読書体験

別冊太陽「小さな平屋に暮らす」庄野文学の舞台となった<山の上の家>

別冊太陽「小さな平屋に暮らす」庄野文学の舞台となった

別冊太陽「小さな平屋に暮らす」読了。

巻頭で、神奈川県生田市にある庄野潤三の自邸が紹介されている。

別冊太陽「小さな平屋に暮らす」別冊太陽「小さな平屋に暮らす」

作家自身が「山の上の家」と呼んだ庄野邸は、多くの庄野文学の舞台となってきた。

庄野潤三は故郷の大阪を離れ、東京練馬の石神井公園近くに住んだのち、1964年、神奈川県の多摩丘陵の丘の上に平屋を建てて家族で移り住んだ。その家はやがて「山の上の家」と呼ばれ、読者にも親しまれていく。庄野はこの家で約五〇年に及ぶ歳月を過ごし、家族との日々を主な題材にして数多くの作品を残した。作家亡きあとも家族によって家と庭は大切に守られ、代表作『夕べの雲』や『野鴨』など数々の作品に描かれた世界を今も垣間見ることができる。(別冊太陽『小さな平屋に暮らす』)

別冊太陽では、カラー写真で、冬の庄野潤三邸が紹介されている。

庄野潤三の書斎と庭庄野潤三の書斎と庭

庄野さんが原稿を執筆した書斎と、そこから見える庭の風景、父の写真が飾られたピアノ、書斎の向こうへと続く台所。

一枚一枚の写真から、いろいろな作品の様々な場面がよみがえってくる。

邸宅内の写真を見ていると、庄野さんの小説を思い出す邸宅内の写真を見ていると、庄野さんの小説を思い出す

ページをめくると、庄野邸の実測図が大きく掲載されている。

庄野邸は1961年に完成し、その軒は深い。たっぷりした軒下空間には濡れ縁が四つ張り出し、そこは外でありながら室内の延長でもある。このような「内と外の境界を曖昧にするつくり」は古くから日本人に馴染み深い。「内のような外」「外のような内」は、庭や地面との距離が近い平屋の暮らしを豊かにする。庄野は普請に際し、ただ「軒の深い家」とだけ注文していたから、この効果をよく承知していたのかもしれない。(鈴木基紀「軒の深い家」)

庄野潤三邸は「平屋造り」で小高い丘のてっぺん、標高約98メートルに建っている。

庄野潤三邸の実測図。部屋の間取りも分かる。庄野潤三邸の実測図。部屋の間取りも分かる。

建物は、前面道路から2~3メートル高い位置にあって、道路から自宅までは外階段でつながれているから、多摩丘陵の眺望が侵される不安はなかったらしい。

日常の移動の苦労は、素晴らしい眺めとの対価のようなものだったろう。

さらにページをめくると、庄野家の懐かしいモノクロ写真と一緒に、岡崎武志さんのエッセイが掲載されている。

切り離されて別の空気を吸う二階や、ドアを閉めると音が遮断されるマンションの部屋ではなく、中廊下を通して庄野家の父親は子どもたちの生活や行動をつねに見守ることができた。そしてそれを作品に反映させ、世界文学でも比類なき家族の記録小説を紡ぎあげたのだった。つまり「平屋文学」だ。(岡崎武志「山の上の家に憩いあり 庄野潤三邸」)

かつて「明夫」という少年だった

庄野潤三邸紹介の最後に、長男・庄野龍也さんが文章を寄せている。

長男・庄野龍也さんも文章を寄せている長男・庄野龍也さんも文章を寄せている

昭和中期に量産された家族小説「明夫と良二」シリーズでは、<明夫>として登場している、庄野文学のメインキャラクターの一人だ。

作家といえば、夜ふかしで無頼なイメージがありますが、父がすべてに規則正しい人でした。早朝に起きて朝食を済ませると、机に向かって原稿を書き、昼食後は、散歩や読書をしていました。毎日数枚ずつ、数枚ずつをきちんと書いていく、その積み重ねで作品を仕上げていました。だからといって堅苦しくはなくて、楽しいこと、愉快なことが好きで、軟弱なものは廃して明るいほうへ気持ちを向けていくことを選んでいました。(庄野龍也「山の上の家と庭は生活の一部」)

平凡社の公式サイトでは、庄野潤三邸を語る庄野龍也さんの動画が公開されている。

平凡社の公式サイトはこちら。
https://www.heibonsha.co.jp/book/b601729.html

久しぶりに庄野さんの小説を読みたくなってきた。

三人の子どもたちが生き生きと活躍している、五人家族だったあの頃の物語を。

書名:別冊太陽 小さな平屋に暮らす
発行:2022/5/25
出版社:平凡社

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。