日本文学考察

ユーミンという魔法の呪文。超一線級の作家が集結した『Yuming Tribute Stories』全作品考察

ユーミンという魔法の呪文。超一線級の作家が集結した『Yuming Tribute Stories』全作品考察

『Yuming Tribute Stories』は、松任谷由実デビュー50周年記念として刊行された新潮文庫オリジナル小説集である。

参加作家は、小池真理子、桐野夏生、江國香織、綿矢りさ、柚木麻子、川上弘美の計6人で、全作品がユーミンの楽曲をタイトルとした書き下ろし作品となっている。

今回は、本作『Yuming Tribute Stories』収録の全作品を、独自の視点から考察していきたい。

「ユーミン」という魔法の呪文

『Yuming Tribute Stories』(ユーミン・トリビュート小説集)という企画だけでは驚かなかった。

なにしろ、あのユーミンの50周年なんだから、そのくらいの企画はあっていい。

驚くべきは、表紙に並んだ作家陣である。

小池真理子、桐野夏生、江國香織、綿矢りさ、柚木麻子、川上弘美。

どう考えても一線級の(というか超一線級の)女性作家たちの名前が並んでいる。

この作家たちが、松任谷由実50周年のために「書き下ろし」の作品を寄せる。

すごい。

「ユーミン」の冠がなくたって、この作品集は「すごい」作品集だと言っていい。

しかし、本当に「すごい」のは、この作家陣に「ユーミン」をテーマに小説を書かせてしまった「松任谷由実」という存在である。

そのとき、僕らは「ユーミン」という言葉が持つ重さの意味を、改めて知ることになる。

日本中の女子に影響を与えたという「ユーミン伝説」は、やはり現実だったのだ。

そして、小説を読み終えたとき、さらなる驚愕がやってくる。

これは、単なる「アンソロジー」ではない。

このアンソロジーは、短篇小説集として「とても優れたアンソロジー」なのだ。

どの作品にも、それぞれの作家らしさがあり、それでいて、どの作品にもユーミンの世界観がある。

このアンソロジーが「全作書き下ろし作品」で構成されているというのは、はっきり言って奇跡のようなものではないだろうか。

そして、この奇跡を実現したのは、やはりユーミンである。

もはや「ユーミン」という言葉が、魔法の呪文のように思えてならない。

『Yuming Tribute Stories』全作品考察

あの日にかえりたい│小池真理子

早見優の水着姿が印象的だったアサヒペンタックス「PENTAX MG」のCMソング(1980)として懐かしい「あの日にかえりたい」。

小池真理子は、楽曲が持つ70年代の雰囲気を精緻に再現してみせた。

連合赤軍によるあさま山荘事件と集団リンチ事件がひとつの契機となり、70年安保闘争は急速に下火になりつつあった。(小池真理子「あの日にかえりたい」)

そんな時代を生きた女子大生たちのはかない友情が、この短篇小説では描かれている。

「あの日にかえりたい」のは、小説の登場人物たちであり、物語を読む我々自身でもある。

感傷、というのは、膨大な時間の流れを往き来することだ。往きっぱなし、ということはない。生きている以上、今現在に戻って来なければならない。(小池真理子「あの日にかえりたい」)

この小説の切なさは、人はみな「過去」の中では生きていけないという真実を突きつけられたところにある(あの日にかえることはできない)。

しかし、どんなに辛かった日々も、過ぎてしまえば美しい思い出となることを、我々は知っている。

そうでなければ、人生なんて生きていく価値がないのかもしれないのだから。

DESTINY│桐野夏生

「DESTINY」とは「運命」のこと。

この大袈裟な言葉が運んでくるものは、必ずしも大袈裟なものとは限らない。

何気ない言葉が誰かにとって「運命の言葉」になることもあれば、さりげない出会いが「運命の出会い」となることもある。

自分は完全に、あの女子高生に恋をしている。そう思ったのは、三島由紀夫の『志賀寺上人の恋』を読んだ時だ。(桐野夏生「DESTINY」)

文学オタクな独身アラサー男子の「運命の人」は、バスの中から見かけただけの女子高生だった。

雑誌『BRUTUS』(No.1041 2025/10/15)の「ラブソング特集」では、「日本のラブソング第1位」に選出された名曲「DESTINY」。

それぞれの読者の中に、それぞれの「運命」があるはずだ。

夕涼み│江國香織

結婚した女性たちの葛藤を描いた、江國香織の「夕涼み」もまた、ユーミンの世界観を切り取った物語だ。

それが女だけの夕涼みで、古くからその村の習慣なのだと教えてくれたのはアマリアだった。(略)夜のあの時間くらいしか、彼女たちは一人になれないのだとも。(江國香織「夕涼み」)

主人公にとって、妹と二人きりで飲みに出かける時間は、夫からも育児からも解放される、彼女だけの「夕涼み」だ。

花はまたあの夏を思いだす。暗い夜道で夕涼みをする老女たち。壁にもたれて、一列にならんで。花は、彼女たちの沈黙の重みを、妹が理解する日が来ないことを願った。(江國香織「夕涼み」)

「家庭」に縛られたまま年老いていった異国の女たちと、「結婚」を間近に控えて幸せいっぱいの妹。

そのちょうど真ん中で、主人公は生きている。

青春のリグレット│綿矢りさ

「リグレット」は「後悔」のことで、「青春の日の後悔」を描いた物語が、綿矢りさ「青春のリグレット」である。

夫から離婚を言い渡されたときに思いだしたのは、結婚前に付き合っていた「元カレ」のことだった。

いまさらいい人ぶって、泣いたりできない。後悔してる、謝りたいなんて、勝手すぎて伝えられない。あのとき真剣に考えてくれた将来の計画が、今さら恋しいなんて。(綿矢りさ「青春のリグレット」)

本当に大切なものは、後になって分かる。

それが「青春」という懐かしい日々が教えてくれる、悲しい「リグレット」だ。

しかし、「あの日はかえってこない」。

ユーミンの歌は残酷で、だからこそ、我々は「今」を大切にしなければならないという、当たり前の事実に気付く。

いつだって、大切なことは、ユーミンが教えてくれたのだ。

冬の終り│柚木麻子

柚木麻子は「冬の終り」でアラフォー女子の葛藤を描いている。

育児に無理解な夫との生活、無口な同僚女性との仕事。

それは、人間関係を上手に構築することができない、という葛藤だ。

人間が嫌い、というわけではなかった。

振り返れば、男女問わず、片想いばかりの人生だったと思う。(略)四十歳になろうとするのにこの調子なのだから、将来的には茉莉ちゃんとも不仲ではないけれど疎遠になっていくのではないか、という強い予感がある。(柚木麻子「冬の終り」)

本書『Yuming Tribute Stories』で、ユーミンの楽曲をストレートに使用しているのは、本作「冬の終り」だけだ。

ユーミンを通して、職場の同僚と仲良くなりたい。

その焦りが生々しく描かれていくが、葛藤を抱えているのは、主人公だけではなかった。

なんだか声が上手く出なくなってきた。人が淹れたミルクティーを飲むのは、もう何年ぶりだろうか。(略)このまま自分のことを話し出したら止まらなくなりそうで、怖かった。(柚木麻子「冬の終り」)

生きることが難しい時代の「出口」が、この物語では示唆されている。

「救い」は、もしかすると、すぐ近くにあるのかもしれない。

春よ、来い│川上弘美

まるで長編小説のように重層的な展開を見せる、川上弘美の「春よ、来い」。

誰もが、それぞれの「生きづらさ」を抱えながら、この「生きづらい時代」を生きている。

その夜あたしは、草平さんの本だなにあった太宰治の『人間失格』を読んでみた。暗い小説だったけど、暗いからかえって、つらいのが少しだけ軽くなった。(川上弘美「春よ、来い」)

人はそれぞれの「生きづらさ」の中で、自分だけの「幸せ」を見つけなければならない。

大切なことは、我々はみな「一人ではない」ということだ。

あなたはね、ほんとうの願いを一つだけ、かなえることができるの。それが、わたしの血筋につらなる者たちの持っている『あれ』の力」(川上弘美「春よ、来い」)

ユーミンの冬の定番ライブ「SURF & SNOW in NAEBA」を舞台に、彼らの人生はつながっていく。

それは「松任谷由実」というアーチストによって繋がれた「絆」の物語としても読むことができる。

見方を変えると、本書『Yuming Tribute Stories』そのものが、「ユーミン」という言葉によって築かれた、6人の作家の結晶体なのだ。

そういう意味で、本作「春よ、来い」は、『Yuming Tribute Stories』の核となる作品だったのかもしれない。

まとめ│次のユーミン物語へ

『Yuming Tribute Stories』は、とても優れたアンソロジーである。

小説好きの人なら、誰もが100パーセント楽しむことのできる作品集だ。

しかし、ユーミン好きの人にとっては、200パーセント楽しむことのできる作品集である。

なぜなら、「素晴らしい物語」と「ユーミンの世界観」という二つの贅沢を、このアンソロジーは提供してくれるのだから。

「もっともっと読みたい!」と思わせてくれる、そんなユーミン小説集だった。

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ジェン
文学考察ブログ『時空標本』管理人。感想以上、批評未満。深読み癖あり。