太宰治『富嶽百景』あらすじと考察|なぜ富士に月見草が似合うのか
太宰治の『富嶽百景』は、どん底からの再生を誓った男を描いた短編小説である。
作者・太宰治は、富士山と月見草に何を見ていたのだろうか?
この記事では、本作『富嶽百景』のあらすじを整理するとともに、富士山と月見草に託された意味を、独自の視点から考察していきたい。
3行でわかる『富嶽百景』
発端(富士への嫌悪と御坂峠への隠棲)
荒んだ生活に疲れ果てた「私」は、甲府の御坂峠にある茶屋に身を寄せ、俗物的な絵葉書のように鎮座する富士山を冷ややかに見下す。
展開(月見草との出会いとお見合い)
師・井伏鱒二の導きで見合いをした「私」は、純朴な娘や道端の月見草に心を打たれ、富士の威容と対峙しながら生活への再起を誓う。
結末(レンズからの追放と富士への訣別)
山頂で見知らぬ若い娘たちに頼まれ、彼女たちを画角から外して富士だけを写した「私」は、山に静かな別れを告げて新たな日常へ踏み出す。
『富嶽百景』の簡単なあらすじ
自堕落な生活と精神の破滅の淵にあった作家の「私」は、昭和十三年の秋、俗世を離れて再生を図るため、山梨県の御坂峠にある茶屋「天下茶屋」の二階に逗留する。部屋の真正面に鎮座する富士山を、「私」は風呂屋のペンキ画のようにおあつらえ向きで俗っぽいと反発し、鼻持ちならぬ存在として眺めていた。
茶屋で滞在を続けるなか、「私」は師である井伏鱒二の紹介で甲府の娘とお見合いをする。茶屋の老婆や娘の純朴さに触れ、道端の小さな月見草に富士が寄り添う姿を目にしたとき、「私」は自らの屈折した自意識を解きほぐし、生活者として生き直す覚悟を固めていく。
冬が近づき下山する日、「私」は山頂で見知らぬ若い娘たちに富士の撮影を頼まれるが、なぜか彼女たちの姿をレンズから外し、富士山だけをカメラに収める。かつて見下していた富士をかけがえのない存在として心に刻んだ「私」は、富士に静かに別れを告げ、結婚と執筆という新たな現実へと歩み出すのだった。
【考察】富士山と月見草に託された意味とは?
本作『富嶽百景』は、人生のどん底に生きる作家(「私」)が、自身の再起をかけて、御坂峠にある天下茶屋を訪れる物語である。
①「月見草」に投影されたもの
この小説の主題は、明確に「主人公の再生」であって、読者はどん底から這い上がろうとする主人公の姿に胸を打たれるはずだ。
とりわけ、この作品のキーポイントになっているのは、「月見草」の花である。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。(太宰治『富嶽百景』)
小さな「月見草」に投影されているのは、言うまでもなく主人公自身の姿である。
地べたを這いつくばって生きている主人公にとって、小さな月見草の花は、おそらく人生の希望でさえもあったに違いない。
井伏鱒二の紹介でお見合いをした主人公は、再起に賭ける思いを月見草の花に託している。
②「富士山」が意味するもの
主人公の再起を促したのは、悠然と立ち尽くす富士の山だ。
「どうも俗だねえ。お富士さん、といふ感じじゃないか」(太宰治『富嶽百景』)
しかし、富士山は周囲の評価などに頓着することなく、富士山のままであり続ける。
主人公に足りなかったのは、周囲に流されることなく、自分が自分であり続けるという、その生き方だった。
やがて、主人公は富士山の「俗」さえも受け容れて、新しい自分への再生を誓う。
③結末の意味を探る
物語の最後の場面、女性の二人組から記念写真の撮影を頼まれた主人公は、故意に二人をファインダーから外して、富士山だけを写真に撮る。
どうにも狙いがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。(太宰治『富嶽百景』)
富士山の前で、あまりにも二人は小さな存在だった。
もちろん、小さな存在だったのは、主人公も同じである。
彼は、ただ富士山の素晴らしさを、二人にも伝えてあげたかったのだろう。
レンズから追放された二人に贈る、それが主人公流の祝福だったのかもしれない。
【解説】『富嶽百景』は実話だったのか?
本作『富嶽百景』の下敷きになっているのは、作者・太宰治の結婚である。
①石原美知子との結婚
作中にあるとおり、井伏鱒二の仲介により、太宰治が甲府市の石原美知子とお見合いをしたのは、昭和13年の9月だった。
後に、太宰治夫人となった津島美知子は『回想の太宰治』の中で、当時のことを振り返っている。
井伏先生は登山服姿で、和服の太宰はハンカチで顔を拭いてばかりいた。(津島美知子「御坂峠」)
昭和10年3月、東京帝国大学を落第した直後に、鎌倉で自殺未遂事件を起こした太宰治は、4月に急性虫垂炎の手術を受けた後、腹膜炎を併発。
患部鎮痛のために服用したことがきっかけで、以後、パビナール中毒に苦しむことになる。
②「佐藤春夫先生の小説」とは?
芥川賞落選後、パビナール中毒と結核の治療で入院中に、妻・初代が不倫の罪を犯していたことを知った太宰は、昭和12年3月、初代と二人でカルモチン心中を図るが、これも未遂に終わった。
太宰治が、芥川賞選考委員・佐藤春夫とトラブルを起こしたのも、やはり、この頃のことだった。
太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、(太宰治『富嶽百景』)
芥川賞受賞を熱望したことで、太宰治は佐藤春夫の逆鱗に触れている。
「不愉快だね。困つた人物だね」(佐藤春夫『或る文学青年像』)
『富嶽百景』に出てくる「佐藤春夫先生の小説」とは、この『或る文学青年像』のことだったと思われる。
③井伏鱒二の役割
人生のどん底で苦しむ太宰治に手を差し伸べたのが、師の井伏鱒二で、石原美知子との結婚は、太宰治にとって、まさに絶望からの再生だったに違いない。
井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸いながら、放屁なされた。(太宰治『富嶽百景』)
大らかな井伏鱒二像は、まるで雄大な富士山そのものだ。
もっとも「放屁」の描写について、井伏鱒二は最後まで否定し続けた。
私は太宰君と一緒に三ツ峠に登ったが放屁した覚えはない。(井伏鱒二「御坂峠にいた頃のこと」)
もちろん「放屁」は、太宰治一流のフィクションだったのだろう。
その背景にあるのは、師・井伏鱒二に対する限りない愛情だ。
富士には、月見草がよく似合う。(太宰治『富嶽百景』)
「富士には、月見草がよく似合う」と、太宰は言った。
もしも「月見草」に投影されたものが太宰治だったとしたら、「富士山」に投影されているのは、人生の師とも言うべき井伏鱒二だったのではないだろうか?
そう考えると、本作『富嶽百景』は、自分たちの結婚を祝福する井伏鱒二に捧げられた作品として読むことができる。
いずれにしても、太宰治の再生は、間違いなくここから始まった。
太宰治という作家のネジを巻いたのは、やはり、井伏鱒二だったのである。
まとめ│絶望と希望の間に生きて
太宰治というと、『人間失格』や『斜陽』などといった、戦後のベストセラー小説で語られることが多い。
人生の苦悩や絶望は、もちろん太宰治の大きなテーマだっただろうけれど、僕はむしろ『富嶽百景』のような作品にこそ、本当の太宰治を見出したいと思う。
なぜなら、本当の「絶望」を知っているからこそ、本当の「希望」を書くことができる作家が、つまり太宰治だったと信じているからだ。
残念ながら、太宰治は希望の中だけで生きていくことの難しい作家だった。
だからこそ、僕たちは、『富嶽百景』の中に描かれた作者の希望に、光を探し続けているのかもしれない。
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