1945年(昭和20年)、敗戦によって外地を失った日本(大日本帝国)には、樺太や満州から多くの日本人が引き揚げてきた。
同じように、戦勝国イギリス(大英帝国)も、戦後、多くの海外領土を失う(植民地の独立)とともに、英連邦諸国からの移民が大量に流入、1948年(昭和23年)には、移民の市民権を認める「国籍法」が制定されている。
一方で、戦争で大きな痛手を受けたイギリスでは、若者たちの文化が台頭する中、外国人労働者に対する国民の不満も大きなものとなっていた。
デヴィッド・ボウイが出演する映画『ビギナーズ』(1986)は、そんな戦後イギリスを舞台としたミュージカル風の青春映画である。
黒人排斥運動と人種間対立をポップに描く
1958年(昭和33年)8月末、ノッティングヒルの移民居住区(リトル・イタリー)で、黒人青年が白人男性を刺殺したことから、大規模な黒人排斥運動が勃発した。
イギリス史上初めての大規模な人種暴動「ノッティングヒル暴動事件」である。
主人公(コリン)は、移民居住区で暮らす10代の青年だった。
ノッティングヒルやソーホーで生きる人々の写真(ストリート・スナップ)を撮り続けているコリンは、そのスラム街から離れたいとは思っていない。
一方、デザイナーを目指す恋人(スゼット)は、より大きな世界を求めていて、現状に甘んじるコリンに満足できない。
互いに愛し合っていながらスゼットは、大きな成功を夢見て、大人の社会へと飛び込んでいったのだ。
それは、十代の若者たちが、文化の中心を担いつつある時代だった。
映画『ビギナーズ』では、大人と若者たちとの対立構造が、その背景として描かれている。
表面的に彼らは、同盟関係を築きながら上手に付き合っているように見えるが、大人は、若者たちを金儲けの材料としか考えていない。
何も知らない若者たちが、ただ大人たちの欺瞞に飲み込まれていくだけだ。
有名デザイナーの口車に乗ったスゼットは、年齢差を乗り越えて、その中年男性と結婚するが、そこに愛はない。
スゼットは、大人たちに取り込まれていった若者の象徴として描かれている。
スゼットの主張に影響されたコリンも、カメラマンとして大人社会に飛び込んでいくが、彼は、大人たちの欺瞞に満ちた世界を受け容れることができない。
このとき、欺瞞に満ちた大人社会の象徴として描かれているのが、コリンも暮らす移民居住区(リトル・イタリー)の再開発計画だった。
黒幕であるベンディスは、黒人排斥運動を利用して、移民居住区の立ち退きを有利に進めようと考えるが、彼の企ては、白人と黒人との大規模な人種間衝突へと発展していく。
映画『ビギナーズ』は、こうした社会的事件を題材とする物語だが、全体にミュージカル風に構成されているため、ドキュメンタリー映画のようにシリアスな印象は、まったくない。
むしろ、隙間なく流れ続ける音楽が、この映画をスピード感あるものに仕立て上げている。
MTVのジュリアン・テンプル監督だけあって、特にデヴィッド・ボウイの出演シーンは、多分にミュージック・ビデオ的。
デヴィッド・ボウイ「ブルージーン」のビデオ・クリップを担当したのも、ジュリアン・テンプル監督だった。
「原作はカルト的ともいえるジャズ小説なんだ。5年前、初めて読んだ時に感じたのは、セックス・ピストルズを最初に観た時と同じ衝撃だったね。小説の中にあった ” ’58年、熱く長い夏 ” っていうフレーズは、そのまま’76年のパンクだって気がしたんだ」(ジュリアン・テンプル監督『プレイボーイ』1986年5月号)
映画『ビギナーズ』を楽しむことは、つまり、音楽を楽しむことでもあると言えるだろう。
’58年は’85年の裏返しだった!?
映画『ビギナーズ』で、ヒロイン(スゼット)役を演じているのは、バンド「エイス・ワンダー」のボーカルとしてデビューしたばかりのパッツィ・ケンジット。
当時、彼女は18歳で、日本人好みのルックスと、表情豊かな演技が印象に残る。
エイス・ワンダーのデビュー曲「ステイ・ウィズ・ミー」(1986)が、オリコン洋楽チャートの1位を獲得するなど、日本でも大人気で、「ポスト・マドンナ」の呼び声も高かった。
1987年(昭和62年)には、ノエビア化粧品のCMソング「浮気なテディ・ボーイ(When The Phone Stops Ringing)」で、オリコン洋楽チャート1位を獲得。
「ステイ・ウィズ・ミー」と「浮気なテディ・ボーイ」を収録したアルバム『クロス・マイ・ハート(Fearless)』も、1988年(昭和63年)にチャート1位を獲得している。
ちなみに、映画『ビギナーズ』で、テディボーイは、黒人排斥運動で実行役の中心を担った、労働者階級の不良少年グループのこと。
「戦後、ガキは、ティーンエイジャーへと変わった」と映画にもあるが、ティーン・カルチャーが、社会運動の重要な下地となっていることに注目したい。
欺瞞に満ちた大人社会を象徴する黒幕役を務めるのが、当時39歳だったデヴィッド・ボウイで、音楽面でも「ビギナーズ(Absolute Beginners)」「ザッツ・モティヴェーション(That’s Motivation)」「ヴォラーレ(Volare─Nel Blu Dipinto Di Blu─」を披露している。
コリンが、スゼットの結婚を知る失意のジャズクラブで、女性シンガーを演じているのは、シャーデーのシャーデー・アデュ。
テレビ出演で一躍人気者となったコリンが泥酔する場面で流れているのが「Killer Blow」で、この後、コリンがアパートへ帰宅したところで、問題の大暴動が発生する。
『プレイボーイ』1986年(昭和61年)5月号は、ジャズに注目して、この映画を読み解いている。
デヴィッド・ボウイが主題歌をうたう。歌姫シャーディが出演。スタイル・カウンシル、ワーキング・ウィーク、ギル・エヴァンス…が音楽を担当し、主演女優パッツィ・ケンジットに話題沸騰。監督はMTVビデオの鬼才ジュリアン・テンプル。そんな映画『ビギナーズ』をきっかけに、…まるで魔法のように…、世界はジャズで踊りはじめた。(『プレイボーイ』1986年5月号)
50年代風スーツでジャズを踊った「ジャズ・デフェクターズ」は、1980年代に1950年代を再現したグループとしてフューチャーされている。
「’50年代末、ちょうどその頃テッズやモッズ、そんなカウンター・カルチャーが登場して、若者たちは、その後の’60年代に爆発するエネルギーを蓄積していたのさ」(ジュリアン・テンプル監督『プレイボーイ』1986年5月号)
映画のオープニングで、主人公コリンが、ソーホーの街で生きる人々を、軽やかにストリート・スナップしている場面は、チャーリー・ミンガスの「ブギー・ストップ・シャッフル」がリズムを刻む。
「ジャズってのは自由な音楽だよ。いろんな音楽の影響をどんどん受けてたし、決して限定できるものじゃないと思うね。特に『ビギナーズ』の時代、1958年頃には様々なジャズがあったさ。R&Bにロックンロール、そしてラテンが交った……。映画の中でスマイリィ・カルチャーがマイルス・ディヴィスの ”ソー・ホワット” でレゲエってるけど、あれなんか、そのいい例だね」(ジュリアン・テンプル監督『プレイボーイ』1986年5月号)
コリンの立場が不明確な印象を与えるのは、彼が、大人と少年との間で悩みつつ(モラトリアム)、白人と黒人との間でも悩まなければならない中途半端な存在として描かれているからだ。
そして、コリンの葛藤は、第二次大戦後、アメリカに主導権を奪われたイギリスという国家の葛藤としても読むことができる。
ナチス・ドイツによって引き裂かれた誇りや、独立していく植民地と大量の移民。
将来のイギリスを担う少年少女たちは、大きな不安を抱えながら、新しいティーン・カルチャーの主役として、戦後社会に登場していたのだ。
「’58年は’85年の裏返しだと思うんだよ。経済不振に続発するスト、そして失業。初めて人種暴動が起きたのもこの年だった。原作を読んでた時、’58=’85、これは現在そのものだと、しきりに感じたんだ」(ジュリアン・テンプル監督『プレイボーイ』1986年5月号)
映画『ビギナーズ』は、楽しいだけの青春映画ではない。
むしろ、現代社会の暗部をポップ・カルチャーによって描き出したというところにこそ、この映画の面白さがあるのではないだろうか。
オリジナル・サウンドトラックは、2020年(令和2年)に発売された完全版がオススメ。