NHK「SONGS」で、さだまさしを観た。
別に、録画予約していたわけじゃない。
NHKは常に自動録画しているので、必然的に録画されていただけだ。
あんまり退屈で、ほんの暇潰しのつもりでSONGSを観てみたら、これがヤバいくらい良かった。
観なかったら後悔してたと思う。
なにしろ「親父の一番長い日」をフルコーラスで歌ったんだから。
まさか、地上波で「親父の一番長い日」のフルコーラス聴ける日が来るなんて、想像もしてなかった。
もう、最初の「♪おばあちゃんは夕餉の片付けを終えた時、弟は2階のゆりかごの中で、僕と親父は街頭テレビのカラテ・チョップが白熱した頃に、妹の誕生を知った~」みたいなところで泣きそうになったけど、隣りに嫁がいるので、もちろん泣けない。
泣きたいのに泣けないのも辛いけれど、必死で涙こらえて、最後まで観て、改めて感動。
素晴らしいぜ、さだまさし!
、、、って、自分は、いつから、さだまさしの音楽を聴くようになったのだろうか。
少なくとも、大学生のときには、全然好きじゃなかった。
なにしろ、タモリの「ネクラ」っていう一言で、中島みゆきも小田和正(オフコース)も全否定されていた80年代だ。
村上春樹的に言えば、1989年にさだまさしを聴くというのは反動とまではいかなくとも、決して推奨される行為ではなかったのだ。
「さだまさしが好きだ」なんて死んでも言えない。
そんな同調圧力があった(少なくとも自分の大学ではそうだった)。
だから、サークル仲間の大西君が、さだまさしファンだって公言しているのを聞いて、さだファンの男子大学生って存在するんだ~と、ちょっとしたカルチャーショックを受けたことを覚えている。
今から考えると、バカみたいな時代だよね、ほんと。
ちなみに、あの頃、自分は、鮎川誠のサンハウスとか、大江慎也のルースターズとか聴いていきがってました(それはそれでアナクロも甚だしいぜ笑)
さだまさしを聴いて、しみじみと「いいなあ」と思うようになったのは、たぶん中年世代になってからだと思う。
てゆーか、サブスクで古い音楽聴きまくるようになってからだったかもしれない。
冷静に考えてみると、さだまさしの音楽とか、まともに聴いたことって、ほぼなかったんだよなあ。
せいぜい、テレビの音楽番組で「関白宣言」とか「道化師のソネット」とかのヒット曲くらいを聴くくらいで。
だからこそ、サブスクで「親父の一番長い日」を聴いたき、しみじみと胸に沁みてきたんだろう。
別に、自分に娘がいるから、そう感じたっていうことではなくて、自分が子どもの立場で聴いたときでも、この曲は素晴らしい曲だと思う。
本当に良い曲っていうのは、そういうものなんだろうな、きっと。
ありがとう、さだまさし。
NHKのSONGSで「親父の一番長い日」のフルコーラス歌ってくれて。
ところで、サークル仲間の大西君は、高校生の頃から「さだ小僧」だけあって、ギターはメチャクチャうまかった。
今更だけど、ずっと尊敬してました。