小林多喜二「防雪林」読了。
本作「防雪林」は、小林多喜二の生前未発表だった短編小説で、ノート原稿には、1928年(昭和3年)4月に稿了したことが記されている。
1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけて、『社会評論』に発表された。
単行本は、1948年(昭和23年)8月、日本民主主義文化連盟から『防雪林』として刊行されている。
なお、稿了の年、著者は25歳だった(5年後に30歳で獄死)。
荒削りの鉛筆で書き殴られた素描のように生々しい
小林多喜二の代表作といえば『蟹工船』だが、個人的には、生前未発表作品の「防雪林」が一番好きだったりする。
『蟹工船』は、いかにも、プロレタリア文学の模範的教科書みたいにまとまっていて、<できすぎ君>的なところが鼻につくから。
その点、「防雪林」は、荒削りで生々しく、感情を優先にして書き殴ったような印象を受ける。
完成度はその分低くなるから、だからこそ、「防雪林」は未発表作品だったのだろうけれど、作品の生命力ということでは、断然に「防雪林」に惹かれてしまう。
「防雪林」最大の魅力は、厳しい北海道の冬と呼応するように剥き出しに描かれた、主人公<源吉>の激しい感情だ。
例えば、晩秋の石狩川で秋鮭を密漁しているうちに、源吉は、どんどん凶暴になっていく自分を発見する。
源吉はそうやっているうちに、妙に強暴な気持になっていた。彼は一匹々々、「野郎」「畜生」「野郎」「畜生」と、唇をかんだり、歯をかんだりしながら、そうした。変に顏の筋肉が引きつって、硬ばったりした。そして気が狂ったように、滅多打ちをした。(小林多喜二「防雪林」)
同様のことは、秋祭りに出会った女性を暴力で強姦する場面でも感じることができる。
まるで、北海道そのもののように野性味溢れる源吉の行動は、本能を剥き出しにして生きる野獣のようだ。
こうした源吉の生命力の源となっているのが、不遇な境遇から生じている金持ちへの怒りである。
内地から移住してきた開拓農民の怒りと悲しみを自身の怒りへと転換することで、源吉は図太いまでの生命力を維持している。
源吉の剥き出しにした感情が、小林多喜二の荒々しいスケッチで綴られていくところが、すごくいいと思う。
源吉という野性的な農民像は、有島武郎『カインの末裔』の主人公<仁右衛門>と共通のものであるが、油絵のように洗練されている『カインの末裔』に比べて、「防雪林」はいかにも荒削りの鉛筆で書き殴られた素描のように生々しい。
それは、源吉の内面の感情を象徴する、真冬の北海道の情景についても同様だ。
踏切りを越すと、前方一帯が吹雪で、真白い大きな幕でも降ろされているように、何も見えなかった。東の方から少しづつ暗さがせまってきていた。平野の一本道は、すっかり消されてしまっていた。防雪林の側を通った時にはそれに当る粉雪と強風で、そこから凄みのあるうなりが響いてきた。そして、ただ天も地も真白いところに、ぼかし画のように、色々な濃淡で、防雪林が、頭を一様にふったり、身体をゆすったりしているのが見えた。全く何も障害物のない平野に出てしまった頃、源吉の馬橇だけは一番うしろで、余程遅れていた。(小林多喜二「防雪林」)
筆致が不器用であるほど、小林多喜二の小説は、生き生きとしてくるような気がするから不思議だ。
後年、「防雪林」は「不在地主」として完成されるが、未完成の「防雪林」が持つ感情剥き出しの生々しさを、自分は大切にしたいと思う。
怒り爆発の農民文学こそ、すなわち「防雪林」という小説なのだから。
「防雪林」のような作品は、北海道の冬に読みたい
ところで、我が家の書棚には、新日本出版社の『小林多喜二全集』があるが、今回は、『北海道文学全集 6(抵抗と闘争)』(立風書房)収録の「防雪林」を読んだ。
北海道らしさに溢れた小林多喜二の作品は、郷土に根ざした文学叢書で読む方が、雰囲気も増すような気がするからである。
そして、「防雪林」のような作品は、やはり、北海道の冬に読むべきだと思う。
それも、できれば、世界中が氷と雪に閉ざされてしまった、激しい吹雪の夜に、作品世界への思いを馳せながら。
作品名:防雪林
著者:小林多喜二
書名:北海道文学全集6(抵抗と闘争)
発行:1980/6/10
出版社:立風書房