旧・文芸スノッブ

安岡章太郎「良友・悪友」ホステスに文芸誌を読んだ「三番センター庄野潤三君」

安岡章太郎「良友・悪友」あらすじと感想と考察

安岡章太郎「良友・悪友」の中に「三番センター庄野潤三君」という随筆が入っている。

まだ小説を書き出して間もないころ、安岡章太郎と吉行淳之介と庄野潤三の三人が、仲間たちを野球選手に例えるとどのようになるかという話をした。

吉行さんが「オレはショートで九番バッターだ」と言い、安岡さんが「オレは二番バッターの二塁手くらいかな」と言ったところ、庄野さんは「オレは三番バッターだよ。『三番、センター庄野クン』、どうだピッタリくるだろう」と一人で勝手に決めてしまった。

そして、吉行さんに「キミがラストバッターというのは良くないな。ラストは三浦朱門で、キミはトップを打たにゃイカん。一番ショート吉行、二番セカンド安岡、三番センター庄野…これ、いいじゃないか」と言ったという。

こうしてできあがった「第三の新人軍」のラインナップは次のようなものだった。

(一)遊撃 吉行淳之介
(二)二塁 安岡章太郎
(三)中堅 庄野潤三
(四)三塁 島尾敏雄
(五)保守 小島信夫
(六)一塁 五味康祐
(七)右翼 近藤啓太郎
(八)投手 奥野健男
(九)左翼 三浦朱門

その後、雑誌社へ送った原稿が採用にならず、送り返されたりすると、庄野さんは「三番センター庄野は、またもや三振。小首をかしげながらダッグ・アウトに引き上げました」などとしたためたハガキを大阪から送ってよこしたりして、悲運に会っても余裕のある態度を示していた。

当時、庄野さんは、大阪朝日放送で「掌小説」という番組を担当していて、安岡さんたちの作品を頻繁に買い取っていた。

庄野さんは、原稿の内容が十分ではないような場合でも、「ま、この次はもっとガンバって、やってくれよ」などと低い声で言いながら、かなりの原稿料を渡してくれたというから、仲間冥利に尽きるというものだったのかもしれない。

半年間の連載エッセーを庄野さんから依頼された吉行さんなどは「おれは、こんどラジオ王になったぞ」と叫んだそうで、その原稿料はしっかりと銀座のキャバレーで仲間たちにも還元された。

ちなみに、連載エッセーのテーマは「恋愛講座」だったが、当時、吉行淳之介が「恋愛講座」を書けるなどとは、仲間たちも思っていなかったらしい(いずれ吉行さんはその道で成功することになるのだが)。

その頃、大阪朝日放送で吉行淳之介の名前を知っているのは庄野さんくらいしかいなかったはずだから、吉行を抜擢した庄野さんは、卓抜な勘と見通しのきく判断力の持ち主だったのだろうと、安岡さんは振り返っている。

銀座のキャバレーで文芸誌の解説をしていた庄野さん

一番面白かったエピソードは、銀座のキャバレーで飲んでいるときの話。

吉行さんが得意の「モモ、ヒザ三年、シリ八年」を相手かまわず実行し、安岡さんまでホステスにしゃぶりついたりと大騒ぎをしていたとき、突然、吉行さんが小さな声で「おい、見ろよ、庄野のやつ、やっちょる、やっちょる」と囁いた。

振り返ると、自分たちとは離れた席に座っている庄野さんが、和服姿のおとなしそうなホステスと並んで座り、その月に出たばかりの文芸雑誌のページを開いて、熱心に解説をしていたのだという。

酒池肉林のキャバレーの一隅で文芸誌の解説をしている様子が、いかにも庄野さんのイメージとぴったりでおかしい。

安岡さんも、こんな素朴な、濃密な、牧歌的雰囲気に耐えることのできない吉行淳之介には、絶対に真似のできないことだと、庄野さんらしい様子に感心していたらしい。

ちなみに、当時の庄野さんのあだ名は「ガンコフ」。

ダメなものはダメ、好きなものは好きという、明確な姿勢を示した庄野さんの頑固な性格を表現したものだが、この「ガンコフ」という名前、庄野さん自身も気に入っていたそうだ。

書名:良友・悪友
著者:安岡章太郎
発行:1973/9/30
出版社:新潮文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。