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石坂洋次郎「あいつと私」戦後日本の青春時代をリアルタイムで描いた青春小説

石坂洋次郎「あいつと私」戦後日本の青春時代をリアルタイムで描いた青春小説

石坂洋次郎「あいつと私」読了。

本作「あいつと私」は、1961年(昭和36年)5月に新潮社から刊行された長篇小説である。

この年、著者は61歳だった。

初出は、1960年(昭和35年)9月11日~1961年(昭和36年)3月19日『週刊読売』(全28回連載)。

1961年(昭和36年)、石原裕次郎主演映画『あいつと私』原作小説。

六〇年安保闘争の時代

本作『あいつと私』は、60年安保の時代を背景とした青春小説である。

1960年(昭和35年)、日米安保条約改定を進める岸信介内閣と、安保条約改定に反対する市民との闘争が激化(いわゆる「安保闘争」)。

6月15日には、国会議事堂正門前で国会内へ突入するデモ隊と機動隊が激しく衝突し、デモに参加していた東大の女子大生(樺美智子)が死亡するなど、多数の負傷者を出した。

ふと、気がつくと、お濠端の電車通りを、デモ隊の行列が、くらがりから湧いて出るように、黙々と行進していた。あとからあとからと切れ間がない、無気味な感じだった。どこか遠くで、革命歌を合唱しているのが、夜空にかすかに反響していた。(石坂洋次郎「あいつと私」)

主人公(浅田けい子)は、政治運動に関心を持っているわけではない。

平和な中流家庭で育った彼女は、むしろ、大学生による政治活動からは遠いところで生活している。

ふと、私は、身体を起して、外をのぞいた。女子大生のデモ隊がやって来たからだった。(略)小さい、ほんとに小さい!(石坂洋次郎「あいつと私」)

国会議事堂から流れてくるデモ行進の眺めながら、主人公(けい子)は、女子学生たちの貧弱な肉体に愕然としてしまう(「かれらは、栄養のいきわたらない身体を背伸びさせて、たいへん無理なことをしているのではないだろうか」)。

安保反対を叫ぶデモ隊に対して、彼女は明らかに傍観者である。

ボーイフレンド(黒川三郎)は、盛り上がる左翼運動にむしろ懐疑的な姿勢を見せた(「一種の病気だよ。それこそハシカみたいなね」)。

大人の知識人の間には、むかし大学生のころ、左翼の運動をやったということに、感傷的な郷愁を抱いている人が多いようだ。そして、自分の転向問題にふれる時には、急に少女のようにしおらしいポーズを見せるが、あんなの、ナンセンスだと思うな」(石坂洋次郎「あいつと私」)

新しい時代を生きる彼らは、歴史の批評家でもある。

それでも、学生たちの安保反対闘争は、けい子を中心とするグループにも、大きな影響を与えずにはいられない。

議事堂に近づき次第、後方へ引きさがる負傷者たちを多く見かけるようになった。髪をふり乱し、顔を血塗れにして、死んだようにグッタリと男の学生に背負われていく女子学生もあった。(石坂洋次郎「あいつと私」)

あるいは、それは、6月15日の夜だったかもしれない。

石原裕次郎主演の映画『あいつと私』では、この場面が、1960年(昭和35年)6月15日の夜であったことが、明確に描かれている(樺美智子が殺された歴史的な夜だ)。

主人公(けい子)は、友人(バンビ)の結婚披露宴に出席した帰り道だった。

「もしかすると、議事堂からT会館の横の電車通りをデモるかもしれないから、そうしたら一分間だけ、バンビのことをジーッと思っててあげるわ。(略)今夜は、日本の歴史が変わるかも知れない大切な夜なんだから」(石坂洋次郎「あいつと私」)

活動家の友人(元村貞子)は、大規模なデモに参加するため、結婚披露宴には欠席していた。

「でも、いまは時代が変ったんだわ。天下りの民主主義に活を入れるのは、私たち若い者の責任だわよ。それには、みんな力を合せて行動しなくっちゃあ。黙って国のことを年寄りたちに委せていては、身に沁みついた昔の感覚で、昔の政治に逆もどりするに決っているわ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

女子大生の結婚披露宴と、新安保反対のデモ行進とが、大きく対比される中、主人公(けい子)は、女性の生き方ということについて考えている。

「しかし、何万という学生たちが、国民のいろんな階層の人たちと大集団をなして、今夜のデモンストレーションに加わっていることを思うと、こうして盛り場をあてもなく歩きまわっている自分たちを顧みて、ギリギリした、さみしい劣等感にとらえられるのであった」(石坂洋次郎「あいつと私」)

結婚したバンビも、デモ行進の学生たちも、若い情熱を燃やして行動しているはずだった。

恋愛と政治活動との対比が、この物語の大きな背景となっている。

その夜、デモに参加した元村貞子の友人(金森あや子)は、デモ隊の仲間たちにレイプされる。

「私は、あいつらと、デモ隊をぬけ出し、昂った同志的感情に駆られて、一緒にお酒をじゃんじゃん飲んだのよ。強い酒をね。(略)そのために私は動けなくなったんだよ。それがあいつらの狙いだったのさ、きっと。少し休めば歩けるからって、渋谷あたりの安宿に連れこまれて……そこで私は、あいつらに身体を汚されてしまったんだよ!」(石坂洋次郎「あいつと私」)

政治的な方向にも性的な衝動にも向きかねない不安定な衝動を、若者たちは持っていた。

それは、革命運動の欺瞞の告発というよりは、プラスにもマイナスにも大きく振れてしまう青春の情熱を象徴していたのではないだろうか。

私には、私だけの一つの切ない感情があった。(略)安保反対のデモンストレーションが、一人の若い女の肉体を傷つけたのである。(石坂洋次郎「あいつと私」)

裕福な女子大生の結婚と安保反対闘争との対比と向き合うようにして、安保反対のデモンストレーションと女子大生のレイプが描かれている。

そして、そのどれもが、1960年という時代を語る上で、すべて必要な出来事だったのだ。

「セックスという奴は、うっかりしていると、どんな厳粛崇高な場面にだって、のさばってくるんだからな。だが、それに足をすくわれないように警戒しながらも、われわれはやはり、セックスを祝福すべきだと思うんだ……」(石坂洋次郎「あいつと私」)

逆説的に言えば、崇高な革命戦士の闘志さえ動かしてしまうのが、性欲(セックス)というものの強さだったかもしれない。

母親からの自立

本作『あいつと私』は、主人公(浅田けい子)と、クラスメイトの男子大学生(黒川三郎)との、微妙な男女関係をテーマとした青春小説である。

足が長く、上背のある身体つきで、ぴったり脛にくっついたズボンに、派手な模様のシャツやセーターをつけており、陽にやけた男らしい顔立をしていた。(石坂洋次郎「あいつと私」)

黒川三郎という男子大学生のビジュアルは、いかにも、石原裕次郎を思わせる。

濃い眉毛、性格の烈しさを示す強い目の光、少ししなった形のいい鼻柱、白い歯並び、ひきしまった口元、ひろい肩、厚い胸……。何もかもが、彼が紛れもなく男であることを示している。(石坂洋次郎「あいつと私」)

1961年(昭和36年)公開の映画『あいつと私』は、スキーで怪我をして入院生活を送っていた石原裕次郎の、復帰第一作となる作品だった。

田園調布の石坂洋次郎先生のお宅にお邪魔して、次回作は先生の『あいつと私』と決まったときは、正直ほっとしました。裕さんは日活に戻っていったのですから」(石原まき子インタビュー/佐藤利明「石原裕次郎昭和太陽伝」所収)

黒川三郎の愛読書は、ヘミングウェイの『老人と海』である。

私どもは、足音を忍ばせて、段を下り、ベンチに近づいて彼をとり囲んだ。顔にかぶせてある本は、ヘミングウェイの『老人と海』のポケット版だった。(石坂洋次郎「あいつと私」)

ヘミングウェイ『老人と海』は、石原裕次郎の愛読書でもあった(なにしろ、海を愛する男だった)。

晩年の石原裕次郎は、亡くなる直前まで映画撮影にこだわり続けていたという。

「『老人と海』とか、あんな映画撮ってみてぇな」「社長が老人ですか?」「ああ、もちろん俺が老人の役だ」(金宇満司「社長、命。」)

黒川三郎の中には、どこか石原裕次郎めいたものが含まれていたのかもしれない。

物語の中で、黒川三郎は『武器よ、さらば』の話を紹介する。

「いや、僕は、むしろ、女の在り方に敬意を表しているほどだ。僕はだいぶ前から、ヘミングウェイの小説をつづけて読んでるんだ。つい昨日、『武器よ、さらば』を読みおえたところだよ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

黒川三郎にとって『武器よ、さらば』は、男と女の物語だった。

「あの小説では、女はお産で死んだりするが、その代り男は戦争で虫けらのように死んでいくことが、非情な筆で対照的に描かれてあると思うんだがな……」(石坂洋次郎「あいつと私」)

こうした「対照」の手法は、本作『あいつと私』においても顕著なものだ。

喧嘩にも強く、教養もあり、何より自分自身を持っている黒川三郎という男に、主人公(けい子)は、少しずつ惹かれていく。

「僕は、人に理解なんかしてもらいたくないな」「どうして──?」「ひとりぽっちがいいからさ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

複雑な家庭環境で育った黒川三郎には、どこか孤独の影がある。

明るい家庭で育てられた主人公(けい子)にとって、三郎の影は、魅力にもなり得る影だったのかもしれない。

「でも、家庭の事情で仕方がないんでございますよ。私は、三郎には、よほど前から、私の代りに、お金をふんだんにやって育ててきたんですよ。あの子はそれで好きなことをする。でも、お金っていうものは、冷たいだけで、温かみはまるでありませんですからね……」(石坂洋次郎「あいつと私」)

温かい家庭で育った主人公(浅田けい子)と、冷たいお金だけで育てられた黒川三郎との対照が、この物語を動かす原動力となっている。

それと私の家のそれとでは、寒帯と熱帯ほどにもちがっている。端的にいって、私は仕合せだ。お金でどんなぜいたくが出来ても、黒川三郎は、寂しい気の毒な人間だというほかはない。(石坂洋次郎「あいつと私」)

対照的な家庭で育てられた二人の男女が、反発し合いながら、互いに惹かれていく。

「あいつと私」は、もちろん、けい子と三郎の二人のことだ。

「ね、あいつが、プールのそばの椅子の上で昼寝をしてるんですって。みんなでつるしあげにいくんだけど、貴女がたも行かない?」「あいつって……、黒川三郎?」「そうよ、夜の女を買った男よ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

物語は、主人公(けい子)の微妙な変化を、友人(バンビ)の結婚や安保闘争、金森あや子の性被害、黒川三郎の母親(モトコ・桜井)との出会いなどを絡めながら描いていく。

「だめだめ。女の幸福は平凡な家庭の主婦になることにあるのよ。モデルだなんて、とんでもない」(石坂洋次郎「あいつと私」)

進歩的な女性(モトコ・桜井)と対照的に描かれるけい子の母親は、保守的な旧時代を象徴する女性である。

ふと私は、さっきから、私の背中にぴったりくっついているか、それとも、私の胸の中に入りこむかして、私自身と紛れやすいもう一人の人間がいて、絶えず私と一緒に動きまわっていることに気がついた。なんて煩わしい!(略)その人間は母だった。(石坂洋次郎「あいつと私」)

本作『あいつと私』は、戦後を生きる女子大生の、家庭からの自立を描いた青春小説である。

四人姉妹の中で、最も強く母親の影響を受けて育った長女(けい子)が、少しずつ母親の呪縛から解放されていく。

「この騒ぎの中にいる私のことで、お母さんがいちばん心配しているのが何か、当ててみましょうか」「人をからかって……。当てなくてもいいよ」「当てるわよ。この騒ぎに紛れて、どうかしたはずみで、私の身体が汚れはしないかと気がかりなんでしょう?」(石坂洋次郎「あいつと私」)

大規模なデモ行進の夜、男たちと行動を共にすることを選んだけい子は、母親へ(精神的な)決別の電話をかける。

やがて、夏休みになり、男女のグループで自動車旅行へ出かけたけい子は、軽井沢にある黒川家の別荘で、黒川三郎との関係を深めた。

大粒の雨は、痛いほど私の顔にうちあたり、唇にも、舌にも、喉にも、それから胸の中にも流れこんだ。だから、それは雨の味がする水っぽい接吻だった。(石坂洋次郎「あいつと私」)

主人公(けい子)を動かしたものは、高校時代に黒川三郎の性処理係を務めていた女性(松本みち子)の登場だった。

「松本さん」「なあに──」「一度だけ貴女をぶたせてください!」そういう同時に、私はかなりな力で、松本みち子の頬ぺたに平手打ちを食わせた。(石坂洋次郎「あいつと私」)

愛した男性のために、憎い女性の頬を平手打ちしたとき、けい子は、新しい時代の女性となっていたのかもしれない。

戦後日本の青春時代を描いた石坂洋次郎

主人公(浅田けい子)が青春時代にあった1960年代、戦後日本もまた、同じように青春時代にあった。

「ねえ、ゆみちゃん、いまは女でも、男並みに解放された生活が出来る時代だから、普通の容貌に生れついたら、あとは自分の責任で女らしい魅力を生み出すようにしなければならないのよ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

それは、日本の女性が、男性社会から自立していく時代でもあった。

高校生の妹(ゆみ子)は、姉(けい子)以上に進歩的な女性として描かれている。

たった二つちがいの妹なのに、私は、ゆみ子の心理を動かしている「新しい年代の波」を感じないではいられなかった。(石坂洋次郎「あいつと私」)

女性も日本も、日ごとに進化していたのかもしれない。

ほんとうに、戦後の日本の女性は、一年といわずに、つぎつぎと古い女の衣服を脱ぎすてていっていることが感じられる。考えてそうするのではなく、においで、かんで、脱皮していっているのだ。(石坂洋次郎「あいつと私」)

結婚だけが女性の幸せと考えられていた旧時代と異なり、バンビも、また、新しい時代の女性として結婚しようとしていた。

「分るかなあ……。ここまで来たら、彼のものになり、彼のために身のまわりの世話をしてやり、苦しい思いをして彼の子供を生み、何もかも彼だけのものになってしまうのが、口惜しくてたまらなくなったの! 彼を好きだけど、彼が憎くて憎くてたまらないのよ」(石坂洋次郎「あいつと私」)

バンビの叫びは、旧時代を生きた女性たちの叫びでもある。

それは、旧時代を象徴する女性であるけい子の母親の叫びだったかもしれない。

もしかすると、母は、人生の半ばをとっくにこした一人の女として、常識的な父の所に嫁き、私たち四人を生む人生のコースを辿ったことを、漠然と後悔することがあったりするのではないだろうか……。(石坂洋次郎「あいつと私」)

黒川三郎と結ばれたとき(キスしたとき)、主人公(けい子)は、自分の恋愛を冷静に分析している。

私が黒川三郎と接吻したのは、母親のセックスの実験の結果としてこの世に送り出された彼の肉体に不足しているヒューマンな魂を、口うつしに彼に吹きこんでやるためだったと。(略)私は、それこそ、女の一生を賭けるのに値する生き方だと信じているのだ。(石坂洋次郎「あいつと私」)

黒川三郎を孤独な生活から救い出すことこそ、女である自分の役割であるということを、主人公(浅田けい子)は見つけたのだ。

一方で、裕福に暮らす彼らは、日本の現実を無視することはできない。

「じっさいなあ、こっちの気持が滅入ってしまうような貧しい暮しが、日本の社会から早くなくなって欲しいものだな。それに目をそむけているだけでは、ほんとにゆっくりした気持になることが出来ないからな」(石坂洋次郎「あいつと私」)

1960年(昭和35年)、日本は、戦争で大きな痛手を蒙った、まだまだ貧しい島国にすぎなかった。

日本が青春時代にあった戦後社会を、本作『あいつと私』は、新しい世代の男女関係を軸に描いたのだ。

それは、トレンド小説と言っていいほど、時代に敏感な文学だった。

大胆なメディアミックスの手法により、作品が次々と映画化されたことで(しかも、人気スター石原裕次郎を主役に据えた映画で)、石坂洋次郎は時代の寵児となる。

一方で、時代とともに走り続けた作家は、走るのをやめたとき、時代から取り残される宿命を背負ってもいた。

石坂洋次郎ほど時代とともに忘れられたと思わせる作家は少ない。(略)だが、七〇年代に入るやいなや、その流行はあっという間に消えた。これほど急激に語られなくなった作家はいなかったのではないかと思われるほどだ。(三浦雅志「石坂洋次郎の逆襲」)

人気作家・石坂洋次郎の本質は、やはり、すべてが青春小説だったということだ。

青春時代にあった戦後の日本社会を描き、精神的青春時代を生きる多くの読者に支えられた。

躍動する戦後日本の象徴。

「あの晩、日本の歴史は変ったんだったの?」すると、元村貞子は、そばで遊んでいる幼い子供を顧みながら(そのころは彼女も家庭の主婦になっているにちがいない)、にこやかに、「ああ、あのころ、そういう言い方がはやったりしたわね。なにしろ私たちも若かったから……」そう答えそうな気がしてならない。(石坂洋次郎「あいつと私」)

石坂洋次郎は、時代から忘れられた作家である。

それでも、新しい時代をリアルタイムで描き続けることができたという意味において、石坂洋次郎は、やはり幸せな作家だったのかもしれない。

書名:あいつと私
著者:石坂洋次郎
発行:1967/09/30
出版社:新潮文庫

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MAS@ZIN
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。