずかしい思いをすることはない。
そのため、ファッションについて、あまりに勉強しない大人が増えた。
大人にとってファッションは、教養の一部である。
教養とは、人生を豊かにするためのスパイスのようなものだろう。
深みのある人生を送るためにも、我々はもっとファッションの世界に遊ぶべきなのだ。
文学や音楽の世界を楽しんでいるのと同じくらいには。
書名:一枚の白いシャツ(男、45歳からの服装術)
著者:河毛俊作
発行:2011/03/25
出版社:新潮社