音楽

JOLEEN「Tokyo Girl」富士ゼロックス<写楽>CMソング

バブル時代の元気な洋楽を聴きたい!

80年代の隠れた名曲を探している!

そんな方には、JOLEENの「Tokyo Girl」がおすすめです。

Contents

JOLEENの「Tokyo Girl」とは?

1988年(昭和63年)の秋、日本の洋楽界に、ちょっとした事件が起きました。

松下由樹が出演する富士ゼロックス<写楽>のテレビCMで流れていた「Tokyo Girl」という曲が、発売2か月にして、オリコンHOT50のトップに踊り出て、3週連続1位を獲得したのです。

歌っていたのはJOLEENというアメリカの女性アーティスト。

当時、JOLEENは、日本はもちろん、本国アメリカにおいてもまったく無名のアーティストでした。

『マリ・クレール』(1989年5月号)では、「リスナーが発掘したアメリカの実力派女性歌手」として、JOLEENのことが詳しく紹介されていました。

本名<ジョリーン・ベノワ>ことJOLEENは、ロサンゼルス在住。

ここ十数年の間に、テレビのヴァラエティーショーの司会やCM出演、ミュージカル出演などのキャリアを積み重ねてきたそうです。

音楽プロデューサーの秋田新一郎氏は「アダルト志向のシンガーを探していた」と語っています。

「とにかく上手いということですね。アダルトで個性的な声質も気に入りましたし。デモテープには彼女の曲が3曲入ってたんですが、それぞれが違う声で歌われていた。楽曲の良さを十二分に表現できる人だと思いましたね」(『マリ・クレール』1989/05、文・徳丸治美)

そもそも、JOLEENは、1986年(昭和61年)にオンエアーされたテレビのCMソングでレコードデビューを果たしていたそうですが、このときはまったく話題にもならなかったようです。

アルバム『JOLEEN』発売!

シングルの大ヒットを受けて、1988年(昭和63年)11月には初アルバム『JOLEEN』をリリース。

このアルバムの制作には、さまざまなジャンルの曲をこなせるJOLEENのために、日米混合の多彩なスタッフが参加しました。

とりわけ、プロデュースには、秋田新一郎のほか、ジョーイ・カルボーンとジョン・リンドという3人のヒットメーカーが関わるという、豪華な布陣。

JOLEEN自身も、この体制には興味を惹かれたようです。

ジョリーン「そして予想どおり、異なった、しかもそれぞれに才能あふれる人たちと仕事をするのはすごく楽しいことでした。一人ひとりが曲ごとに違う私を引き出してくれるの、音楽的にね。だから幅の広いヴァラエティーにあふれたアルバムになったんですよ。」(『マリ・クレール』1989/05、文・徳丸治美)

ジョーイ・カルボーンは、角川映画『里見八犬伝』『愛情物語』のテーマ曲や、SONYカセットテープのCFソング「オーヴァーナイト・サクセス」、ホンダ・スクーター「DJ イン マイ ライフ」の作曲で、日本でもお馴染みのコンポーザー&ミュージシャン。

シブがき隊や少年隊など、男性アイドルグループにも多くの曲を提供していて、今回のアルバムでは、「Tokyo Girl」ほか1曲の作・プロデュースを担当しています。

ジョーイ「JOLEENはその声の強さも素晴らしいけど、特に声質に他の人にはないものを感じて、紹介された時から強く魅かれました。だから『Tokyo Girl』のヒットは、彼女のためにも僕のためにもすごく嬉しかった。美人だし才能もあるので、日本国内だけではなく、近い将来ワールド・ワイドで活躍できると信じていますよ」(『マリ・クレール』1989/05、文・徳丸治美)

一方のジョン・リンドは、アースウインド&ファイヤーの「ブギー・ワンダーランド」、マドンナの「クレイジー・フォー・ユー」という2曲の全米No.1ヒットを持つ作曲家で、日本のCF用音楽も手がけてきています。

アルバムでは、2曲の作・プロデュースを担当しました。

ジョン「彼女は我慢強く、熱心で、こちらの思っていることをとてもよく察してくれる。アーティストが皆、そんなに熱心に仕事をするとは限らないのを僕は知っているので、それが嬉しかったですね。このまま彼女のやり方を、やっていることを変えないで、とにかく歌い続けて欲しいと思います」(『マリ・クレール』1989/05、文・徳丸治美)

この他、自ら歌った「エスケイプ」(1979)で全米No.1も記録しているシンガー・ソングライターのルパート・ホームズ、そして日本からは、井上大輔、梅垣達志、柳田ヒロ、深町純らが、今回のアルバム作りに参加しています。

本コーナーを担当した徳丸治美さんは「本当にキラキラとした現代女性の一人だろう」と、JOLEENの印象を綴っています。

ジョリーン「もしもこのアルバムがきっかけで日本に行くことができたなら、さらにもっと多くの人々と知り合えるでしょう? 想像しただけで楽しくなってしまうわ。明日日本に行けと言われれば、すぐにでも行きたいくらいです」(『マリ・クレール』1989/05、文・徳丸治美)

なお、1989年(平成元年)春の時点では、富士ゼロックス<テレコピア>のCFソングとして、JOLEENの第2弾「The Traveler’s Song」(by ジョーイ・カルボーン)が放映中。

初夏の発売に向けて、新しいアルバムも準備中とのことでした。

まとめ

いかがでしたか?

2023年10月現在、JOLEENの楽曲は、Apple Music で聴くことはできず、当時のCDの入手もかなり困難な状況です。

当時の有名ミュージシャンが、多数レコーディングに参加しているため、マニアックなファンの間では、それなりにレアな商品になっているみたいですね。

でも、この歌を聴いていると、日本が元気だった時代の空気感が、すごくよく伝わってきます。

彼女は東京ガール
世界一美しい
太陽よりも明るいほほえみ
彼女は東京ガール
あの男の子をごらん
彼の心臓はドラムみたいに鳴っている
そして夢見る
いつか彼女とつきあえると
東京ガールと

JOLEEN「Tokyo Girl」

彼女は東京ガール、世界一美しい──

1988年(昭和63年)、東京が「世界の東京」だった時代の、まるでお伽噺のようなヒットソングです。

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3代目アコード
バブル世代のビジネスマン。ヤンエグにはなれなかったけどね。