J.D.サリンジャーの代表作であり、世界的な名作ともなった長編小説『ライ麦畑でつかまえて』。
「難しい」と言われる読後感想の中でも、とりわけ読者の混乱を誘うのが、主人公ホールデン・コールフィールドの、あの強烈なまでの「苛立ち」である。
・ホールデンは何に対してあんなに苛立っていたのか?
・ホールデンはなぜあれほどまでに「インチキ」を憎むのか?
彼の苛立ちには、もちろんちゃんとした理由があった。
今回は『ライ麦畑でつかまえて』を理解するために不可欠とも言える、ホールデンの「苛立ち」について、独自の観点も交えながら深く考察していきたい。
「インチキ」の正体|ホールデンの苛立ち
『ライ麦畑でつかまえて』を読むときに、どうしても理解しておく必要のあるものが、主人公ホールデン・コールフィールドのイライラ感である。
ホールデンは、何に対して、あれほどまでに苛立っていたのだろうか?
① やり場のない怒り|社会とのズレ
本作『ライ麦畑でつかまえて』は、ホールデン・コールフィールドの怒りと苛立ちによって構成されている。
そう言っていいくらいに、主人公ホールデンは、あらゆるものに対して憤っていた。
大人ってのは、いつだって、全く自分たちの言う通りと思うものなんだ。こっちは知ったこっちゃないやね。(略)大人ってのは、なんにも気がつかないんだからな。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
彼は大人たちに反発し、仲間たちに怒り、世の中の成り立ちに対して不満を爆発させる。
彼の不満は、彼自身と現代社会とのズレにあった。
彼にとって、社会はすべからく「インチキ」なものだったのだ。
僕がエルクトン・ヒルズをやめた最大の理由の一つは、あそこの学校がインチキ野郎だらけだったからなんだ。全くウジャウジャいやがるんだから。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
とにかくホールデンは「インチキ」なものを憎んだ。
彼は、彼自身の存在を肯定するために、世界中のあらゆるものを否定し続けなくてはならなかったのだ。
② 悲しみと絶望の果てに
そこにあるのは、主人公ホールデン・コールフィールドの悲しみと絶望である。
わがままな不良少年は、実は傷つきやすい少年でもあった。
ホールデン・コールフィールドは、彼自身の悲しみと絶望の中で傷つき続けていたのだ。
突然僕は泣き出しちゃった。どんなことがあっても泣くのだけはよそうと思ってたのに、泣き出しちゃったんだな。「そうだよ、君は泥棒じゃないよ」と、僕は言った。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
社会の闇に触れるたびに、彼は傷ついていく。
売春婦サニー(の生き方)にさえ、彼は傷ついていた。
彼を傷つけているのは、彼が憎悪しているその「インチキな現代社会」である。
世の中に対して攻撃的なホールデンは、一方で非常にもろい存在でもあった。
まるで情緒不安定な彼は、怒りと絶望の間で揺れる若者として読むことができる。
どうしてだかわかんないけど、泣けてきちゃったんだ。たぶん、すごく気が滅入って寂しかったからじゃないかと思うんだな。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
激しい攻撃性と、その裏側にある孤独は、おそらく表裏一体のものだ。
孤独であるが故に彼は攻撃的であり、攻撃的であるが故に彼は自ら傷つかなければならなかったのだ。
③ 希死念慮に追いかけられて
作中、ホールデン・コールフィールドは、何度も「自殺」をほのめかしている。
僕は返事をしなかった。何をしたかというとだな、立ち上がって、窓のとこへ行って、外を見たんだ。急に僕は、とても寂しくなっちゃった。死んじまいたいくらいだった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
彼は、常に「生」と「死」の境界線を生きていた。
まるで「半分は凍って半分は凍っていない」セントラル・パークの真冬の池のように。
でも、本当は自殺したい気持だったんだ。窓から飛び降りようかと思ったね。(略)僕は血まみれになった自分の身体が、物見高い馬鹿どもに見られるかと思うと、それがどうもいやだったんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
繰り返される自殺願望を乗り越えて、彼は生き続けていた(生と死のボーダーライン上で)。
それにしても、彼のこの「絶望」は、いったいどこからやってくるものだったのだろうか?
怒りの裏側にある孤独|亡き弟アリー
ホールデンの中にある絶望は、大好きだった弟(アリー)を病気で亡くした絶望である。
① アリーを失った喪失感
主人公(ホールデン)は、繰り返し「死んだ弟(アリー)」の思い出に言及している。
もう死んだんだけどさ、弟は。うちじゅうでメイン州に避暑に行ってたとき、白血病になって死んだんだ。一九四六年の七月十八日。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンより二つ年下のアリーは、白血病で死んだ。
最愛の弟を失った悲しみから、ホールデンは逃れることができないでいる。
あいつが死んだ夜、僕はガレジに寝たんだけど、拳で窓をみんなぶっこわしてやったんだから。他にわけがあったわけじゃない。ただぶっこわしたかったからぶっこわしたのさ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンの中にある孤独は、弟(アリー)を失った孤独である。
② 死んだ弟アリー|イノセンスの象徴
彼にとって、アリーは「ただの弟」ではなかった。
ホールデンにとって彼は、決して失われるべきではない「イノセンスの象徴」だったのだ。
しかし、あいつは家族の中で一番頭がいいというだけじゃないんだな。一番いい人間でもあったんだ、いろんな点で。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
「ひとに腹を立てたことなんか一度もない」アリーを、ホールデンは誰よりも愛していた。
だからこそ、彼は許せなかったのだ。
アリーのいない世界を。
アリーの死を忘れてしまうような、インチキな社会を。
③ インチキな社会への憎悪
インチキな世の中に対するホールデンの憎悪は、アリーの死から始まっていた。
みんな、車の中に入ってさ、ラジオをかけたりなんかして、やがてどっか快適なとこへ行って夕食をとることができるだろう。しかしアリーはどうなるんだ。それを思うと、僕はがまんならなかった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
アリーの早すぎる死を、上っ面だけの弔意でやり過ごそうとした世の中を、ホールデンは激しく憎んだはずだ。
ある意味で「アリー」はホールデン自身でもあったのだから。
僕だって、墓地にあるのはアリーの肉体やなんかだけで、魂は天国にいるとかなんとか、そんなたわごとは知ってるさ。しかし、やっぱし僕にはがまんならなかったな。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
彼にとってアリーの死は、単なる「喪失感」で済まされるものではなかった。
なぜなら、ホールデンは(アリーの死んだ)1946年7月18日以降、自分自身をも損ない続けていたからだ。
最愛の弟(アリー)の死を、欺瞞に満ちた社会によって汚されたことで、彼は世の中を憎み続けている。
損なわれていく自分自身を取り戻すために。
本作『ライ麦畑でつかまえて』は、そんなホールデン・コールフィールドの怒りと絶望の物語である。
もちろん、ホールデンは、感傷的に昔話を語ったりはしない。
むしろ、彼は傷だらけの自分自身を隠すかのように、激しく世の中を攻撃し続ける。
だからこそ『ライ麦畑でつかまえて』は「難しい」とか「意味不明」と言われ、「よく分からない」という読後感想を得るのだろう。
なお、本作『ライ麦畑でつかまえて』の詳しい解説は、別記事「『ライ麦畑でつかまえて』徹底考察│ホールデンの怒りと3つのメタファー、結末の意味を解き明かす」にあるので、興味のある方はぜひ参考にしていただきたい。
『ライ麦畑』と現代社会との共通点
弟を失った少年の苛立ちは、現代社会を生きる我々自身の苛立ちでもある。
ホールデンの怒りや絶望は、なぜ我々の共感を得ていくのだろうか?
① 絶望しかない現実|平成から令和へ
その理由は、今を生きる我々自身が、絶望しかない世の中を生きているからだ。
「失われた30年」と呼ばれた平成時代は、戦後日本に大きくて暗い影を落とした。
残虐な少年事件があり、カルト宗教によるテロ事件があり、大規模な自然災害があった。
就職氷河期世代は格差社会の波に飲まれ、パンデミックと戦争がグローバル社会の未来を否定している。
どこに未来があると言うのだろうか? この世界に。
② いつ終わるとも知れない閉塞感の中で
人々は、自分たちの不安と不満を発信し続ける。
SNSという閉鎖的なグローバル社会の中で。
物価高、国際紛争、格差社会、いつ終わるとも知れない閉塞感。
誰もが自分たちの不安に寄り添ってほしいと願っていた。
あのホールデン・コールフィールドが叫んでいたように。
③ 我々は現代のホールデン・コールフィールドだった
そのとき、僕たちは気がつくはずだ。
ホールデン・コールフィールドは我々自身だったんだ、と。
ホールデンと社会との大きなズレは、我々自身のズレでもある。
そこに『ライ麦畑でつかまえて』と現代社会を生きる我々との共通点がある。
『ライ麦畑でつかまえて』は、決して古臭い昔話ではなかった。
社会の中で閉塞感を抱えて生きる少年の物語は、未来を生きる我々を予言する物語でもあったのだ。
まとめ│未来のない時代を生き抜くために
ホールデン・コールフィールドの怒りと絶望に共感したとき、『ライ麦畑でつかまえて』は我々の怒りと絶望に寄り添ってくれる物語となる。
誰かに理解されたいと願う承認欲求は決してエゴではない。
むしろ、誰かを理解し、誰かに理解されることで、我々はこの絶望の時代を乗り越えようとしているのだ。
「アリー、僕の身体を消さないでくれよ。アリー、僕の身体を消さないでくれよ。アリー、僕の身体を消さないでくれよ。お願いだ、アリー」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
「アリー、僕の身体を消さないでくれよ」と、ホールデンは何度も叫んだ。
彼は恐れていたのだ。この現代社会から抹殺されてしまうことを。
そして、こんな未来のない時代を、それでも我々は生き続けていかなくてはならなかった。
「赤いハンティング帽子」を被って、世の中を罵倒し続けた、あの孤独な少年(ホールデン・コールフィールド)のように。
