今東光「毒舌文壇史」読了。
本作「毒舌文壇史」は、1971年(昭和46年)8月に梶山季之によって創刊された『月刊噂』に連載されたゴシップ対談を書籍化したものである。
連載開始の年、著者は、73歳だった(聞き手の梶山季之は41歳)。
単行本は、1973年(昭和48年)6月に徳間書店から刊行された。
師匠・谷崎潤一郎と親友・川端康成
今東光という名前もすっかり懐かしいものとなってしまった。
いわゆる「忘れられた作家」というやつだろうか。
直木賞受賞作「お吟さま」さえ、読むことが難しい作品となっている現状は、昭和文学好きとしては寂しいこと、この上ない。
もっとも、この読書ブログで採りあげるのは、そんな作品ばかりではあるんだけれど。
さて、本作『毒舌文壇史』は、梶山季之が聞き手となって、今東光から文壇秘話を聴き出すという対談形式の回想録で、「文壇史」と言えばカッコいいけれど、内容的にはゴシップネタ満載の暴露本みたいな対談集である。
今よりも「文壇ゴシップ」に対する一般市民の関心が高かった時代なんだろうな。
まあ、「文壇史」と言っても、学術的な検証があるわけでなし、文壇の生き字引として、著者の見たり聞いたりしたことが芋づる式に、次から次へと出てくる仕掛けとなっている。
作品よりも作家に重点を置いた回想が中心で、酒と女と喧嘩の話が多い(その上で、文学作品にも、ちょっと触れられている)。
今東光の人脈から言うと、師匠格が谷崎潤一郎で、親友が川端康成。
必然的に、この二人に関する話題が多い。
学生時代から親友だった川端康成は、ノーベル文学賞のイメージと違って、ちゃっかりとした人柄の伝わるエピソードが、随所に登場する。
ノーベル賞に決まったというニュースを聞くと同時に、川端は富岡鉄斎の七千万円の屏風を買いおった。それだけじゃない。埴輪の首一千万円で買うやら、ほかに何点か買って、結局一億円以上になりましてねえ、それでノーベル賞の賞金は二千万足らずでしょう? どうなりまんねん、これは。まったく計算外の男だった。(今東光「毒舌文壇史」)
少々のことでは動じなかったという川端康成らしい話だろう。
不思議と気の合った二人は、生涯の親友同士で、今東光が参議院選挙に立候補したときは、川端康成が応援演説に立ち、川端康成が死んだときは、今東光が弔った(ちなみに、戒名を付けたのも今東光で、谷崎潤一郎や梶山季之が亡くなったときも、今東光が戒名を付けている)。
『新思潮』を継承する話が持ち上がったとき、「今東光なんかダメだ」と怒る菊池寛に対し、川端康成は「今東光が参加しなければ、我々も参加しません」と、あくまで今東光支持を強く主張したという。
師匠格・谷崎潤一郎についての逸話も多いが、佐藤春夫との「細君譲渡事件」については、世間の認識と事実が異なっていると指摘している。
そうしたら、谷崎先生も、そのときにはお嬢が大きくなって、女学院に入っていましたから、お嬢の判断に任せることにした。お嬢は、「ママが佐藤さんのところに行くのが幸せだったら、行ったらいいじゃないの」と言うんだな。そして「わたしもママといっしょに行く」というので、結局、お千代さんと一緒に佐藤さんのところに行ったんですよ。(今東光「毒舌文壇史」)
元の谷崎潤一郎夫人、後の佐藤春夫夫人である<千代子夫人>のことは、かなりお気に入りだったらしく、お千代さんが佐藤夫人となった後も、今東光は佐藤家へ出入りしている。
谷崎潤一郎の末の弟(谷崎終平)が、兄たち(谷崎潤一郎と谷崎精二)から相手にされないところ、お千代さんだけが面倒を見ていたという話は、谷崎終平の本に書いてあったとおり(お千代さんは「どうして私が」とグチをこぼしていたらしいが)。
もしかすると、今東光は、谷崎先生よりもお千代さんを、より慕っていたのかもしれない。
宿敵・菊池寛と横光利一と直木三十五
本作『毒舌文壇史』では、次から次へと同時代作家の名前が出てくる。
とりわけ、仲の悪かったのが菊池寛で、芥川龍之介の通夜に参列したとき、周囲の作家は、菊池寛に遠慮して誰一人、今東光には声もかけなかった。
そのときに、おれ、ああ文壇てこんなものか、えらい親しくしていっしょに飯食った仲なのに「久しぶりだ」でもないし、菊池寛に遠慮してこんなにまでなるかと思って、あきれかえったんですがね。(今東光「毒舌文壇史」)
結局、関西から到着した谷崎潤一郎に声をかけられて、この日は二人で会場を後にしたという。
菊池寛と親しかった横光利一の評価も低い。
横光利一なんて、古武士のように肩そびやかしてエバってましたけど、あれは菊池寛というバックがあったからね。戦後菊池さんが死んで、編集者がみんな若い人になってね、ボロクソになったら、もうしょげちゃって萎縮しちゃってね。それで書けなくなって死んじゃったでしょう。(今東光「毒舌文壇史」)
同じく、菊池寛と親しかった直木三十五に関しても、辛辣なエピソードが多い。
永井龍男が、久米正雄の嫁の妹と結婚したとき、直木三十五は、花嫁の希望に従って結婚祝いに三面鏡を贈った。
以後、永井家では直木を大歓迎。ところが、そのうち直木が入院して、ぽっくり死んじゃった。そうしたらデパートから、永井のところに三面鏡の勘定取りに来たそうだ(笑い)。あいつのお祝てのはそんなもんだ。(今東光「毒舌文壇史」)
直木三十五には金銭トラブルの話が多くて、今東光の『異人娘と武士』が映画化されたときの映画化料を横領して遣いこんだのも、直木三十五だった。
このとき、菊池寛が肩代わりを申し出てきたが、今東光は「なにもあんたから立替えてもらう筋合じゃねえんだから、そんな金はビタ一文いらねえ」と、菊池寛の申し出を断ったそうである(そして、また仲が悪くなった)。
一方で、芥川龍之介に対しては、親しみを感じている様子が伝わってくる。
久保田万太郎が中里介山から決闘を申し込まれたとき、芥川は今東光に介添えを依頼したという。
それで、あのでけえ腹抱えて、フウフウいいながら、どこへ飛んでったと思う? 芥川龍之介のところだよ。そしたら芥川が、「きみ、これはやむをえん。男だから受けなくっちゃいけない。潔く受けなさい。そのかわり介添は私が、今東光に頼みましょう。そしてあなたの骨拾うのは今東光。負けたら、その場で中里介山を打ちとめてもらいましょう」って言った。ほんとだよ。(今東光「毒舌文壇史」)
喧嘩の話では、辰野隆(後のフランス文学者。東大では太宰治の先生だった)の名前が登場している。
谷崎潤一郎が府立一中に入学したとき、三年生だった辰野隆は、谷崎潤一郎が飛び級したことで激怒したという。
あれは荒っぽくてね、みんなに演説ぶって、「今度、谷崎潤一郎って野郎が一年から飛越えてきやがった。またあいつが一番になったら、おのれらドつきあげるぞ」って脅かした。だけど、上がってきても、やっぱり一番なんだ。辰野がすっかり恐れいって、こいつはスゴイ野郎だって感心してるうちに、てめえが落第しちゃった。(今東光「毒舌文壇史」)
どこまで本当で、どこからデマなのか分からないけれど、文壇ゴシップには、とにかく興味深いものが多い。
相当盛ってあるとは思いながら、最後まで楽しく読み終えてしまった。
文士が文士らしかった時代の、夢のような物語である。
書名:毒舌文壇史
著者:今東光
発行:1973/06/10
出版社:徳間書店