山本周五郎「寝ぼけ署長」読了。
本作「寝ぼけ署長」は、1946年(昭和21年12月)から「新青年」に連載されたミステリー小説である。
『新青年』は、1920年(大正9年)に創刊された雑誌。主に探偵小説を掲載し、江戸川乱歩や横溝正史などが活躍した。1950年(昭和25年)に終刊。
探偵小説の中に、ロシア文学のはかない味わいがある
物語の主人公は、<寝ぼけ署長>こと、<五道三省>である。
本作は、署長の秘書のような仕事をしていた警察官が、寝ぼけ署長の活躍を回想する形で綴られている。
一編一編が読切型の短編小説であるところと併せて、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズに習った作品であると言っていい。
ただし、内容的には、事件のトリックや署長の推理以上に、市井の人々の暮らしや人生、人間関係などにスポットが当てられている。
その最も顕著な例が「眼の中の砂」で、この短編作品は、五十軒長屋と呼ばれる貧民窟に暮らす人々が、悪徳金融業者から強制退去を受けた事件が背景となっている。
「法律の最も大きい欠点の一つは悪用を拒否する原則のないことだ、法律の知識の有る者は、知識の無い者を好むままに操縦する、法治国家だからどうのということをよく聞くが、人間がこういう言を口にするのは人情をふみにじる時にきまっている、悪用だ、然も法律は彼に味方せざるを得ない、……君はたぶんまた中学生のようなことを云うと思うだろう、結構だ、なんとでも思いたまえ、然し、中学生は自分の利益のために公憤を偽りはしないぜ」(山本周五郎「寝ぼけ署長」)
「規則というのは守るより用いることのほうが大切なんだ」と語る署長の、いわゆる「中学生的論理」が、この作品の中には溢れている。
こうした署長の生き方そのものが、『寝ぼけ署長』という探偵小説の味わいそのものであるといっていい。
登場人物には貧民窟で暮らす貧しい人々が多く登場するが、署長は、こうした社会的弱者の人々を守ることを、何よりも大切にした。
そこには、ミステリー小説の形を借りた文学的主張さえ感じられる。
「十目十指」という作品には、ロシアの小説家が登場している。
「あんな白々しい言葉で自分のした事を正当化そうというんざんしょうか、幾ら無教育で常識がないといってもあんまりざんすわ」「まるで道徳観なんか無いんざんすのね、スチブンソン・ゴオゴリの小説によくこんな農奴が書いてござあますけれど、殺人罪を犯してもそれを罪悪と感じないで」「ああそれ夜の宿という小説じゃあござんせんの、わたくしつい先日たくの蔵書からみつけて拝見いたしましたわ、やっぱり日本の作家のものより感激させられますわねえ」(山本周五郎「寝ぼけ署長」)
この作品も、貧しい夫婦が、近隣住民から野菜泥棒の疑いをかけられる事件だが、署長は、あくまでも貧しい夫婦を守る立場から、事件を解決に導いていく。
探偵小説の中に、ロシア文学のはかない味わいがある。
「夜の宿」は、ゴーリキイの「どん底」が、日本で初めて舞台公演されたときの題名(1910年)。
最後には必ず弱者が救われる
『寝ぼけ署長』の中で、特に高く評価したい作品は「一粒の真珠」だ。
とある名門家で、真珠の首飾りが紛失したとき、窃盗の疑いをかけられたのは、貧しい家から通っている女中の<お杉>だった。
「貧乏は哀しいものだ」署長がふと独り言のように云いだしました。「さっき<みき>というかみさんの云ったとおり、こんなときまず疑われるのは貧乏人だから、然し、貧乏はかれらひとりの罪じゃない、貧乏だということで、かれらが社会に負債(おいめ)を負う理由はないんだ、寧ろ社会のほうでかれらに負債を負うべきだ、……本当に貧しく、食うにも困るような生活をしている者は、決してこんな罪を犯しはしない、かれらにはそんな暇さえありはしないんだ、……犯罪は懶惰な環境から生れる、安逸から、狡猾から、無為徒食から、贅沢、虚栄から生れるんだ、決して貧乏から生れるもんじゃないんだ、決して……」(山本周五郎「寝ぼけ署長」)
首尾一貫して弱者に寄り添う署長の姿勢はブレることなく、そして、最後には必ず弱者が救われるというところに、この小説に爽快感のある理由だろう。
まるで中学生のように純朴な目で社会と対峙する署長の言葉には、けだし名言が多い。
「私は多くの人間を不幸にし、また多くの人間から不幸にされた、いつかは、片方が片方を帳消しにしなくてはならない」「それは、なんの意味ですか、署長」「ストリンドベリイの幽霊曲にあるせりふだ」と、署長はもの哀しげな調子で云いました。(山本周五郎「寝ぼけ署長」)
ストリンドベリイは、スウェーデンの劇作家。『幽霊曲』は、岩波文庫に小宮豊隆の訳がある(1927年)。
何度も繰り返し読みたくなる、そんな探偵小説だと思った。
書名:山本周五郎
著者:寝ぼけ署長
発行:1971/8/25
出版社:新潮文庫