歌志内市の郷土館「ゆめつむぎ」―炭鉱の町に眠る、文学者たちの記憶
歌志内市の旧駅前に郷土館「ゆめつむぎ」がある。
人口2,400人、日本で最も小さな「市」として、歌志内市は有名になった。
もちろん、歌志内が最初から小さな「市」だったわけではない。
かつて、賑やかな「炭鉱(ヤマ)の町」が、そこにあった。
「ゆめつむぎ」は、そんな歌志内の歴史を語る、貴重な郷土資料館である。
「炭鉱(ヤマ)」の記憶
北海道空知地方にある歌志内(ウタシナイ)市は、かつて産炭地として栄えた町だ。
北海道開拓を夢見た作家・国木田独歩は、1895年(明治28年)、移住先を求めて歌志内市を訪れている。
独歩は山を越えて空知川の畔を探索するが、その頃、既に歌志内が産炭地として栄えていたことは、国木田独歩の代表作『空知川の岸辺』にも描かれているとおりだ。
汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日はまさに暮れんとする時で、余は宿るべき家のあてもなく停車場を出ると、さすがに幾千の鉱夫を養い、幾百の人家の狭き渓に簇集している場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けていた。(国木田独歩「空知川の岸辺」)
歌志内は炭鉱とともに栄えた町だった。
終戦後の1948年(昭和23年)には、町の人口が46,000人を超えるほど、多くの炭鉱マンたちが、この町に集まってきたという。
まるで『平家物語』のごとく、盛者必衰の歴史を歩んできた町・歌志内。
「炭鉱(ヤマ)」の町に生きる人々が、どんな生活を送っていたのか。
今「ゆめつむぎ」には、かつての炭鉱の記憶が、静かに眠り続けている。
文学者たちの軌跡
文学においても、歌志内は歴史のある町だった。
芥川賞作家・高橋揆一郎は、歌志内小学校の卒業だったし、ベストセラー作家の三浦綾子は教員時代、神威尋常高等小学校で勤務した経歴がある。
国木田独歩が歌志内に滞在したことは先述のとおりで、根強い人気を持つ私小説作家・葛西善三も、一時期このあたりで森林作業に従事していたらしい。
歴史のある町だからこそ、「ゆめつむぎ」には、文学者たちの軌跡が残されているのだ。
ゆめつむぎ」を訪れた後は、きっと、高橋務一郎や三浦綾子の小説を読みたくなることだろう。
なお、歌志内と文学との関わりについては、次の記事で詳しく解説しています。
歌志内線の記憶
鉄道ファンからは「廃線跡の町」としても、歌志内市は知られている。
かつて歌志内から砂川までを繋いだわずか15kmのローカル線は、国鉄からJR北海道へ切り替わった直後の1988年(昭和63年)4月に廃線となった。
思えば、北海道の衰退は、あの頃から既に始まっていたのかもしれない。
バブル当時のあの頃は、そんなこと考えさえしなかったけれど。
町の人々の暮らしと密接につながっていた鉄道の記憶を抜きにして、歌志内の歴史を語ることはできないだろう。
歌志内線は、歌志内の歴史を物語る証人であり、多くの鉄道遺産が今も「ゆめつむぎ」に保存されている。
まとめ|廃線跡の郷土館
時間の流れが止まっているー─。
そんな表現が「ゆめつむぎ」には似合うかもしれない。
お盆の季節だというのに、他に来館者もなく、館内は歌志内の町と同じように静かだ。
派手な観光資源があるわけでもない歌志内を、わざわざ訪れる観光客は少ない。
しかし、その静けさにこそ、この町を訪れる価値があるのではないだろうか。
誰もいない郷土館で歌志内の歴史と向き合いながら、僕はゆっくりと流れる時間の中にいた。
「昔さ、この町にも賑やかだった時代があったんだぜ──」
廃線跡の郷土館は、そんなことを訴えているような気がした。






