小林勇「雨の日」読了。
本作「雨の日」は、岩波書店の編集者だった小林勇の随筆集である。
自戒を込めた大人の文章
本書に収録されている作品は、1950年代終わりから1960年代初めにかけて書かれたものばかりである。
当時、著者の小林勇は60歳前後だったのだろうか(1903年生まれなので)。
定年年齢が65歳まで延長される現在では、ちょっと理解しにくいが、やたらと老成したような悟りきった文章が散見される。
私はもう散々したい事をしてきた。私はどんなものでも積かさねて大きくなり高くなるものだと考えている。同時にどんなことにも限度があり終りがあると考えている。人生には何かによって定められたことがあるように思われるのだ。(小林勇「縄跳禍」)
その例として、著者は、酒量が減ったことを挙げている。
酒量が減ったのは病気のせいではなく、自分に与えられた定量の残りが少なくなったためだろうと。
大抵自分の持っている定量は減っているが、反対に、今まで使わなかったものは、定量がたっぷり残っているということになる。
病気にも定量があると考えれば何となく気楽である、と著者は綴っている。
人生を振り返るような言葉も多い。
わびしい心持である。これが老いに至るとき人が味わう気持であろう。たいへん忙しく頑張って世の中のために役つことをして暮して来たなどと思うのはまったく僭越である。自分の生活のために、何事にも全力を注がず、いいかげんにして、しかも人より気楽なそして得な位置について生活して来たのが、俺ではないか。(小林勇「薄暗い室にて」)
「自分が優れているなどと思うのは、出鱈目だ」と、著者は続けている。
この年、小林勇は57歳で、現代の感覚で言うと「老いに至るとき人が味わう気持」を悟るには早すぎるのではないだろうか。
それでも、人生の先達の、このような文章を読むと、心が引き締まるような気がすることは確か。
著者の文章は、自らを戒めながら、後の世代をも戒めていたのかもしれない。
どこの会社でも、入社志望であった人たちの名前をちゃんと記録しておくことだ。それはのちのち、自分たちがどんなに人を見る眼がなかったかを知るためによい資料になるだろう。人を試験する気で、自分が試験されているのだ。いい気になるなよ。(小林勇「試験される」)
入社試験を題材に取った随筆「試験される」なども、多分に戒めの思いが強い作品である。
なにしろ、最後の「いい気になるなよ」が効いている。
「いい気になるなよ」は、自分自身への戒めの言葉なのだ。
昔の大人は、真の意味で大人らしい文章を書いた。
プロレタリア画家・柳瀬正夢の思い出
本書では、岩波書店で働いていた小林勇による回顧録的な随筆も多く収録されている。
岩波茂雄や安井曾太郎、高村光太郎、幸田露伴・文子、佐々木茂索など、多彩な顔触れが登場する中で、柳瀬正夢の「ねじ釘の画家」や、坂口栄の「額の男」、三木清の「父と娘」などは、素晴らしい回顧録となっている。
特に、プロレタリア美術の画家として有名な柳瀬正夢の思い出を辿った「ねじ家の釘」は力作である。
治安維持法違反で検挙されて激しい拷問を受けたときのことや、小夜子夫人の病死、東京大空襲で被災し、その遺体が火葬されるまでの様子などが克明に描かれていて、歴史的な意義も大きい。
終戦直後に獄死した三木清を描いた「父と娘」は、三木の遺児・洋子に焦点を当てながら、在りし日の三木清を偲んだ文章となっている。
調べてみたところ、本書『雨の日』は文庫化もされておらず、現在では入手が難しい書籍らしい。
過去に埋もれさせてしまうには惜しい作品だと思った。
書名:雨の日
著者:小林勇
発行:1961/9/10
出版社:文藝春秋新社