現代日本文学

逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』考察│ニッポンの未来を変えるためにできること

逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』考察│ニッポンの未来を変えるためにできること

逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)は「救い」の物語だ。

読みながら何度も涙が出た。惨めな転落人生の中で、時々ふっと「救い」の言葉に出会う瞬間がある。

おそらく、この物語は、そうしたささやか「救い」を見つめるために、「底が抜けた社会の地獄」が描いているのだ。

『同志少女よ、敵を撃て』の逢坂冬馬が描く現代日本の闇と救いを読み解いてみたい。

底が抜けた社会の地獄の中の「救い」

例えば、投資会社ラビリンスの経営苦境で、自慢のタワーマンションを手放さなければならなくなったとき、副社長・霧山冬至は、板金職人・後藤友彦に励まされる。

「正直僕には、難しすぎて、霧山さんの会社が何をしているのか分かんないです。けれど、偉い人たちが責任を取ってくれることで、現場の人が助かることは知っています」虚を衝かれた思いがした。(略)「大変かとは思いますが、お体にお気をつけください」(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

本作『ブレイクショットの軌跡』は、格差社会の物語である。

我々が生きている現代社会が「格差社会」である以上、現代社会を描くということは、つまり「格差社会」を描くということになる。

成功者である霧山冬至は、息子(霧山修悟)が板金職人の息子(後藤晴斗)と仲良くしていることを許すことができない。彼らは「異なる世界」の人間だったからだ。

しかし、彼(霧山冬至)が社会から放り出されようとしていたとき、救いの言葉をかけてくれたのは、その板金職人の後藤友彦だった。

格差社会の根底にある(はずの)人間らしさへの信頼が、この物語にはある。

詐欺まがいの営業を強いられている松代不動産の社員・十村稔も、かつては良心ある営業を誇りにしていた。

「僕は家を売るとき、この人にどの家を売るかではなく、あの家に住むべきは誰かと考えるけど、千城台北のあの家の資料を見ていたら、このあいだ、田中様ご夫婦が思い浮かんだよ」十村はもう一度、深々と頭を下げた。この人の部下でよかった、と心底から思えた。(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

恋人(霧山修悟)のサッカーを応援するため、高校を中退した後藤晴斗は詐欺集団の仲間入りをしつつあった。

やがて、十村稔も後藤晴斗の属する詐欺集団へと巻きこまれていく。

ひとつの物語の登場人物は、次の物語で主人公となっている。

主人公が次々とリレー形式で入れ替わる物語は、やがてすべてが繋がってひとつの壮大な物語となる。

それぞれの物語を繋いでいるのは「ブレイクショット」という名前のSUV(自動車)だ。

富裕層にとってはささやかな自動車であり、庶民にとっては憧れの高級車であるブレイクショットは、次々と持ち主を変えながら、それぞれの物語を描き出していく。

そういう意味で「ブレイクショット」は、物語を動かすための「狂言回し」としての役割を担っていると言える。

新車だった霧山冬至のブレイクショットは、後藤友彦の交通事故の後、松代不動産の社用車へと姿を変えた。

一台の自動車が見せてくれる社会の断面図は素晴らしい。

そして、誰もが地獄の中で喘いでいるのに、必ずどこかに「救い」がある。

人生を踏み外していた後藤晴斗は、同じ性的マイノリティである同僚・門崎亜子との出会いによって、本来の自分を取り戻していく。

「後藤くんが自分の望む人生を手に入れたと思ったら、私がいるあのバーに来てよ。そのときあたしが大学に行けてたら、ふたりでナインボールして遊ぼうね。何も賭けないなら、面白いから好きだ」(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

もちろん、門崎亜子も、彼女なりの地獄を抱えていた。

転落人生からの脱出。

そんな大きなテーマこそ、本作『ブレイクショットの軌跡』における最大の救いだったのかもしれない。

ニッポンという国のブレイクショット

門崎亜子の得意なビリヤードは、この物語のもう一つのテーマとなっている。

突いたボールがどう転がるか、はじいたボールがどこに行くかの予想はできても、そこから先は無理でしょう。ミスした場合ボールは予想外の方向に転がるし、成功した場合も手玉が理想的なところに止まってくれるとは限らない」(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

タイトルの「ブレイクショット」はビリヤード用語で、ゲームの一番最初に打つショットのことを意味する。

ナインボールの場合、ダイヤモンド型に固まっていた9個のボールは、ブレイクショットによってバラバラとなっていく。

1番のボールから順番に突いて、ボールをポケット(穴)へと落としていくナインボールは、ゲームの展開を予想しながらボールを打たなければならない。

人生も、ある意味ではビリヤードのようなものだ。

失敗はどこだったのだろう、と懸命に考えた。公園で嘘をついた先ほどか。志気の誘いに乗ったときか。いや──修悟の父、霧山冬至を欺こうと決めた、あのときではないのか。確かに絶望的に理解のない父親だった。しかし、説得の難しさは、嘘を重ねることによりさらに増していった。(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

ひとつのミスショットが、人生を大きく左右する。

後になって振り返って自分の過ちを見つけることは、決して簡単なことではない。

「お前は何も知らない後藤晴斗を利用しようとした。門崎亜子も、受講生たちも。だが、お前は違う。本質的に俺と同種の悪党だ。なあ志気、人生がやり直せるなら、いつからやり直したい?」(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

もちろん、人生をやり直すことはできない。

我々にできることは、未来を少しでも予測しながら、致命的な「ミスショット」を打たないようにすることだけだ。

格差社会に群がる詐欺集団、性的マイノリティへの差別。

すべての根っこに「現代社会の生きづらさ」がある。

いったい日本は、いつからこんなにも生きづらい国になってしまったのだろうか?

ニッポンという国のブレイクショット。

それぞれの人生を問いながら、この物語は日本の未来をも問いかけているのだ。

ブレイクショットの軌跡は、日本だけではなく海外へと広がっていく。

わけのわからねえ人生だったよ。牛の代わりに武装勢力になってから、ずっとさ。でも、わけのわからねえ人生にずっと受け身で、なにもできやしないって思ってたけど、ジェイクが生きてるなら、最後に何か、僕は正しいことをできたんじゃないのかな。(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

戦闘車両に改造された松代不動産の社用車(ブレイクショット)の中で、アフリカの少年兵エルヴェは、人生について考えていた。

日本からアフリカへと繋がる軌跡は、我々がグローバル社会の中で生きていることを可視化してくれる。

時間の流れの中で人生が繋がっているように、国境を越えて世界もまた繋がっているのだ。

実際、地獄はどこにでもあった。

我々の生きている現代社会が「地獄」である以上、現代人である我々は、その「地獄」から逃れることはできない。

大切なことは、この地獄のような社会を変えることではなかったか。

「俺は、ルールの方が合理的であれば、ルールを守りたい」「ルールを守ることがすべてじゃないの?」「(略)ルールが不合理ってこともある。そういう場合は、守るのでも違反するのでもなく、変えたい」(逢坂冬馬「ブレイクショットの軌跡」)

不合理なルールは変える。それが、彼らの生き方だった。

国際的なサッカープレイヤーとなった霧山修悟は、マネジャー・後藤晴斗との結婚を公表する。

彼らは、社会を変えようとしていたのだ。

ブレイクショットの軌跡を変えることは、誰にもできないだろう。

だからこそ、未来を変えたい。

そこに、本作『ブレイクショットの軌跡』が伝えようとしているメッセージがある。

果たして「ニッポンの未来」を変えることはできるのか?

新しいゲームの「ブレイクショット」を打つのは、今この本を読んでいるあなたたちかもしれない。

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『ブレイクショットの軌跡』の次に読みたい本

逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』は、地獄のような社会で生きる人々に向けた「救いの物語」でした。

『ブレイクショットの軌跡』を読んだ後におすすめの本を3冊紹介します。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

理不尽な断絶を乗り越えて生きる青年の物語。人生は辛いものだけれど、きっとどこかに救いはあるって思いませんか?

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』あらすじと詳細考察はこちら

片岡義男『スローなブギにしてくれ』

本作『ブレイクショットの軌跡』の、特に「アフリカのホワイトハウス」パートを読んでいるとき、なぜか片岡義男さんの作品を思い出しました。硬質で現代的なハードボイルド文体が、逢坂冬馬さんへ通じているのかもしれませんね。

片岡義男『スローなブギにしてくれ』あらすじと詳細考察はこちら

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ウォルター・テヴィス『ハスラー2』

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ウォルター・テヴィス『ハスラー2』あらすじと詳細考察はこちら

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文学考察ブログ『時空標本』管理人。感想以上、批評未満。深読み癖あり。