キャディラック(CADILLAC)のベスト・アルバム『ゴールデン・ベスト 1986-1989 MOON YEARS』を聴いている。
1980年代後半に活躍したスリーピースのロカビリーバンド。
1986年(昭和61年)の春、ラジオからは、彼らのデビューシングル「悲しきRADIO STATION」が流れていたんだ。
「悲しきRADIO STATION」
キャディラックは、1986年(昭和61年)3月にデビューしたロックバンドである。
それは、僕が故郷の実家を出て、独り暮らしを始めたのと、ほぼ同じ時期だった。
初めての一人暮らしの部屋で、僕はいつもラジオを聴いていて(「FM北海道」時代の「AIR-G」)、彼らのデビューシングル「悲しきRADIO STATION」も、僕はラジオで聴いて知った。
ドーナツ盤の「悲しきRADIO STATION」を買ってすぐに、ファーストアルバム『CADILLAC』を買った。
そこにあったのは、古き良き50年代のオールディーズ・ナンバーである。
考えてみると、80年代のJ.POPシーンにおいて、オールディーズは極めて身近な存在だった。
「涙のリクエスト」というビッグヒットを飛ばしたチェッカーズを筆頭に、「バージン・ブルー」のSALLY、「キッスは目にして」のザ・ヴィーナス、「ランナウェイ」のシャネルズと、80年代前半のカルチャーシーンで「50年代」は、既に重要な要素として定着していたのだ(「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」の横浜銀蝿も)。
原宿『クリームソーダ』のブラック・キャッツがデビューしたのも1981年(昭和56年)。
https://gentle-land.com/black-cats/
『POPEYE』などのファッション情報誌でも、「オールディーズ」はトレンド・ワードだった。
だから、ラジオから流れてきた「悲しきRADIO STATION」を聴いたときも、不思議な(古臭い)感じというのは一切なかった。
僕は極めて自然体で、キャディラックの音楽を(80年代的に)受け入れていたのだと思う。
エルヴィス・プレスリーというよりも、エディ・コクランやバディ・ホリー。
そんな文脈で僕は、彼らの音楽をとらえていたのではないだろうか。
アルバム『CADILLAC』は捨て曲なしで、演奏もボーカルも完璧だった(ていうか、うますぎる)。
これは「シャネルズ」や「横浜銀蝿」ではないんだと、すぐに分かった。
ビート感溢れる「HEY BILLY」を聴きながら、僕はすっかりとキャディラック・サウンドに夢中になってしまう。
Hey Billy 今度のレースは
お前がいなけりゃ始まらない
Down townは この話で騒ぎ始めてる
Hey Billy お前の相手は
誰も知らぬ札つき者
’59 ブラックフォードの
凄いヤツらしいぜ
(キャディラック「HEY BILLY」)
大好きだった「HEY BILLY」が『ゴールデン・ベスト 1986-1989 MOON YEARS』に収録されなかったのは残念。
それでも、このベスト盤、「悲しきRADIO STATION」や「キャロライン」のシングル・バージョンが収録されているのは、実に貴重だ(初CD化だった)。
当時のレコード・ジャケットのクレジットには「SPECIAL THANKS」として「TATSURO YAMASHITA(山下達郎)」の名前がある。
彼らのレコード会社は「MOON」だったから、録音には山下達郎も参加していたらしい(ハンド・クラップ)。
関係ないけど、1986年(昭和61年)6月には、田原俊彦が「ベルエポックによろしく」を発売している(7周年記念シングル)。
宇崎竜童の作曲で、ビル・ヘイリーやプレスリーが歌詞に登場する、これもロカビリーナンバーだった。
1986年(昭和61年)は、そんなオールディーズの時代だったのである。
「先生!あんた踊れるか?」
キャディラックは、硬派のロカビリーバンドだ。
それでも、僕は、5枚目のシングル「先生!あんた踊れるか?」(1987)が好きだった。
テレビドラマの “青春” ってのも疲れるけど
いきなり 俺を呼び出すなんて
結構 KI・TE・RUね
たかが授業をバッくれただけで
マジになるなよ
説教するなら
俺でも ゴ・ゴ・ゴ・ゴネルぜ!
誰にも負けないくらい
何かやってみたいだけ
誰にも負けないくらい
先生!あんた踊れるか?
(キャディラック「先生!あんた踊れるか?」)
いきなりのツッパリ・ソング。
チェッカーズ「ギザギザハートの子守歌」(1984)の再来を予感させるようなこの曲は、「悲しきRADIO STATION」の対極に位置する、キャディラックのもうひとつの代表曲である。
作詞は秋元康。
ロックンロールと不良との親和性は、もちろん良いんだけれど(「キャロル」の矢沢永吉とか、「クールス」の舘ひろしや岩城滉一とか、「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」の宇崎竜童とか)、80年代『ビー・バップ・ハイスクール』の世界観(いわゆる「ヤンキー文化」)がキャディラックにまで及んできたというのは、はっきり言って意外だった。
なにしろ、「あの娘はリボルーション」とか「キャロライン」とか、無暗にクリーンで爽やかだったから。
それでも、カッコよかったな。
「先生!あんた踊れるか?」の時代の(悪ぶった)キャディラックも。
『ゴールデン・ベスト 1986-1989 MOON YEARS』には、「先生!あんた踊れるか?」の「Radio EDIT」が収録されている(ラジオ・スポット用のショート・バージョン)。
「青春のあいうえお」
「先生!あんた踊れるか?」への流れは、「青春のあいうえお」(1987)を聴いたときから分かっていたような気がする。
音を消したテレビ
古い深夜映画
ソファーベッド崩れながら
おやすみなさいと泣いた
君の細い背中 腕の中で
折れるくらい抱いてみたいけど
僕より君はまだ あいつのこと
愛しているのさ
(キャディラック「青春のあいうえお」)
作詞は秋元治。
『ゴールデン・ベスト 1986-1989 MOON YEARS』を聴いても、「先生!あんた踊れるか?」と「青春のあいうえお」だけは、まったくカテゴリが違う。
立花理佐主演『毎度おさわがせします(第3シリーズ)』の挿入歌として流れてきたとき、キャディラックも、とうとう路線変更したのかと思ってしまったほどだ(主題歌はC-C-B「ないものねだりのI Want You」だった)。
そういえば、立花理佐にも「大人はわかってくれない」(1987)というオールディーズ・テイストのヒット曲があったなあ(作曲はかまやつひろし)。
思うに、正統派のロカビリーバンドが、メジャーシーンで生き残るというのは、そのくらい難しかったということだろう。
1986年(昭和61年)にデビューしたキャディラックは、1989年(平成元年)、5枚のアルバムを残して解散。
昭和時代の最後を飾ったフィフティーズ・バンドだった。
英文学者・福原麟太郎流に言って、1980年代後半のバブル時代は、我々世代にとって「良い時代」だったはずだ(なんだかんだ言っても)。
当時のカルチャーを語ると、つい、個人的な思い入れが強くなってしまう。