三田誠広「いちご同盟」読了。
本作「いちご同盟」は、1990年(平成2年)に河出書房新社から刊行された長篇小説である。
この年、著者は42歳だった。
漠然とした自殺願望を持つ15歳の少年
本作「いちご同盟」は、自殺願望を持つ15歳の少年が、人生を前向きに生き始めるまでの過程を描いた青春物語である。
もっとも、主人公<北沢良一>の自殺願望は、かなり漠然としている。
きっかけは、11歳の少年の飛び降り自殺だった。
少年が飛び降りた団地の非常階段で、<ぼく>は死について考えている。
踊り場の壁の前で、ぼくは立ち止まる。この壁に、フェルトペン書きの文字があった。「むりをして生きていても/どうせみんな/死んでしまうんだ/ばかやろう」(三田誠広「いちご同盟」)
中学卒業後の進路に悩む<ぼく>の頭の中からは、「どうせみんな/死んでしまうんだ」という言葉が離れない。
未来に希望を持てない、15歳の少年たち。
時代はバブル全盛期で、登場人物の少年たちは、みな、どこか冷めきっている。
輝かしいバブル狂乱の時代、少年たちは、こんなにもクールだったのだろうか。
野球部のスター選手<羽根木徹也>を通して、<ぼく>は同い年の女の子<上原直美>と知り合う。
<ぼく>の恋した直美は、しかし、重症の病気で入院中の女の子だった。
「可能性がある人がうらやましい。自殺のことを考えるなんて、贅沢だわ」そう言って、直美はぼくの方に目を向けた。(三田誠広「いちご同盟」)
直美は治療の難しい病気と闘っていた。
既に、手術で片脚は切断されており、今後の予断も許さない重篤の状況である。
しかし、未来に希望を持てない直美は、それでも必死で生きようとしていた。
美しい直美に恋をして、生きる道を探し始める15歳の少年。
この物語は、自分自身で生きる道をつかんだ少年の、破滅と再生の物語である。
「いちご」とは、15歳の「1」と「5」のこと
「いちご同盟」の「いちご」とは、15歳の「1」と「5」のこと。
互いに直美に恋をする徹也と<ぼく>は、二人で「いちご同盟」を締結する。
それは「直美のことを生涯忘れないこと」という、男同士の約束だった。
「死ぬなよ」と徹也は言った。「お前、百まで生きろ。おれも、百まで生きる」徹也はぼくの腕をつかんだ。「百まで生きて、その間、直美のことを、ずうっと憶えていよう」(三田誠広「いちご同盟」)
なんという残酷な物語だろう。
この物語は、15歳の少年たちが、好きになった女の子の死を目前にして、互いに100歳まで生きて、彼女のことを生涯忘れまいと誓い合う物語なのだ。
漠然とした自殺願望を抱えていた少年は、逃げることをやめて、人生と正面から向き合い始める。
そして、前向きに考え始めたとき、人生は初めてその可能性のドアを開くのだ。
もともと少年は、ダメな少年ではなかった。
ピアニストになるというのが、少年の夢だ。
しかし、家族の理解を得られないために彼は逃げようとしていた。
自殺という、漠然としたエスケープの道へ。
同じ15歳の少女の命と引き換えに、少年が生きる道を選んだという人生は皮肉だ。
「見て」すばやくボタンをはずして、直美は胸をはだけた。掌にすっぽりおさまりそうな小さな乳房が、ぼくの目の前にあった。「よく見て、憶えていて。切る前に、あなたに見てほしかったの」(三田誠広「いちご同盟」)
そんな薄命の少女との恋愛を軸に、家族の物語が関わってくる。
学生運動で仲間たちを失い、家族を養うためにつまらない仕事に手を染めた父親。
有名私立中学校へ通う弟を可愛がる母親。
一流大学へ入って、普通のサラリーマンになることを夢見る弟。
ピアニストになりたいという夢が陳腐に思えてくるほど、リアリストな家族に囲まれて、<ぼく>の孤立感は深まっていく。
そして、15歳の少年にとって、そんな憂鬱な日々は、自殺にも値するくらいに苦しい日々でもあったのだ。
ちょっと作りすぎの部分はあるにしても、あまりに直球すぎて、それが胸に響いてくる。
大人が読んでも感動できる、15歳のための青春小説だ。
書名:いちご同盟
著者:三田誠広
発行:1991/10/25
出版社:集英社文庫