『ランゲルハンス島の午後』は、1984年から1986年まで『CLASSY』に連載されたエッセイである。
戦後日本の大きな転換期となったバブル時代、村上春樹は女性向けファッション雑誌で何を語っていたのだろうか?
今回は、村上春樹史上で最もオシャレなエッセイ集と言われる『ランゲルハンス島の午後』を題材として、村上春樹エッセイが持つ人気の秘密を考察してみたい。
アメリカ文化への強い信仰
村上春樹の小説は好きだけれど、エッセイは好き。
そんな読者が一定数いるらしい(と、少なくとも当時は言われていた)。
実際、この時代、村上春樹は、安西水丸とのコンビで『村上朝日堂』『村上朝日堂の逆襲』『村上朝日堂はいほー!』という3冊の「村上朝日堂シリーズ」を刊行している。
特に『村上朝日堂はいほー!』は、女性向けファッション雑誌『ハイファッション』に連載された作品を中心に構成されており、村上春樹のエッセイと女性雑誌との相性が良かったことを示唆している。
本作『ランゲルハンス島の午後』は、『ハイファッション』(村上朝日堂はいほー!)とほぼ同時代に『CLASSY』に連載された。
ちなみに、『ハイファッション』連載時、村上春樹のエッセイは「ランダム・トーキング」というタイトルで、安西水丸のイラストも付いていない。
後発『ランゲルハンス島の午後』の売りは、「村上春樹のエッセイ+安西水丸のイラスト」という究極のコラボレーションだったのだ(雑誌連載時のタイトルは「村上朝日堂画法」だった)。
端的にまとめると、80年代後半の日本において、村上春樹のエッセイは、オシャレな女性向けファッション雑誌から大歓迎される企画だった、ということになる。
それにしても、村上春樹のエッセイは、なぜそれほどまでに人気がある(人気があった)のだろうか?
本書『ランゲルハンス島の午後』には、計25本のエッセイが収録されているが、特に決まったテーマがあるわけではなく、毎回思いついたことを作者が好きに書いているといったコンセプトの連載エッセイだった。
タイトルだけ並べると、「レストランの読書」「ブラームスとフランス料理」「シェービング・クリームの話」「ONE STEP DOWN」「トレーナー・シャツ雑感」「CASH AND CARRY」「哲学としてのオン・ザ・ロック」「デパートの四季」「BUSY OFFICE」「ニュースと時報」「八月のクリスマス」「ウォークマンのためのレクイエム」「ランゲルハンス島の午後」と、なんとなくカタカナや英語が目立つ。
特に「哲学としてのオン・ザ・ロック」「八月のクリスマス」「ウォークマンのためのレクイエム」「ランゲルハンス島の午後」などは、かなり雰囲気を意識したタイトルとなっていて、このあたり時代との関連が見出せるかもしれない(なにしろ、日本中がオシャレな時代だった)。
「ミニマリスト」とか「シンプル・コーデ」とかが流行するのは、バブル崩壊によってニッポンが長い暗黒時代に入った2000年前後のことで、80年代まで日本人は、とにかく華美であることを尊いものだと考えていた。
特にアメリカに象徴される英語文化は、80年代の日本では絶対的な存在として認められていて、歌謡曲のサビが英語によって構成されていることなど、当たり前の話だったのだ。
1979年に『風の歌を聴け』でデビューした村上春樹は、「アメリカン・カルチャーの化身」として、80年代のニッポンを席巻する。
強烈なアメリカ文化をバックボーンに持つ村上春樹が「オン・ザ・ロック」について語り、「クリスマス」について語る。
それだけで、時代はアメリカの風に吹かれているような気がした。
村上春樹の人気の根底にあったのは、アメリカ文化に対する強い信仰だったのかもしれない。
自分自身という存在の確かさ
村上春樹は、良くも悪くも、作品の中に強い自己主張が現れる作家だ。
僕は早稲田の出身だけど、だから<WASEDA>というロゴ入りのトレーナーを着るかというと、そんなことは絶対にない。自分の出た大学というのはいろいろと愛憎半ばするところがあって、どうも生々しすぎる。(村上春樹「トレーナー・シャツ雑感」)
好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。
作者個人の自己主張はかなり明確で、こうした姿勢は、日本文壇からスポイルされる(というか、村上春樹の方から拒絶したわけだが)大きな原因となっている。
こうした「THE 団塊の世代」という生き方は、80年代の日本において、実はそれなりに魅力的に思われたのではないだろうか。
引出しの中にきちんと折ってくるくる丸められたパンツが沢山詰まっているというのは人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ(略して小確幸)ではないかと思うのだが、これはあるいは僕だけの特殊な考え方かもしれない。(村上春樹「小確幸」)
「小確幸」という言葉も、当時の村上春樹ファンの間で大いに流行した村上ワードだが、「これはあるいは僕だけの特殊な考え方かもしれない」というものが、村上春樹の作品には多い。
同調圧力の強い日本社会で、安易な妥協を許さない村上春樹という生き方は、確かに特殊な生き方ではあった。
でも今年の冬に限っては僕は決して後悔することはないだろう。というのは、僕はこの六月に「今年の夏こそはバーゲンでたっぷりとクリスマス・レコードを買いまくろう」と決意し、それを大胆に実行したからである。(村上春樹「八月のクリスマス」)
村上春樹のエッセイの特徴は、自己主張の強い「ムラカミ・ハルキ」という生き方が、多くの場合、どうでもいいような場面で発揮されていることだ。
タクシー料金を支払うためにシェービング・クリームを買って一万円札を崩すとか、夏のバーゲンでクリスマス・レコードを買うとか、平日の午前中にデパートを散策するのが楽しいとか、どう考えても瑣末で非実用的な情報である。
この辺りの「さじ加減」というものを、当時の村上春樹はかなり意識していたのではないだろうか。
小説として書かれると少々面倒くさい自己主張も、エッセイでなら気軽に読み流すことができる。
例えば、その象徴が「どんな髭剃りにも哲学はある」という、例の格言だった。
たとえばサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉もそのひとつである。(略)僕は高校時代にモームの文章を読んで「うーむ、人生とはそういうものか」とかなり素直に感心してしまった。(村上春樹「哲学としてのオン・ザ・ロック」)
小説では『1973年のピンボール』に登場している「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉は、エッセイで読んでも、なかなか含蓄のある言葉となっている。
▶ 「どんな髭剃りにも哲学はある」の出典はモームじゃなかった?
当時、村上春樹のエッセイを支持した読者は、こうした「ムラカミ・ハルキ」という生き方に強く共感していたはずだ。
青春の名残りと大人のゆとり
もうひとつ、大切な要素として「当時、村上春樹は既に若者ではなかった」というキャラクター設定がある。
ずいぶんタイプのちがうこのふたつの例をぱたんと一緒にかさねあわせて総合してみると、僕もわりに年をとったんだなあという実感がフッと湧いてくる。独身者は独身者なりに、所帯持ちは所帯持ちなりに、年をとってオジサンになっていくわけである。(村上春樹「財布の中の写真」)
この「年をとってオジサンになっていく」作家も、また、読者から支持された理由のひとつだったのではないだろうか。
1986年、村上春樹は37歳で、既に人生経験を積んだ中年作家だった。
僕は昔、小説家になるまえに飲み屋のようなものをやっていて、その時は単純に昔飼っていた猫の名前をつけた。(略)僕は次に店を作るときは「カンガルー日和」という名前にしようと思っていたのだが、店をやる予定がなくなったので、これは短編集のタイトルに流用した。(村上春樹「ONE STEP DOWN」)
中年作家にあるのは、失われた青春という過去の傷痕と、人生経験を積んだことから得られる大人の余裕である。
村上春樹のエッセイには、青春の名残りと同時に、大人のゆとりがあった。
アメリカ文化をバックボーンとして語られる青春の名残り。
それが、村上春樹という作家の持つエッセイの醍醐味だったのかもしれない。
町で本を読みたいと思ったときは、なんといっても午後のレストランがいちばんだ。(略)ワインと軽い前菜だけでも嫌な顔をしない親切な店が良い。(村上春樹「レストランの読書」)
あの頃、僕たちは村上春樹のエッセイから人生を学び、生きづらい世の中を生き抜くテクニックを教わった。
年をとってオジサンになっていくことも、また、人生である。
本作『ランゲルハンス島の午後』には、そんな僕たちの青春の傷痕が、あちこちに残されていたのかもしれない。
まとめ│オシャレで知的な世界
村上春樹のエッセイは読みやすくてオシャレで知的。
それが、80年代の女性向けファッション雑誌で、村上春樹のエッセイが支持された理由だったのではないだろうか。
いい加減といえばいい加減な時代だったが、知的なものを求める熱量は、あの頃の方が高かったような気がする。
『ランゲルハンス島の午後』なんていう謎のタイトルも、また、オシャレで知的な世界観から生まれたものだったのだ。
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