ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」読了。
本作「不死販売株式会社」は、1958年(昭和33年)に発表された長篇小説である。
この年、著者は30歳だった。
原題は「Immortality, Inc.」。
1992年(平成4年)、ジェフ・マーフィー監督の映画『フリージャック』原作小説。
人間の「不老不死」に対する願い
小学生のころ、SF小説が大好きだった。
街の図書館にあった「少年少女世界SF文学全集」(あかね書房)で、外国のSF小説を片端から読み漁ったこともある。
特に強く印象に残っているのが、本作『不死販売株式会社』だ。
1958年(昭和33年)に交通事故で死んだ主人公(トマス・ブレイン、32歳)が、2115年の世界で生き返る。
ただし、別の人間の体の中に、心だけが1958年(昭和33年)当時のままで。
「あなたのからだは死んだのです、ブレインさん。自動車事故で、めちゃめちゃになって死んだのです。でも、わたしたちは、あなたのいちばんたいせつな部分──つまり心を救い出したのです。そして、それを、新しいからだの中に入れてあげたのです。わかりましたか?」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
一種のタイム・スリップものだが、現在なら「異世界転生小説」に含めるべきかもしれない。
主人公は、150年後の未来の世界で生きていかなくてはならない(ボディだけは22世紀の男のものを使って)。
未来の世界では、既に「死後の世界」が解明されている。
「二十一世紀のなかばになって、バニング教授という学者があらわれて、霊魂の存在をはっきりと証明した。かれは、いろいろなものをかくして自殺し、そのあとで、知りあいの学者のところへ幽霊となってあらわれて、その品物のかくし場所を教えた。こうして、死んでからのちも生きていられるということを、証明してみせたのだ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
「霊魂」は、この物語で、非常に重要なキーワードとなっている。
「幽霊」や「来世」が、この物語の世界観を構築する大きな柱となっているという意味で、この物語は、SF小説というよりも、むしろ、「オカルト小説」に近いかもしれない。
そもそも、この物語の主題が、人間の「不老不死」に対する願いなのだ。
「みんなは、なにをしようとかってだというので、でたらめのかぎりをつくした。殺人や、強盗や、気ちがいじみた冒険が、全世界的に流行した──それは、すさまじい時代だった」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
来世の証明は、既存の倫理観の崩壊へとつながるが、後の研究で、誰もが来世へ行けるわけではない、という新事実が実証される。
研究者は、科学的な方法で魂の構造を改良することによって、来世へ行く技術を開発した。
「そうなのか! それじゃ、また、誰でも来世にいけるようになったんだな」「そうだよ。もちろん、不死販売株式会社にはらう金さえもっていればの話だがね」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
裕福な人々は、高額の「来世保険」に加入し、死後の世界を確保した(つまり「不死」を買った)。
貧しい人々は、「再生」のために必要となるボディ(つまり、自分の体)を売ることで、来世へ行く権利を手に入れた。
「再生とは、どういうことなんだ?」「かんたんにいうと、寿命のつきたからだから生命をとり出して、新しいからだに入れてやる。そうして、人生を生きつづけていくことだよ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
そこは、「生命」が軽々しく扱われる世界だった。
「それにしても、いまは、ずいぶんやっかいな世の中になったもんだな。むかしは、人間は、どんなわるいことをしようと、死んでしまったら、なにもかもおしまいだった。それなのに、いまでは、死んだあとで、なにやかやとめんどうなことがあるんだ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
ここに描かれているのは、不死を願う人々の虚しさである。
「しかし、なぜいそぐんです。人間はやがて必ず死ぬんだ。それまで、人生をたいせつに生きるのが、人間らしい生き方でしょう?」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
一度しかない人生だからこそ、人は、一生を懸けて自分だけの夢に取り組むことができる。
必ず生まれ変わると分っていたら、誰が、今の人生を一生懸命に生きるのだろうか。
夜も昼も、たえずじっとものかげにひそみ、人間におそいかかろうとしている死──人間は、いつでも、その恐怖にたえながら生きつづけなければならなかった。その重荷が、いま、完全にとりのぞかれた──あとかたもなく、なくなってしまったのだ。なんという自由──なんという軽々とした、すばらしい気持ちなのだろう!(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
金持ちは、自殺する代わりに「狩人」たちを雇い、「命」を懸けて戦うことを楽しむようになった(なにしろ、死んでも来世へ行けるから怖くない)。
「しかし、大金持ちというものは、来世にいっても、ふつうの人のいく来世では満足しない。そこで、こうやって、たくさんの神々の像をかざりたてれば、もっと特別な来世へ行けると信じているのだ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
貧しい人々は、来世へ行くため、必死になって様々な方法を模索した。
そのために、現世での自分を売り渡す人たちも少なくなかった。
人生を早く終わらせて来世を確保することに、貧しい人々は希望を見出していたのだろう。
不死を考えるということは、つまり、生きることを考える、ということでもある。
「まだ、死にたくはない!」かれは、心の中で、大声をあげた。永遠の生命もけっこうだが、まだ、この世の中でやりたいことはたくさんあった。(略)生きていたい。どうしても生きていたい。(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
人は、なぜ生きるのか?
物語冒頭で、人生に行き詰まりを感じている主人公(ブレイン)の心理が描かれている。
「おれって、ほんとうにだめなやつだな。なぜ、もうすこし野心をもたないのだろう。なぜ、もっとがんばって、思いきって独立しようと思わないのだろう?」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
深夜のハイウェイで、自動車が突然に暴走し始めたときも、彼は生きることを躊躇した。
「どうして、いま死んでしまわないのだ? どうせ生きていても、たいくつな世の中じゃないか。いっそのこと、いま衝突して死んでしまえば、なにもかもおわりになる。痛みもない。苦しみもない。失望も、たいくつも、なにもかもなくなるのだ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
結局、主人公は運転を放棄して、そのまま衝突事故を起こしてしまう。
そして、150年後の未来へ転生して、再び考え始めるのだ。
生きることは何か、と。
本作『不死販売株式会社』は、不死をテーマに、生きることの意味を問いかけた、人間の根源を探るSF小説なのである。
ダイバーシティ(共生社会)の実現
本作『不死販売株式会社』には、「来世」以外にもSFチックな仕掛けが、次々に登場する。
例えば、22世紀のニューヨークの描写。
二十二世紀のニューヨークは、夢の中に出てくるおとぎの国の都のようだった。白と青のタイルの屋根のあるずんぐりした宮殿や、イスラム教の寺院のような細長いせん塔、けばけばしい中国ふうのドームなどがずらりとならんでいて、むかしのニューヨークのおもかげは、まるきりなかった。(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
火星に移住した人々は、ニューヨークで「火星タウン」を形成している。
「そりゃそうさ。最初に火星に移住したのは中国人だからね。あれはたしか、一九九七年だった。だから、火星ふう中華料理のことを火星料理というのさ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
1958年(昭和33年)当時、1997年(平成9年)になれば火星移住が実現していると、人々は本気で考えていたのだろうか。
「再生」に失敗した人間は「ゾンビー」になる。
「たしかに、ゾンビーは、見たところは気持ちがわるいだろう。へんな歩き方はするし、顔つきは無表情だし、しかもからだはどんどんわるくなっていく。でも、他人には何の害もしないのだ」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
未来の世界で「ゾンビー」は「人間のからだが死に、そこに別の魂がはいろうとするとき、おそくなりすぎるとおこる、一種の病気なのだ」と説明されている。
人間とゾンビーとの共生は、ダイバーシティ(共生社会)を実現するうえでの重要なヒントを示唆している。
来世へ行くことに失敗した霊魂は、「ポルターガイスト」となって主人公を襲う。
「ふふふふふ、ふふふふふふ!」どこかから、細い、ぶきみな笑い声がひびいてきた。幽霊だ! さわぐ幽霊──ポルターガイストが、このへやにやってきているのだ。(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
レックス動力会社の追跡から逃れるため、主人公は「心の移植」を繰りかえす(つまり「心の旅」だ)。
「他人の心の中にはいりこむなんて、そんな下品なことは、ぼくにはできない」「しかし、それしか方法はないんですよ、ブレインさん。(略)ただ、ちょっとのあいだ、他人の心の中にすまわせてもらうだけだ。ちょうど、友だちの家に、とめてもらうように」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
主人公を追い続けるゾンビーは、1958年(昭和33年)の世界で、ブレインの自動車と衝突する対向車に乗っていた若者だった。
「ぼくは、したいことが山ほどある。大学で勉強もしたいし、旅行もしたい、スポーツもしたいし、ガールフレンドとも遊びたい。(略)ぼくのほしいのは、からだだ。この、くさりかけたからだじゃなく、りっぱな、生きたからだがほしいんだ!」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
主人公は、運転をあきらめ、衝突事故を回避しようとしなかった、あのときの自分を思い出す(「どうして、いま死んでしまわないのだ? どうせ生きていても、たいくつな世の中じゃないか」)
自分の巻き添えで死んだ若者にボディを譲り、自分は来世へ行くことを、主人公は選ぶ。
このとき、感動的だったのは、恋人(マリー・ソーン)が、主人公と一緒に来世へ行くことを選択したことだ。
ブレインはおどろいた。「マリー、きみもきたのか?」「ええ、だって、ひとりぼっちじゃ生きていてもつまらないから。いっしょに行かせて、トマス」(ロバート・シェクリー「不死販売株式会社」福島正実・訳)
「いっしょにいこう、マリー。さあ、来世にむかって」という主人公の言葉で、物語は幕を閉じる。
初めて、この物語を読んだとき(小学生のとき)、この場面で、無暗に涙が流れてくるのを止められなかったことを覚えている。
二人が死んでしまったことが悲しかったのか、それとも、二人一緒に来世へ行けることがうれしかったのか──。
なお、本作『不死販売株式会社』は、ハヤカワ文庫『不死販売株式会社 フリージャック』でも読むことができるが、僕は、相変わらず、あかね書房「少年少女世界SF文学全集」版を愛読している。
書名:不死販売株式会社
著者:ロバート・シェクリー
訳者:福島正実
発行:1974/10/05
出版社:あかね書房「少年少女世界SF文学全集」