J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(村上春樹・訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)は、世界中で多くの人々に愛される一方、「何がおもしろいのか分からない」という読者も少なくない。

この記事では、『ライ麦畑でつかまえて』のメタファーを読み解きながら、何が書かれているのかについて解説していきたい。

Contents
  1. 3行でわかる『ライ麦畑でつかまえて』
  2. なぜ『ライ麦畑でつかまえて』は禁書になったのか?
  3. 『ライ麦畑でつかまえて』あらすじと登場人物
  4. 【徹底考察】なぜホールデンは「インチキ」に苛立つのか?
  5. 作中に散りばめられたメタファー完全解読
  6. 結末の意味|なぜラストは療養所で、回転木馬なのか?
  7. 戦争文学としての側面|サリンジャーのトラウマ
  8. 野崎孝訳と村上春樹訳、どちらで読むべきか?
  9. 【おまけ】ポップカルチャーに与えた影響
  10. まとめ│自分らしく生きていくために

3行でわかる『ライ麦畑でつかまえて』

日常(退学と脱出)
名門高校を退学になった16歳のホールデンは、偽善と嘘に満ちた「インチキな大人社会」に絶望し、寮を飛び出して真冬のニューヨークを彷徨う。

事件(喪失と迷走)
最愛の弟アリーの死という癒えない傷を抱え、大人たちの世界に適応できず傷つきながら、純粋な子どもたちが崖から落ちないよう見守る「つかまえ役(キャッチャー)」になりたいと願う。

結末(再生への祈り)
愛する妹フィービーが雨の中で回転木馬に乗る姿を見守りながら、彼女の成長と世界の残酷さを受け容れ、療養所のベッドから再び生きる希望を見出す。

なぜ『ライ麦畑でつかまえて』は禁書になったのか?

① 右翼や教会から反発と弾圧を受けた理由

出版当時、『ライ麦畑でつかまえて』は、全米の保守的な教育界や右翼勢力、教会関係者などから強い反発と弾圧を受けた。

なにしろ、いくつもの高校を退学となった家出少年が、ニューヨークの街を徘徊しながら酒を飲んで酔っ払い、夜の女を金で買ったり、キリスト教批判を喚いたりする物語だ。

なにより、彼は少年らしくない「汚い言葉」を多用した。

ある意味、この本は、「有害図書」に指定されて不思議でも何でもない、非道徳的な小説だったのだ。

しかし、斬新だった「汚い言葉」が若者言葉として定着した現在でも、この物語はアメリカの学校図書館から排除されたり、「有害図書」に指定されたりしているという。

② ジョン・レノン暗殺事件など『ライ麦畑でつかまえて』が引き起こした怖い事件

さらに、本作『ライ麦畑でつかまえて』は、いくつもの社会的事件に登場したことでも知られている。

最も有名なものが「ジョン・レノン暗殺事件」だろう。

1980年(昭和55年)12月、ニューヨークのダコタ・アパートメント前で、リムジンから降りたジョン・レノンをピストルで射殺した犯人(マーク・ディヴィッド・チャップマン)は、警官が現場に到着するまで、舗道の敷石に座って『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたという。

チャップマンは、裁判で判決を下されるときにも、申し立ての代わりに『ライ麦畑でつかまえて』の中の一節を朗読した。

また、1981年(昭和56年)3月には、ジョン・ヒンクリー・ジュニアという25歳の情緒不安定な青年が、ワシントンにあるヒルトン・ホテルの前で、当時アメリカ大統領だったロナルド・レーガンを拳銃で狙撃するという事件もあった。

頭部に銃弾を受けた大統領報道官ジェームズ・ブレイディーが半身不随となったが、彼の狙撃理由は、子役女優ジョディー・フォスターの関心を引くためだったという。

犯人(ヒンクリー)の所持品の中には、ボロボロになるまで読みこまれた『ライ麦畑でつかまえて』があったと伝えられている。

『ライ麦畑でつかまえて』は、「反社会的な存在」として世界中の人々に記憶される「危険な小説」だったのだ。

『ライ麦畑でつかまえて』あらすじと登場人物

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、クリスマスで賑わうニューヨークの街をさまよう、孤独な少年の物語である。

①『ライ麦畑でつかまえて』簡単なあらすじ(ネタバレ要約)

物語は、主人公(ホールデン・コールフィールド)の回想によって綴られている。

成績不良によりペンシー高校を退学となったホールデン(当時16歳)は、スペンサー先生の家を訪ねた後、寮でアクリーやストラドレーターと過ごす、

同室のストラドレーターが幼なじみの女の子(ジェーン・ギャラハー)とデートすることを知ったホールデンは、ストラドレーターと殴り合いの喧嘩をした後、寮を飛び出してしまう。

ニューヨークのエドモント・ホテルに宿泊した彼は、ホテルのバーで見知らぬ女性たちに酒をおごり、アーニーの店で兄貴(D・B)の恋人(リリアン・シモンズ)に出会う。

満たされない性欲を抱えた彼は、ホテルのエレベーター係の紹介で娼婦(サニー)を呼ぶが、なぜかセックスする気にはなれず、支払いにもめた彼は、エレベーター係からひどく殴られてしまった。

翌日、ガールフレンド(サリー・ヘイズ)とデートした彼は、スケート・リンクでサリーと大喧嘩をしてしまう。

その夜、ウィカー・バーへカール・ルースを呼び出した後、ホールデンは両親が不在の自宅で、最愛の妹(フィービー)と再会するが、アントリーニ先生の家を訪問したときに、ちょっとしたトラブルに巻きこまれてしまった。

寮を出てから3日目、ホールデンはフィービーを呼び出す。

ホールデンから家出の計画を聴かされたフィービーは、ホールデンと一緒に家出する準備をしてきていた。

戸惑うホールデンは、フィービーと一緒に動物園へ行く。

突然降り出した雨の中、回転木馬に乗るフィービーは最高にきれいだった。

②『ライ麦畑でつかまえて』主な登場人物一覧

本作『ライ麦畑でつかまえて』では、様々な登場人物が次々と現れてくる。

登場人物 主な役割など
ホールデン・コールフィールド 主人公の少年。世の中に苛立っている。
D・B ホールデンの兄で作家。名前は明かされていない。
フィービー・コールフィールド ホールデンの妹。
アリー・コールフィールド ホールデンの弟。白血病で死んでいる。
サリー・ヘイズ ホールデンのガールフレンド。
ジェーン・ギャラハー ホールデンの幼なじみの女の子。
ストラドレーター 寮で同室だった少年。
アクリー 寮で隣室だった少年。
スペンサー先生 ペンシー高校の教師。
アントリーニ先生 以前に通っていた学校の教師。

【徹底考察】なぜホールデンは「インチキ」に苛立つのか?

主人公のホールデンは、常にイライラして、他人を非難してばかりいる。

学校の先生やルームメイト、街ですれ違う人々、果ては映画や演劇に至るまで、彼はとにかく社会のあらゆるものを「インチキ(phonies)」という言葉で切り捨てた。

なぜ彼は、これほどまでに世界を憎み、イライラしていたのだろうか?

① 「インチキ」の正体|「生」と「死」の境界線

ホールデン・コールフィールドの不満は、彼自身と現代社会とのズレにあった。

なぜなら、彼にとって、社会はすべからく「インチキ」なものだったからだ。

彼は、彼自身の存在を肯定するために、世界中のあらゆるものを否定し続けなくてはならない。

一方で、わがままな不良少年は、傷つきやすい少年でもあった。

彼を傷つけているのは、彼が憎悪している「インチキな現代社会」そのものである。

まるで情緒不安定な彼は、怒りと絶望の間で揺れる若者として読むことができる。

作中、ホールデン・コールフィールドは、何度も「自殺」をほのめかしている。

彼は、常に「生」と「死」の境界線を生きていた。

まるで「半分は凍って半分は凍っていない」セントラル・パークの真冬の池のように。

② 大切な弟アリーを失った喪失体験というトラウマ

ホールデンの中にある絶望は、大好きだった弟(アリー)を病気で亡くした絶望である。

ホールデンにとってアリーは、決して失われるべきではない「イノセンスの象徴」だった。

「インチキな世の中」に対するホールデンの憎悪は、アリーの死から始まっている。

墓地にいるときに雨が降りだしたことがあるんだ。そのときはひどかったな。アリーの墓石にも雨が降る。あいつの腹の上の芝生にも雨が降る。そこらじゅうが雨なんだ。墓参に来ていた弔問者たちは、みんな、いちもくさんに駆けだして、めいめいの車に逃げこんだんだ。それを見て僕は気が狂いそうになったね。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

純粋だった弟が死んでしまい、生き残った大人たちは嘘ばかりついているという現実。

だからこそ、彼は「あいつらは全員インチキだ」と叫ばずにはいられなかった。

(アリーの死んだ)1946年7月18日以降、彼は自分自身をも損ない続けていく。

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、大切な弟を失った兄の「傷だらけの物語」なのである。

作中に散りばめられたメタファー完全解読

本作『ライ麦畑でつかまえて』には、多くのメタファーが用いられている。

無数のメタファーによって表現された小説そのものが、実は壮大なメタファーだった、とさえ言えるくらいに。

① 赤いハンティング帽|ホールデン自身の「心」

「赤いハンティング帽」は、ホールデン自身の「心」を象徴している。

「君は、自分の本当の寸法を知り、それに合わせて自分の頭にかぶるものを選ぶことができる」と言ったのはアントリーニ先生だった。

まさしくホールデンは、彼自身の「心のサイズ」にマッチするような、「赤いハンティング帽」を手に入れていたのである。

② アリーの野球グローブ|子どもたちをつかまえる道具

たくさんの詩が書きこまれた野球ミットは、失われた「アリー」そのものだった。

アリーの野球ミットを見ることのできた女の子(ジェーン・ギャラハー)は、ホールデンにとって、もちろん特別の存在だ。

ホールデンにとって「野球ミット」が大切だったのは、それが「子どもたちをつかまえる」ために必要な道具だったからだ。

失われたアリーを守るために、彼は「ライ麦畑のキャッチャー」であり続けようとしていた。

そして、アリーを守ることは、イコール、彼自身を守り続けるということでもあったのだ。

③ セントラルパークの鴨(アヒル)│居場所を失った自分自身の投影

作中、ホールデンは「セントラル・パーク・サウス」の池にいる家鴨(あひる)のことを、盛んに心配している。

「つかぬことをきくけど、もしかしたら君、あいつらが、あの家鴨がさ、池がみんな凍っちまったとき、どこへ行くか知らないかな?」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

アリーが死んで以降、凍りついた世界で、ホールデンは生き続けていた。

「半分は凍って半分は凍っていない湖」はホールデンが生きている世界であり、ホールデンが探している「家鴨」は、彼自身のメタファーである。

行き場のない自分の居場所を探すように、彼は「家鴨」の行方を探していたのだ(つまり「自分探しの物語」だった)。

④ 博物館のガラスケース|「生きていること」へのこだわり

ホールデンにとって「自然科学博物館」は、「変わらないもの」の象徴だった。

「変わらないこと」に対する執着の背景にあるのは、最愛の弟(アリー)の死だ。

ホールデンにとっては「生きていること」がすべてだった。

「生きていること」に対するこだわりが、この「博物館」にはある。

⑤ 割れたレコード│守り続けることが難しいイノセンス

ホールデンが妹(フィービー)のために買ったレコードは、エステル・フィッチャーの『リトル・シャーリー・ビーンズ』だった。

それは、決して失われてはならない「イノセンス」の象徴だったが、大切なレコードは、セントラル・パークの池へ向かう途中で割れてしまう。

アリーが死んで以降、「イノセンス」は守り続けることが難しいものとなっていた。

その割れたレコードを、妹(フィービー)は優しく受け入れる。

彼らは互いのイノセンスを分かち合い、この生きづらい世の中を生き抜こうとしていたのかもしれない。

⑥ 散りばめられたメタファー|ジェーン・ギャラハーやジェームズ・キャスル、グレート・ギャツビー

ホールデンにとって、生涯ただ一人の女性(デイジー)だけを愛して死んだギャツビーは、まさしく「イノセンス」の象徴だった。(フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の主人公)

名前以外には登場しない「幼なじみの女の子(ジェーン・ギャラハー)」も、ホールデンにとって「イノセントなもの」の象徴として描かれている。

おそらくホールデンは、ジェーン・ギャラハーと繋がることはできない。

なぜなら彼は、既に大人の仲間入りをしつつあったからだ。

ホールデンのタートルネック・セーターを着て飛び降り自殺した「ジェームズ・キャスル」は、ホールデンの化身として読むことができる。

朝食の席で一緒になった「二人の尼さん」とともに思いだされるジェームズ・キャスルは、失われていくホールデンその人だったのだから。

⑦ ハリウッドの兄「D・B」│作者の分身

ハリウッドで活躍する作家(D.B)は、作者(J.D.サリンジャー)その人だ。

ある意味で、彼は大人になったホールデンの未来予想図とも言える。

なぜなら、「コールフィールド家の三人の男の子たち」を並べていくことで、ひとつの傾向を読み取ることができるからだ。

「死んだ弟(アリー)」は、永遠のイノセントの象徴であり、「主人公(ホールデン)」は大人へと変わりつつある少年、そして、「兄(D.B)」は大人になったかつての少年。

おそらく、彼らは一人の人間の分身だったのだ

イノセンスを失いながら大人になっていく一人の人間。

そして「一人の人間」とは、もちろん、作者であるJ.D.サリンジャー自身のことだっただろう。

結末の意味|なぜラストは療養所で、回転木馬なのか?

① なぜ「ライ麦畑でつかまえて」なのか?

本作『ライ麦畑でつかまえて』の原題(英語)は「The Catcher in the Rye」で、直訳すると「ライ麦畑で捕まえる人」という意味になる。

「Catcher」は、野球の「キャッチャー(捕手)」のことだ。

「ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

やがて成長していく子どもたちは、いずれ「インチキな大人たち」になってしまう。

そのことを知っているからこそ、彼は「ライ麦畑」というイノセントなフィールドから、子どもたちが「落ちてしまわないよう」守り続けようとしていたのだ。

そして、「ライ麦畑の崖っぷち」から落ちていく子どもたちは、ホールデン自身のことでもある。

もしかすると、「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルは、ホールデン・コールフィールドが叫んだ、SOSのメッセージだったのかもしれない。

②「金色の輪」が意味しているもの

しかし、妹(フィービー)と一緒に訪れた動物園で、妹を回転木馬に乗せながら、ホールデンは「落ちるときには落ちるんだけど、なんか言っちゃいけないんだよ」と、「つかまえ役」であることを放棄している。

純粋であることを守ろうとしながら、彼は、妹(フィービー)の成長を誰よりも願っていたに違いない。

「ライ麦畑の崖っぷち」を越えたところにあるフィービーの成長を、彼は受け容れようとしていたのだ。

③「回転木馬」が意味しているもの

物語の最後で、ホールデン・コールフィールドは幸せな気持ちになっている。

それは、回転木馬に乗ってぐるぐると回り続ける妹(フィービー)を見ている場面だった。

回転木馬に乗って回り続けているかぎり、「ライ麦畑の崖っぷち」から落ちることはない。

彼は、土砂降りの雨の中、回転木馬で回る妹に「かすかな希望」を見出していたのだ。

④ 結末の舞台はなぜ「療養所」なのか?

そういう意味で、この物語は主人公ホールデン・コールフィールドの成長物語とも言える。

とはいえ、ホールデン・コールフィールドの受けた心の傷は、決して容易には回復できるものではなかった。

彼がどんな病気にかかって、どんな療養所に入っているかということについて、説明は一切ない(精神病院だとする説もある)。

分かっていることは、彼は自分の中で、自分自身のトラウマを昇華しつつある、ということだけだ。

僕にわかってることといえば、話に出てきた連中がいまここにいないのが寂しいということだけさ。たとえば、ストラドレーターやアクリーでさえ、そうなんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

インチキな連中を憎悪していながら、社会から隔絶された世界で彼は、インチキな連中を懐かしく思っていた。

戦争文学としての側面|サリンジャーのトラウマ

さて、それでは、なぜホールデン・コールフィールドは「インチキな連中」を懐かしく思い、死んだ弟アリーの思い出に固執していたのだろうか?

それは「サリンジャーの戦争体験」と強い関わりがあると言われている。

① 戦争PTSDだったサリンジャー

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、1951年(昭和26年)に発表された作品である。

この作品をサリンジャーは、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で書き続けていた。

1946年(昭和21年)5月、4年ぶりに帰国したアメリカで、サリンジャーは厳しい現実と直面しなければならない。

久しぶりに見るアメリカ社会は「帰還兵たちの苦しみ」を理解することができない、インチキな社会だったからだ。

戦後も彼は、自分の中の「戦争」と戦い続ける。

「PTSD」で自分自身の内面と戦い、「帰還兵に対する無理解」という点で社会と戦いながら。

② インチキな戦後社会

サリンジャー(ホールデン・コールフィールド)が憎んでいるのは、戦争の実態を知らない「インチキな戦後社会」である。

「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

ホールデンが許せないのは、気軽に「幸運を祈るよ」などという言葉を使う、無神経でインチキなアメリカ社会だった。

つまり、この物語は、戦争から戻ってきた若者が戦後社会に対して抱く強い違和感を、「青春物語」という巨大なメタファーによって巧妙にカモフラージュした戦争文学だった、ということだ。

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、置き換えられた戦争文学である。

そして、サリンジャーにとって、この物語は、戦場で死んだ仲間たちに捧げる追悼文学でもあった。

今、ここに(この世界に)いないからこそ、彼らは懐かしく、尊い存在となっているのである。

野崎孝訳と村上春樹訳、どちらで読むべきか?

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、現在、2種類の翻訳で読むことができる。

① 野崎孝・訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水uブックス)

有名な『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルは、野崎孝の翻訳によるもの。

独特の若者言葉が多用されていて、「社会に反抗する若者」という視点が強い。

「古くても定番の翻訳で読みたい」という人におすすめ。

② 村上春樹・訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(新潮文庫)

人気作家・村上春樹が訳した『ライ麦畑でつかまえて』が、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』である。

野崎孝・訳にあった粘り気はなく、まるで村上春樹の小説を読んでいるかのよう。

作品のテーマを「もうひとりの自分(オルターエゴ)」ととらえているあたり、いかにも村上春樹っぽい。

なお、翻訳の違いについては、次の記事でさらに詳しく解説しています。

『ライ麦畑でつかまえて』翻訳比較|野崎孝vs村上春樹、あなたが会うべきホールデンはどっち?

【おまけ】ポップカルチャーに与えた影響

本作『ライ麦畑でつかまえて』は、日本のアニメや漫画、ポップカルチャーに多大な影響を与え続けている。

①『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の「笑い男」

アニメ『攻殻機動隊 S.A.C.』に登場する特A級ハッカー「笑い男(アオイ)」は、サリンジャーの熱狂的な愛読者として描かれている。

彼が残すシンボルマークに刻まれた名言「僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた(I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes)」は、本作の終盤でホールデンが語る強烈なセリフそのものだ。

そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)

なお、「笑い男」という名前は、サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』に収録されている同名の短編小説から取られている。

サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」心の闇が深い若者たちの喪失感を描いた都会派青春小説
【徹底考察】サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』戦争と現代社会への挑戦は論理を超えてサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』読了。 本作『ナイン・ストーリーズ』は、1953年(昭和28年)4月にリトル・ブラウン社から刊...

② 吉田秋生『BANANA FISH』とアッシュ・リンクス

不朽の名作漫画『BANANA FISH』のタイトルも、やはりサリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」に由来している。

主人公のアッシュ・リンクスが抱える、純粋すぎるがゆえの孤独や、インチキな大人社会に対する激しい拒絶は、ホールデン・コールフィールドそのものと言っても過言ではない。

③『天気の子』『PSYCHO-PASS』など広がるオマージュ

新海誠監督の映画『天気の子』では、家出少年である主人公・帆高の愛読書として村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が画面に登場している。

また、アニメ『PSYCHO-PASS』に登場する槙島聖護など、社会のシステムに「違和感」を突きつける反逆者たちの背後には、ホールデンの影がちらついていることにも注意すべきだろう。

まとめ│自分らしく生きていくために

正解のない『ライ麦畑でつかまえて』は、何度読み返しても(何十回読み返しても)おもしろい小説である。

一つ一つの文章、一つ一つの会話、一つ一つの言葉に意味があることを知ってしまえば、この小説は、完全なる「底なし沼」となる。

いつの時代も、ホールデン・コールフィールドは我々であり、我々はホールデン・コールフィールドだった。

不満や不安のないパーフェクトな社会が存在しない以上、『ライ麦畑でつかまえて』は永遠の古典として読み継がれていくことだろう。

生きづらい世の中を自分らしく生きていくために。

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文学ブログ『時空標本』では、サリンジャーの小説の紹介に力を入れています。

詳細は、次の記事をご覧ください。

サリンジャーのおすすめ小説ランキング6選|長年のファンが解説する読む順番と翻訳の違い

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モグラのジェン
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