文学鑑賞

大島一彦「ジェイン・オースティン」庄野潤三一家も愛した大人の文学の魅力

大島一彦「ジェイン・オースティン」庄野潤三一家も愛した大人の文学の魅力

大島一彦「ジェイン・オースティン」読了。

本作「ジェイン・オースティン」は、1997年(平成9年)1月に中公新書から刊行された作家案内である。

この年、著者は50歳だった。

庄野潤三一家が愛読していたジェイン・オースティン

庄野潤三『せきれい』の中に、大島一彦『ジェイン・オースティン』が出てくる。

夜、炬燵で大島一彦さんの『ジェイン・オースティン』(中公新書)を読む。第三章まで読み終った。こちらが読み終ったら、昔からオースティンが好きな妻にまわすことになっている。「次に読ませてね」と妻がいっている。(庄野潤三「せきれい」)

「大島一彦は、亡くなった小沼丹の早稲田の英文科での教え子である」「私は小沼と一緒の酒席で何度も会ったことがある」とあって、庄野さんにとって、大島さんの著作は、そのまま小沼丹への思い出へとつながっていく。

「小沼がいたら、「よく書けてるね。いいよ」といって誉めただろう。ざんねん」とあるところも切ない(なにしろ、小沼さんは、前年11月に亡くなったばかりだった)。

南足柄市に住んでいる庄野さんの長女が、この本を読んでいたエピソードもある。

或る日、南足柄から来た長女が、「いま、この本を読んでいるの。図書館で借りたの」といって私の前にさし出したのが、なんと大島さんの『ジェイン・オースティン』であった。「お父さんの名前が出て来たので、びっくりした」という。(庄野潤三「せきれい」)

長女に結婚の話を持ってきてくれたのは、荻窪の井伏鱒二だったが、結婚式を挙げたときの仲人は、小沼丹夫妻だった。

長女は、『ジェイン・オースティン』の著者の大島一彦さんが、小沼さんの教え子だったとは知らなかったらしい。

「作中にひとところ私の名前が、井伏鱒二、小沼丹と並んで出て来る」「思いがけなくて、長女は驚き、よろこんだ」というあたりに、庄野家の家族の感動が現れている。

それにしても、家族でジェイン・オースティンを愛読しているあたり、さすがに文学者の一家という感じがする。

庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」の人気は、こうした教養の高さにも支えられていたのではないだろうか。

なぜ日本では、ジェイン・オースティンが読まれないのか?

本書『ジェイン・オースティン』によると、イギリスの著名作家ジェイン・オースティンは、庄野家での人気にかかわらず、日本では決して熱心に読まれている作家というわけではないらしい。

「第一章 批判と礼賛」では、なぜ日本では、ジェイン・オースティンが読まれないのかということについて考察されている。

しかしやがてジェイン・オースティンの世界に遊ぶにつれて、三島的世界とは対極のところにジェイン・オースティン的世界のあることがはっきりと判って来た。それは現実の世の中及びあるがままの自分と折合い、不完全な人生を肯定し、喜劇的な精神で日常性を味わう世界である。この世界が解るようになったとき、多分私は大人になったのだと思う。(大島一彦「ジェイン・オースティン」)

つまり、日本人には、大人の文学である英文学を楽しむことができる土壌がないということだ。

ロマンティックだった青年時代には、文学や芸術や哲学に心惹かれるが、やがて大人になると憑物でも落ちたかのようにロマンティックな心を失い、文学や芸術や哲学に対する関心を失う。

小林秀雄は「人はとかく世間の文学的理解から始って、文学の世間的理解に終る」と言ったが、大人になって、自分の中のロマン主義を相対化できる現実主義を身に付けながら、その上で文学や芸術や哲学に対する関心を持ち続けることができるかどうか。

大島さんは、日本の大人は「これからジェイン・オースティンが面白くなると云うときに、小説そのものを読まなくなるのだ」と指摘している。

ここで引用されているのが、「いかにも英文学らしい英文学は大人の文学だ」という福原麟太郎の言葉である(出典は『叡智の文学』)。

大人の文学とは、文学の中にただの感傷や、思想的感激や、人間的情緒のみを見出すことで満足せず、もっと熟した叡智を求めるようになって初めて面白味が判る文学のことだ。

「叡智が好きになれば、また好きになる年頃になれば、英文学は非常に面白いものだということになる」という福原さんの言葉には、いかにも大人の叡智が感じられる。

そして、大人になった大島さんには「我が国の作家では、井伏鱒二、尾崎一雄、小沼丹、庄野潤三と云うような作家達(我が国では数少ない、ユーモアと叡智を兼備えた大人の作家達)の世界が俄然身近なものに見えて来た」そうである。

庄野さんの『せきれい』で「作中にひとところ私の名前が、井伏鱒二、小沼丹と並んで出て来る」「お父さんの名前が出て来たので、びっくりした」とあるのは、このくだりのことだろう。

本書は、あくまでも、ジェイン・オースティンという作家の人生と作品を解説した案内書だが、自分としては、この冒頭にあるイギリス文学論(大人の文学論)のところが、とてもおもしろかった。

こうしたところから、ジェイン・オースティンというイギリス文学への道が開けていくのかもしれない。

書名:ジェイン・オースティン「世界一平凡な大作家」の肖像
著者:大島一彦
発行:1997/01/25
出版社:中公新書

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。