読書体験

山田詠美「ベッドタイムアイズ」黒人男性との激しいセックスが紡ぐ大人の純愛ストーリー

山田詠美「ベッドタイムアイズ」黒人男性との激しいセックスが紡ぐ大人の純愛ストーリー

山田詠美「ベッドタイムアイズ」読了。

本作「ベッドタイムアイズ」は、1985年(昭和60年)12月『文藝』に発表された中篇小説である。

この年、著者は26才だった。

1985年(昭和60年)、第二十二回文藝賞受賞。

単行本は、1985年(昭和60年)11月に河出書房新社から刊行されている。

1987年(昭和62年)、樋口可南子主演映画『ベッドタイムアイズ』原作小説。

セックスを通して描かれる純愛

本作『ベッドタイムアイズ』は、純愛ラブストーリーである。

若い女性(キム)が、一人の男性(スプーン)と恋に落ち、やがて訪れる不条理な別れ。

プロットは、これ以上ないくらいに陳腐なのに、なぜか、この小説は新しい。

最大の要因は、純愛が肉体的なセックスを通して描かれていることだろう。

「この男の体を気がすむまで味わいたかった。彼のペニスにはあんたの匂いがまだ残っている」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

マリア姉さんは、主人公(キム)を愛していたという。

主人公の恋人(スプーン)の肉体を通すことで、マリア姉さんは、主人公に対する強い愛を昇華していたのだ。

愛は、すべてセックスによって表現される。

そこに、この小説の新しさがある。

愛するとは、文字どおり「make love」だった。

「もう出来ないの? 私たち愛し合えないの」私は瞬きをして目の前の邪魔な涙を払い落とした。涙はスプーンの手を伝ってどこかに行った。「オレたちが愛して来た事って、いつも欲望だけだったね」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

恋人(スプーン)と別れるということは、つまり、彼とはもうセックスをできないということだ。

主人公にとって、セックスすることができないという悲しさこそ、恋人と別れる悲しさだったのである。

作品タイトル「ベッドタイムアイズ」とは「Bedtime Eyes」で、つまり、セックスをしているときの眼差しのこと。

「あんたって、こんな時にまでメイクラブの最中みたいな目付きする。いったい何だっていうのよ」彼は人差し指で最初に自分自身を指し、そして、ゆっくりと私を指差し、二度頷いた。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

セックスによって深められた二人の純愛。

新しい愛の形が、そこにあったのかもしれない。

もちろん、恋人(スプーン)が、アメリカ軍の脱走兵(U・A)で、黒人の男だったというプロットも、二人の愛情の重要な要素となっているだろう(主人公はナイトクラブで歌うジャズシンガーだった)。

「あんたの肌って本当に黒檀(エボニー)ね」最も不幸で一番美しい色。私がどんなに日に灼いても近づけない。けれど皮膚を引き裂けば赤い血は出るし、私を愛した時は白い液も流れ出る。彼の頭を私の両足の間に感じながら、私はやるせない気持になった。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

黒人の脱走兵を恋人に持ったという時点で、主人公の心から、言い知れぬ不安を拭い去ることはできない。

不気味な予感は、スプーンに対する彼女の愛情を、一層深めたことだろう。

決して成就することのないだろう、不毛な愛。

本作『ベッドタイムアイズ』の切なさは、出会ってはいけない二人の出会いの切なさだ。

肉体的な結びつきの強さは、二人の出会いの切なさを、殊更に強めていく機能を果たしている。

結局、主人公は、男(スプーン)が何者であるかを知ることなく、彼と別れた。

スプーンが後生大事に抱えている書類の束(設計図のような紙切れ)は、スプーン自身の象徴である。

主人公は、とうとう最後まで、スプーンが大切にしている書類の中身を知ることができなかった。

彼女が、スプーンの正体を知ることができなかったのと同じように。

甘く疲れた体をベッドに運び、私はブランケットをめくる。そこに鋭いあの目たちが潜んでいる錯覚から抜け出す事は、もう、出来ない。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

ベッドに残る二つの眼(の錯覚)は、スプーンに対する主人公の愛情が、今も消えていないことを意味している。

素性も知らない男に対する愛情以上に、純粋な愛があるだろうか。

主人公には、一切の打算もなかった。

ただ恋人と繋がっていたい(セックスをしていたい)というピュアな動機によってのみ、彼女はスプーンを求めていたのだ。

本作『ベッドタイムアイズ』は、やはり、純愛ラブストーリーだったのだろう。

セックスでしか表現できない不器用で純粋な愛

本作『ベッドタイムアイズ』は、作中サウンドトラックが心地良い「ジャズ文学」として読むこともできる。

特に重要な役割を果たしているのは、やはり、チェット・ベイカーだろう。

スプーンは笑いながら、おまえはオレの毛布だと言った。彼の言い方は武骨で慣れない少年が愛を囁くのに似て彼を初心(うぶ)に見せた。歌の下手なチェット・ベイカーが不思議と私を感動させるのに似ていた。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

主人公にとって、チェット・ベイカーの中性的なボーカルは、スプーンに対する愛と重ね合わせる価値のあるものだったのだろう。

愛なき不毛のセックスを繰り返して死んだジャズ・シンガー(チェット・ベイカー)と、愛するがゆえのセックスに溺れていくジャズ・シンガー(主人公キム)の対比が、ここにある。

チェット・ベイカーの人生は、過度に美化された映画『ブルーに生まれついて』や『マイ・フーリッシュ・ハート』を観るよりも、その暗部を徹底的に掘り下げた評伝『終わりなき闇〜チェット・ベイカーの全て』を読む方が、ずっと理解が進む。

そして、チェット・ベイカーのクズすぎる人生を思うとき、主人公(キム)の男(スプーン)を愛する気持ちの重たさが十分に分かるはずだ。

朝からチェット・ベイカーを聴く事はないじゃないかという言葉以外、私は彼の声を今日聞いていない。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

朝からチェット・ベイカーを聴いていたい、主人公の人生。

辛くても、哀しくても、主人公は男と別れることができない。

「ファックしてやりてえんだ。キム、お前をいい気持にさせてやりてえんだ。寝ちまったのかい。寝ちまったのかよお。SHIT! せっかくオレがかわいがってやろうとしたのに体に触れさせもしねえ」スプーンは私の横に滑り込むと、私に背を向けて溜息をついた。「強姦すればいいじゃない」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

どれだけ深く愛し合っても、二人の愛は、どこにもたどり着くことがなかった。

脱走したG・Iとの恋愛に、将来性など生みだせるはずもなかったが。

「ハーレムの匂いだよ! 劣等感の塊りの臭い匂いがするんだ!」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

ニューヨークのハーレムで育ったというスプーンの体からは、いつでも劣等感の匂いが漂っていた。

「これがニューヨークスタイルのラップってんだぜ。オレはブロンクスじゃラッパーNO1だったんだ。暗い内容の歌詞をひどく明るくラップする。オレの姉さん十四の時にダディに犯されマミィになった。そん時、オレは習ったよ、スケの扱い、ファックのやり方」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

ハーレムから抜け出すために、軍を脱走したスプーンは、結局、ハーレムから抜け出すことができなかった。

スプーンの肉体からは、ココアバターのような甘く腐った香りがした。

汚い物に私が犯される事によって私自身が澄んだ物だと気づかされるような、そんな匂い。彼の匂いは私に優越感を抱かせる。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

チェット・ベイカーの甘すぎるメロディに乗せて、彼女はスプーンとの愛を育み、そして、不幸な結末を迎えた。

「お前は、オレにとってライナスの毛布だって事、解ったぜ」(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

アメリカ漫画『ピーナッツ』に出てくる少年(ライナス)に寄せて、スプーンは愛を語った(ライナスは古い毛布を手放すことができない)。

当時は、もちろん「ライナス症候群」などという言葉さえ生まれていなかっただろう(「ブランケット症候群」とも呼ばれる)。

ハーレム生まれの黒人は、不器用な愛を語ったにすぎない。

それは、二人の不器用な愛の象徴でもあったかもしれない。

彼には中間というものがなかった。彼との生活の中で私が知ったこと。それは淡白な薄味の料理を食べられない人生もあるという事だった。(山田詠美「ベッドタイムアイズ」)

スプーンとの生活が、幸せなものだったのかどうか、それは分からない。

はっきりしていたのは、二人は間違いなく愛し合っていたということだけだ。

村上春樹『ノルウェイの森』(1987)には、「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーが付いている(著者自身が作成した)。

村上春樹の言葉を借りれば、本作『ベッドタイムアイズ』も、また、「100パーセントの恋愛小説」だった。

激しいセックスによってしか表現することのできない、不器用で純粋な愛。

美しい日本語を駆使した文章が、多様されるカタカナと、良い化学反応を起こしている。

本作『ベッドタイムアイズ』も、また、新しい時代の小説だったのかもしれない。

書名:ベッドタイムアイズ
著者:山田詠美
発行:1987/08/04
出版社:河出文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。