三宅香帆『ニュー日本文学史』は、現代的な視点に立った「古典文学ガイド」である。
有名な作品から知られざる名作まで、文芸評論家・三宅香帆の視点でアップデートされた古典文学を、我々はどのように受け止めればいいのだろうか。
今回は、新書大賞受賞作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の作者が綴った、この「新しい日本文学史」の「新しさ」に着目しながら、古典文学が持つ現代性について考察してみたい。
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古典文学の「新しさ」に触れる
『なぜはた』の作者として知られる文芸評論家・三宅香帆は、実は古典文学のエキスパートでもある。
京都大学大学院では『万葉集』を専攻し、『妄想とツッコミでよむ万葉集』や『〈萌えすぎて〉絶対忘れない! 妄想古文』『30日 de 源氏物語』など、古典関係の著作も多い。
本作『ニュー日本文学史』は、その三宅香帆が満を持して発表した「新しい日本文学史」だから、おもしろくないはずがない。
本作において、三宅香帆がとらえる古典文学とは「抵抗の記録」である。
ここで描こうとしているのは、面白いものを生み出そうとし続けてきた結果、新しさゆえに批判され続けてきた歴史です。(三宅香帆「ニュー日本文学史」)
「面白いものを生み出そう」とする行為を、作者は「イノベーション」と呼んでいる。
イノベーションとは、従来の枠組みを覆して「新たな価値」を生み出す画期的な取組のことだ。
もちろん、「新しい価値」の創造は、決して簡単なことではない。
世の中には「古い伝統」を重んじる傾向があるし、それは平安時代でも鎌倉時代でも同じだった。
しかし、そんな集団の同調圧力のなかで、抑圧されずに新しいことを生み出した作品こそが、日本文学史の傑作として残っている。(三宅香帆「ニュー日本文学史」)
つまり、当時の社会で「新しい価値観」を生み出したイノベーティブな文学作品こそ、現代まで読み継がれている「古典文学の傑作」だったと、作者は指摘しているのだ。
エポックメイキングな文学作品は、常に新しい時代を切り拓いてきた。
本作『ニュー日本文学史』は、そんな古典文学の「新しさ」に着目した、新感覚の古典文学ガイドである。
「古典なんか古くさい!」と思っている人は、古典文学の「新しさ」に触れることで、抵抗感が弱まるかもしれない。
こうした視点が、本作『ニュー日本文学史』の「新しさ」である。
令和感覚の古典ガイド
古典文学を「現代的な感覚」から再評価する取組は、以前から行われてきた。
『桃尻娘』の著者・橋本治による『桃尻語訳 枕草子』は、現代的な女子高生言葉を使って古典を翻訳したものだったし、その橋本治は『これで古典がよくわかる』という現代的な解釈による古典ガイドも作成している。
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そもそも言葉が現代語とは異なる古典文学の場合、読書としての難しさは「古さ」だけではない。
言語という壁をクリアした上で、内容を理解しなければならないので、近現代文学に比べて古典文学は、やはりハードルの高い文学ジャンルなのだ。
そのため、古典文学の専門家たちは、その魅力を現代社会へと伝えるべく様々な努力を払ってきた。
その手法のひとつが「現代的な感覚」から古典文学をとらえ直す作業である。
感性を売りにする人って、ぶっちゃけ普通のことにも「素敵!」「感動!」「最高!」って騒ぐから、結局中身のない人間になる。そんなに褒めてどうするの、って傍から見てると思うけど。(三宅香帆・訳「紫式部日記」/三宅香帆「ニュー日本文学史」)
作者(三宅香帆)は、当時のトレンド作家・清少納言を非難する紫式部の『紫式部日記』を、いかにも現代的にとらえ直している。
かつて、橋本治は清少納言を「ミーハー」という言葉で表現したけれど、『ニュー日本文学史』では、むしろ紫式部の生き方にフォーカスが当てられた。
『紫式部日記』に綴られたエピソードは、全体的に暗い。読んでいると、紫式部は生きることを本当に苦行だと捉えていたんだなあ、とよくわかる。(三宅香帆「ニュー日本文学史」)
紫式部の「生きづらさ」に着目する『紫式部日記』解説は、本作『ニュー日本文学史』の持つ「新しさ」だと言っていい。
『紫式部日記』は、生きづらさを抱えた女性の告白日記だったのだ。
私はこの世で生きている価値なんかない存在だとわかっている。(略)なんて、つらい人生なんだ……。(三宅香帆・訳「紫式部日記」/三宅香帆「ニュー日本文学史」)
平安時代を「メンズ・ノンノの時代」と評価する橋本治とは、まったく異なる温度感(どちらが優れているとか、どちらが正しいとかではなくて)。
この「ズレ」こそ、おそらく「現代性の違い」ということなのだろう。
バブル前夜の好景気の中で生きている人々が読む古典文学と、バブル崩壊後の低迷する経済社会で生きる人々が読む古典文学とは、おそらく「とらえ方」が違う(同じものを読んでいたとしても)。
そういう意味で、三宅香帆の古典ガイドは、令和時代の古典ガイドである。
そこに『ニュー日本文学史』の「新しさ」がある。
現代を生きる我々の「生きづらさ」
『ニュー日本文学史』を読んでいると、昔の作家たちの「生きづらさ」が印象に残る。
彼女は平安時代で生きづらかっただろうか。現代に生きていれば彼女に共感する人も多かったのではないか。(三宅香帆「ニュー日本文学史」)
短編物語集(アンソロジー)である『堤中納言物語』に登場する「理系女子」に、作者は共感を寄せる。
有名な『方丈記』の作者(鴨長明)も、また、疎外感を抱える鎌倉男子だった。
世間に従うのは苦しいが、従わなければ狂人扱い。はあ、どんなところに住んで、どんなふうに振る舞えば、この短い人生を安らかに生きていけるというのだろう?(三宅香帆・訳『方丈記』/三宅香帆「ニュー日本文学史」)
鴨長明の「生きづらさ」に寄せる作者の共感も強い。
わかる。わかるよ。いつだって世間は適応しすぎると生きづらいのに、適応できなくても生きづらい。どうしろというのか。人生は難しい。鎌倉時代からかよ。(三宅香帆「ニュー日本文学史」)
なぜ、昔の作家たちは、こんなにも「生きづらさ」を抱えていたのだろうか?
それは、彼らの「生きづらさ」と、現代の我々が抱えている「生きづらさ」とが繋がっているからだ。
読書は「共感」が必要な作業である(共感のないところに読書は成立しない)。
どのような作品にも、読者は自分が共感できるポイントを求めている。
その「共感」を支えているものが、つまり「現代性」だ。
作者(三宅香帆)は、現代の読者が共感できる視点から、古典文学を再解釈してみせた。
その結果、出てきたものが「マイノリティ」や「自分に対するコンプレックス」などといった言葉で表現される「生きづらさ」だったのだ。
古典文学に描かれている「生きづらさ」は、現代を生きる我々の「生きづらさ」でもある。
もちろん、すべての古典文学が「生きづらさ」だけを描いているわけではない(あたりまえだが)。
大切なことは、読書をするときに「何を見るか」ということなのだ。
そのとき浮き彫りになるのは、実際に読者が(つまり我々が)生きている時代である。
そういう意味で古典文学とは、自分自身を見つめ直す「合わせ鏡」のような存在と言えるかもしれない。
「新しい日本文学史」の誕生
本作『ニュー日本文学史』は、確かに「新しい」日本文学史だった。
古典文学の「新しさ」に着目しながら、古典文学によって浮き彫りにされた「現代社会の闇」をすくいとる。
そこから分かることは、古典文学と現代は、歴史という時間の中で「地続きに繋がっている」ということだ。
時代が変われば、きっと、また「新しい日本文学史」が登場してくるのかもしれない。
その繰り返しこそ、「日本文学史」がたどってきた歴史だったのだから。
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『ニュー日本文学史』の次に読みたい作品
文芸評論家・三宅香帆さんの『ニュー日本文学史』は、現代の視点から古典文学を再評価する「新しい古典文学ガイド」でした。
ここでは、『ニュー日本文学史』の次におすすめの作品をご紹介します。
いずれも電子書籍(kindle)で読むことができますよ。
三宅香帆『「好き」を言語化する技術』
「ヤバい!」とか「まじ凄い!」だけではない言葉の世界を、文芸評論家・三宅香帆さんが案内しています。
読書感想文を書く前に読むと、すごく参考になりますよ。
▶ 三宅香帆『「好き」を言語化する技術』読書感想文に応用するコツ
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三宅香帆『ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』
文芸評論家・三宅香帆さんによる名作小説の読み方ガイド。
キャラクターに入れこむとか、いかにも「オタク」らしい三宅香帆さんの読書ガイドが楽しい。
何気に名作文学の解説になっているので、初心者の方におすすめです。
▶ 三宅香帆『ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』文学女子の妄想力を発揮した小説ガイド入門編
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鴻巣友季子『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』
翻訳家であり、文芸評論家としても知られる鴻巣友季子さんの日本文学ガイド。
日本の女性作家が、イギリスやアメリカで高く評価されているって、知ってましたか?
日本の女流文学は、もはや世界標準なんです。
▶ 鴻巣友季子『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』に学ぶ世界文学としての日本文学
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