文学鑑賞

杉並区立阿佐谷図書館「阿佐ヶ谷文士村」阿佐ヶ谷・荻窪界隈で暮らした作家たち

杉並区立阿佐谷図書館「阿佐ヶ谷文士村」あらすじと感想と考察

杉並区立阿佐谷図書館「阿佐ヶ谷文士村」読了。

本作「阿佐ヶ谷文士村」は、1993年(平成5年)2月に杉並区立阿佐谷図書館が発行した小冊子である。

「阿佐ヶ谷文士村マップ」を持って文学散歩に行こう

阿佐ヶ谷近隣には、かつて数多くの著名な文士が住んでいた。

彼らは「阿佐ヶ谷会」なる会を結成して交流を深めていたが、この地域を「阿佐ヶ谷文士村」という名称で呼び始めたのは、杉並区立阿佐谷図書館である。

私どもはこの由緒ある地に阿佐谷図書館を開設したのを機に、この会にゆかりの方々や地域の皆さんのご賛同を得て、このあたりを「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばせていただくこととしました。そして、この図書館に「阿佐ヶ谷会」ゆかりの文士の方々の著作を集め、当時を偲ぶとともに、現代日本文学に親しむことのできる特色ある図書館づくりをめざすことと致しました。(杉並区立阿佐谷図書館「阿佐ヶ谷文士村」)

本書では、「阿佐ヶ谷会」を称する核となった「阿佐ヶ谷会」のメンバー22人と、阿佐ヶ谷・荻窪界隈に居住した多くの文士たち44人を50音順で紹介する構成となっている。

冊子中、多くの書籍の写真が掲載されているが、多くは、中央図書館に所蔵されている初版本によるもの。

居住状況を示した帯年表も付されているので、その作家が、いつの時代に、この地域で暮らしていたのかが一目で分かるのも便利だと思う。

66人それぞれの居住地略図も掲載されている。

注目は、本書に登場する44人の文士の居住地を地図に落とし込んだ「阿佐ヶ谷文士村マップ」。

阿佐ヶ谷・荻窪界隈は、かつて多くの文士が活動していたところです。戦前から戦後にかけての激動のさなか、数々の文芸誌が生まれています。そして、「阿佐ヶ谷会」という交遊の場を設け、文士たちがたがいに影響しあいながら、文学への情熱を燃やし、独自の創作活動を展開しました。(杉並区立阿佐谷図書館「阿佐ヶ谷文士村」)

今年の夏は、この地図を持って、阿佐ヶ谷・荻窪文学散歩に出かけてみよう。

居住地から見えてくる作家同士の関係

<阿佐ヶ谷会>のメンバーは計22人。

筆頭は、もちろん井伏鱒二で、青柳瑞穂、外村繫、上林暁を加えた四人が、さしずめ中心メンバーといったところだろうか。

人気作家としては、太宰治や火野葦平、伊藤整、巌谷大四、三好達治、木山捷平、亀井勝一郎、小田嶽夫などの名前が見える。

その他、臼井吉見、河盛好藏、蔵原伸二郎、新庄嘉章、田畑修一郎、中野好雄、古谷綱武、村上菊一郎、保田興重郎、安成二郎を加えた計22人が、阿佐ヶ谷会を構成する文士たちだった。

順ぐりに指名される世話人二名が日時と場所を決めて、通知する。だいたい、春夏秋冬、年四回くらい。場所も、だいたい青柳邸。邸といっても、広大なやしきなどではなく、六畳と四畳半をぶっ通しただけ。だから全会員が出席したりすると、ハミ出してしまう。(青柳瑞穂「阿佐ヶ谷会」)

阿佐ヶ谷会の詳細については、青柳瑞穂の血縁にある青柳いづみこによる『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』がある。

さて、阿佐ヶ谷会メンバー以外で、阿佐ヶ谷・荻窪界隈に住んでいた文士を見てみよう。

まず、気になるのが、プロレタリア文学の小林多喜二で、昭和5年から7年まで成宗・馬橋に住んでいた(昭和8年に獄死)。

同じくプロ文作家では、葉山嘉樹も、大正15年から昭和9年まで、上荻窪・高円寺などで暮らしていた。

有名どころでは、横山利一が、昭和2年から3年まで阿佐ヶ谷に住んでいる。

歌人の与謝野晶子も、夫・寛(与謝野鉄幹)と一緒に、昭和2年から17年まで荻窪で暮らした(鉄幹は昭和10年に、晶子は昭和は17年に、それぞれ没している)。

『姿三四郎』で人気作家となった富田常雄も阿佐谷の人で、昭和20年から42年まで、高円寺・阿佐ヶ谷・馬橋で暮らした(昭和42年没)。

井伏さんと仲良しだった劇作家の伊馬春部は、昭和7年から16年まで天沼で暮らし、『ドリトル先生』の翻訳を井伏さんに持ち込んだ児童文学者・石井桃子は、戦後、東荻町に住んだ。

居住地から見えてくる作家同士の関係というのはおもしろい。

阿佐ヶ谷・荻窪で暮らした作家の本というテーマだけで、かなりの読書になるだろう。

書名:阿佐ヶ谷文士村
編集:杉並区立中央図書館
発行:1993/02/05

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。