庄野潤三は、派手な人脈を築くタイプの作家ではなかった。
文学賞の選考委員を務めることもなかったし、文壇の役員に就任することもない。
その意味で、庄野潤三は決して「文壇の中心」にいる作家ではなかった。
一方で、仲の良い友人とは濃密な人間関係を続けていることも、庄野潤三の特徴と言える。
友だちを見れば庄野潤三が分かる。
本記事では、特に庄野潤三と深い交流のあった仲間たちについて解説していきたい。
なお、もっと広い庄野潤三をめぐる人物相関図(友人・文壇仲間・ご近所さんまで)を知りたい方は、別記事「庄野潤三の人名録~親族や友人、文壇仲間、ご近所さん、読者まで」をご覧ください。
井伏鱒二│長女・夏子の仲人も務めた人生の師
庄野潤三の文学的な師に井伏鱒二がいた。
井伏鱒二とは小沼丹を通じた出会いだったが、大阪から東京へ移転して石神井公園に住居を構えてからは、自転車で荻窪清水町にある井伏邸まで通った。
幼い頃から父親に連れられて井伏邸に出入りしていた長女・夏子は、井伏夫妻の仲介により結婚した。
『文学交友録』をはじめ、多くの作品の中に、井伏鱒二は登場している。
文学仲間との交流を綴った『文学交友録』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶【偏愛解説】庄野潤三『文学交友録』静かなブーム<庄野文学>のルーツを著者本人が語った貴重な記録
佐藤春夫│名作「静物」の完成を導いた日本文壇の大家
佐藤春夫もまた、庄野潤三にとって師の一人だった。
佐藤春夫・井伏鱒二ともに、文壇に数多くの人脈を築いたことで知られる大作家だ。
「静物」を書きあぐんで苦しむ庄野潤三に、具体的なアドバイスを与えたのが佐藤春夫だった。
自伝的長編『前途』には、学生時代の島尾敏雄と二人で、佐藤春夫の著作を競い合って読んだ様子が描かれている。
本作『前途』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 庄野潤三『前途』大学と戦場との境界線で過ごしたモラトリアムな青春
小沼丹│我が道を歩き続けた人生の盟友
生涯を通じて深い交流を続けていたのは、早稲田大学の英文学者でもあった作家・小沼丹である。
数々の作品に登場する小沼丹だが、名作短編「秋風と二人の男」に登場する「二人の男」は、庄野潤三と小沼丹がモデルとなっている。
また、長篇『つむぎ唄』に登場する3人の父親は、庄野潤三・小沼丹・吉岡達夫をモデルにしているなど、文学上の付き合いは誰よりも深かった。
小沼丹については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 小沼丹 全著作考察ガイド│喪失感の中で生きるための「救い」の文学
安岡章太郎|結婚式の仲人を庄野夫妻に依頼
第三の新人・安岡章太郎とは深い交流があった。
なにしろ、結婚式を挙げるとき、安岡章太郎は庄野潤三夫妻に仲人を依頼している。
安岡章太郎の長女で、東京大学のロシア文学者・安岡治子とは、彼女が生まれたばかりの頃からの付き合いだった。
安岡章太郎は、若き日の庄野潤三に関する文章を、いくつも書いている。
▶ 安岡章太郎『小説家の小説論』~庄野潤三の顔は熊の子のようにまるい
▶ 安岡章太郎『良友・悪友』ホステスに文芸誌を読んだ「三番センター庄野潤三君」
福原麟太郞│日本史上最高の英国エッセイの第一人者
庄野さんが生涯リスペクトしていた英文学者・福原麟太郞は、数多くの著作を遺した偉大なエッセイストでもある。
『永遠に生きる言葉』や『命なりけり』など、福原麟太郞の著作は、数多く庄野文学にも登場している。
イギリス旅行記『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、福原麟太郎へのリスペクトをまとめた仕事だった。
『山の上に憩いあり』は、福原麟太郎と河上徹太郎の思い出を一冊にまとめた作品。
本作『山の上に憩いあり』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶【偏愛解説】庄野潤三「山の上に憩いあり」河上徹太郎夫妻との交流と福原麟太郎へのリスペクト
河上徹太郎│家族ぐるみの都築ヶ丘年中行事
文芸評論家・河上徹太郎夫妻とは、家族ぐるみの交流があった。
河上徹太郎の「柿生」と、庄野潤三の「生田」とで、ご近所付き合いという意味も含まれていたのかもしれない。
庄野家の子どもたちは、河上徹太郎を「てっちゃん」と呼ぶほど慕っていた。
河上徹太郎の「夕べの雲の一家」は、庄野家との交流を描いた作品。
本作「夕べの雲の一家」を収録した随筆集『史伝と文芸批評』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 河上徹太郎『史伝と文芸批評』庄野潤三一家との交流や福原麟太郎の思い出
阪田寛夫│庄野潤三の最も良き理解者だった愛弟子
庄野潤三をこよなくリスペクトする一番弟子。
庄野潤三とは、作家デビュー前の民間企業時代から職場の同僚だった。
『庄野潤三全集』の月報に連載した庄野文学論は『庄野潤三ノート』として出版されている。
本作『庄野潤三ノート』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 阪田寛夫『庄野潤三ノート』誰よりも庄野文学を愛した作家の庄野潤三論
「帝塚山の文化」は、大阪時代の庄野一族の思い出を綴ったもの。
▶ 阪田寛夫「帝塚山の文化」庄野貞一・英二・潤三の思い出を語る
次女・内藤啓子による『枕詞はサッちゃん』にも、庄野潤三と阪田寛夫との交友が紹介されています。
▶【文芸考察】内藤啓子『枕詞はサッちゃん』夫婦喧嘩と精神科入院|阪田寛夫の壮絶人生
三浦哲郎|小沼丹の直弟子が見た庄野潤三
小沼丹の直弟子・三浦哲郎も、庄野潤三との交流があった。
井伏鱒二・小沼丹・庄野潤三・三浦哲郎とつながる仲間たちだ。
三浦哲郎の随筆には、庄野潤三に触れたものがいくつかある。
▶ 三浦哲郎『おふくろの妙薬』酔っぱらうと小刻みに手が震えた庄野潤三
▶ 三浦哲郎『せんべの耳』庄野潤三は散歩が好きで将棋は苦手だった
まとめ│庄野文学を理解するために
庄野文学を理解する上で、庄野潤三の交友関係は重要な意味を持っているような気がする。
なぜ庄野文学に我々は惹かれるのか?
その理由が、庄野潤三の仲間たちとの交流に見えているのかもしれない。
僕は庄野文学を理解するために、仲間たちが書いた「庄野潤三についての文章」を読み漁っている。
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文学ブログ『時空標本』では、庄野潤三の紹介に力を入れています。
詳細は、次の記事をご覧ください。
▶ 庄野潤三とは|芥川賞を”超えた”作家の魅力と代表作10選を徹底解説
