物語の考察

スピッツ「ロビンソン」歌詞考察|物語世界を超えるタイトルの意味

スピッツ「ロビンソン」歌詞考察|物語世界を超えるタイトルの意味

スピッツの「ロビンソン」は明確な情景を描き出していない。

なぜなら、それは、一人一人のリスナーに委ねられた物語世界であるからだ。

「ロビンソン」というタイトルは何を意味しているのか?

あるいは、歌詞の内容と「ロビンソン」というタイトルには、どのようなつながりがあるのか?

スピッツが描き出す「ロビンソン」という物語の世界観を、あえて分かりやすく言語化してみたい。

「ロビンソン」はなぜ曖昧な物語なのか?

スピッツの「ロビンソン」は、1995年(平成7年)4月に発表されたシングル曲である。

160万枚を超える売り上げがあり、スピッツ最大のヒット曲となっているが、歌詞の意味については謎が多い。

なぜなら、この歌(の物語)には明確なストーリーが示されていないからだ。

新しい季節はなぜかせつない日々で
河原の道を自転車で走る君を追いかけた
思い出のレコードと大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげてしかめっつらまぶしそうに

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法でつくり上げたよ
誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

(スピッツ「ロビンソン」)

物語の主人公は「思い出のレコード」と、大げさに語りたくなるほど懐かしい昔話を肩にぶらさげながら「河原の道を自転車で走る君」を追いかけているが、その「新しい季節」は「なぜかせつない」。

「片隅に捨てられた猫」はどこか似ていて(誰に?)、「いつもの交差点で見上げた丸い窓」は薄汚れており、「ぎりぎりの三日月」も「僕(主人公)」を見ている。

そこに描かれているのは、なぜか主人公ひとりの姿で、歌詞に登場する「君」との関係性も曖昧な形でぼかされている。

一方、サビの部分で「誰も触われない二人だけの国」のように特別な関係性が示唆されることによって、物語の全体構造は、さらに不鮮明なものとなっている。

「ロビンソン」の歌詞世界は、なぜ、このように曖昧な描かれ方をしているのだろうか。

鍵となるのは「ありふれたこの魔法でつくり上げたよ」のフレーズである。

時空を超越した物語世界

仮説として考えられるのは、明確に描くことがためらわれるほど、それは辛く悲しい物語だったのではないか?ということだ。

一般に「ロビンソン」は、爽やかなラブソングとして解釈されることが多いが、歌詞の中には「なぜかせつない日々」「片隅に捨てられて呼吸をやめない猫」「見上げた丸い窓はうす汚れてる」など、決して明るいだけではないフレーズも含まれている。

なにより、恋愛対象であるはずの「君」の輪郭が、ほとんど描かれていないところに、この物語が持つ本当の意味があると考えることもできる。

物語の中の「君」は、おそらく(現実世界には)既にいない。

主人公は「君の思い出」を追いかけているだけだ。

それでも、主人公が「夢のほとり」で「君」を待ち続けているのは、「君」を忘れることなど、とてもできないことだったからだろう。

「生まれ変わる」ことによって主人公は「誰も触われない二人だけの国」を築こうとする。

もちろん、すべては、主人公の空想の中で作り上げられた架空の物語だったかもしれない。

主人公にできることは「ありふれたこの魔法」と呼ばれる空想の中で作り上げた「二人の国」を、遙か遠く天上へと見送るだけだ(それが「大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」)。

そう考えると「ロビンソン」は、主人公が最初に歌っているとおり「かなり切ない物語だった」ということになる。

タイトル「ロビンソン」が意味するもの

「ロビンソン」というタイトルは、歌詞の物語世界に依拠していない。

なぜなら、この歌(物語)は、既に「現実世界ではないもの」のことについて歌っている歌だからだ。

あえて意味づけをするとしたら、「ロビンソン」は、主人公が(ありふれた魔法で)作り上げた(夢の中の)「誰も触われない二人だけの国」のことである。

もしかすると、主人公はこの夢の世界(誰も触われない二人だけの国)に、「ロビンソン」という名前を与えていたのではないだろうか。

そこに広がるのは、既に失われてしまった大切な人に対する、かけがえのない思い(愛情)である。

「片隅に捨てられて呼吸をやめない猫」が似ているのは、「君」を失ったばかりの主人公(「僕」)自身だ(「猫」は明らかに主人公自身の投影だろう)。

「いつもの交差点」にも「君」はいなくて、主人公は一人きりで自身の喪失感と向き合っている。

片隅に捨てられて呼吸をやめない猫もどこか似ている
抱き上げて無理やりに頬寄せるよ
いつもの交差点で見上げた丸い窓はうす汚れてる
ぎりぎりの三日月も僕を見てた

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで生まれ変わるよ
誰も触われない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

(スピッツ「ロビンソン」)

主人公を支えているのは(夢の中にある)「誰も触われない二人だけの国」だけで、そこに主人公の救済がある。

だからこそ、この歌のタイトルは「ロビンソン」であり、それは、喪失感を抱えた主人公の「救済の物語」だったと読むことができるのだ。

「ロビンソン」が今も愛される理由

「ロビンソン」は一時期だけのヒット曲に終わらない名曲として、現在も愛され続けている。

それは、物語の輪郭をあえてぼんやりと描き出すことで、聴き手自身の中に生まれる様々なイメージを尊重する構成となっているからだ。

「ロビンソン」という言葉の意味に正解はないから、リスナーはそのときの感情によって、自分なりの解釈を生み出し、物語的世界に意味づけをしていく。

解釈を限定しないストーリーは、むしろ「ロビンソン」の魅力であって、意味不明であるところにこそ「ロビンソン」という歌の持つ強さがある。

もちろん、物語の根底にあるものが「大切な人への大切な思い」であることも、この歌が多くの人たちの共感を集め続けている大きな理由となっていることは確かだろう。

「新しい季節」とは、つまり「君のいない季節」だった。

この「切なさ」は、時代を超えていつまでも愛され続けていくのかもしれない。

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